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<<<2014夏、フィリピン平和の旅>>>



8/23(土)
羽田空港国際線ターミナルに
午前8時に集合
午前9時55分航空機出発
飛行時間4時間35分
現地時間は1時間戻して、
午後1時30分
ニノイ・アキノ国際空港到着
車が右側通行です。驚いたことに、
SUV車がたくさん走っていまし
た。私が昨年購入したピックアップ
車もたくさん走っています。
一方、ギュウギュウ詰めのジムニー
(荷台を長く改造して乗り合いバス
にしている。各方面に行けるので
現地の人の足といって良い。)
現地ガイドのHIDEKOさんの
解説はかなりのハイレベルです。
これから最初の宿泊地スービック
(Subic Bay)へ向かいます。
マニラ下町の商店街。暑いので、
ランニングにスポーツ短パンの男
性が多い。
豚の丸焼きが串刺しになってアチ
コチの店頭に並べられています。
はじめはビックリしましたが、現
地では御馳走なのですね。2日目
に一部食べました。美味しいこと!
果実のマンゴーも大量にでてきま
す。来る前と違ってすっかり好き
になりました。生のままではお土
産にできないので、乾燥マンゴー
をたくさん買いました。
8/24(日)
生憎の朝からの雨でした。途中で
フルーツコウモリを見物のため下
車しました。
スービック海軍基地跡の弾薬庫を
見学しました。その跡地を利用し
たレストランへは入りませんでした。
良く考えると毒薬などが散乱して
いるかもしれません。
雨の中、海岸沿いに12名のレリーフ
が飾られていました。米軍基地撤
去と原発設置反対を可決した12名
の議員のモニュメントです。
スービック海軍基地撤去後に起こ
る諸問題に取り組むNGO事務所
「Yokubari Foundation」に来まし
た。
NGO団体「Metro Subic Network」
の代表の皆さん(中の2人)
ここの団体の「誓いの言葉」を賛
唱する参加者達
昼食にフィリピンの家庭料理を御
馳走になりました。
交流した参加者全員で記念撮影を
しました。
クラーク空軍基地跡に行く途中で、
「神風特攻隊」が初出撃した西飛
行場跡を見学
すぐそばにあった防空壕の穴 クラーク空軍基地跡にある広大な
公園の入口に記念像が建っていま
した。
広大な公園、大きな空
大きな飛行場。遠くに山が。 白い十字架が整然と並ぶ米軍墓地 巨大なショッピングセンター 昼の歓楽街を恐る恐る見学散歩
待望の豚の丸焼き(一部)を食べま
した。美味しかったです。
食後のコーヒーと、100ペソ
(ほぼ250円)
カウボーイレストランの店員と
添乗員さんのツーショット
二泊したスービックにある「ビス
タ マリーナ ホテル」の入口
8/25(月)
バターンにある原発(市民運動に
よって稼働をストップさせたこと
で有名)の内部の見学に行きまし
た。
参加者で記念撮影!!
原発のこんな近くで普通は写真な
ど撮れません。
これはビックリ!原発容器の中か
ら格納棒が見えています。(ここ
は、ウランがないので安全です)
福島原発事故のときによくでてい
た同じ形の司令室にも入りました。
原発から出る蒸気で発電する巨大
なタービン(社名がWestinghouse
ですが、日本の大企業も名前を連
ねているそうです)
説明を聞く参加者達。前回の福島
への旅で知り得た「100度から
300度までしか熱利用していな
い」ので無駄が多い現実を再確認
しました。ここは稼働してないの
で無駄が少ない。
マニラへ向かう途中にある「バタ
ーン死の行進」跡地に立つ記念碑
を見学しました。
そこに描かれてある絵。これが1
kmごとに続いて建てられていま
した。
途中に小学校をバスから撮影 昼食に生搾りマンゴージュースを
飲みました。美味しいこと。
リサール公園は雨が強かったので、
車窓から見ただけで、サンチャゴ
要塞へ行きました。
ここが入口の門
ここの監獄に、スペインから独立
運動を指導した「国民的英雄ホセ・
リサール」が閉じ込められていま
した。処刑のために、歩いて出て
きた足跡が残されています。
その監獄跡地です。 サンチャゴ要塞から対岸のチャイ
ナタウンや日本人街を見る。
サンチャゴ要塞の警備ボックス 夕食時にホテルの食事会場で、
「非核フィリピン連合の代表」
の方々と会食しました。真ん中
の女性が、コラソン弁護士です。
参加者全員で記念撮影。 8/26(火)
今日はスラム街で活動するNGO
を訪問します。
スラム地区「バセコ」にあるゴミ
の山「スモーキーマウンテン」で
す。緑の下にはゴミの山がありま
す。東京都の夢の島と同じですが、
何もしていないので、ゴミがむき
出しです。
その周辺に住むスラム街。大きな
トラックがゴミを満載して捨てに
来ています。
マニラは海抜0mですが、このバ
セコは海岸に近いので、雨が降る
とすぐ道に水があふれます。その
隅で、ゴミを洗う家族。
ゴミの山と、その中からお金にな
る物を選別するために山積みにし
てあります。住民にとっては、こ
のゴミの山も大事な資源です。
その街の一画にあるNGO施設。
「スラム生活者の自立支援をする
NGO」です。
協力して住宅建築にも力を入れて
います。みんなで協力して家を一
軒建てたら、その住民は次の家の
建築を応援する形で、次から次へ
と家らしい住宅が増えつつありま
す。
ゴミの山付近で遊ぶ子ども達。
その直ぐそばには、ゴミが散乱し
ています。
それでも、子ども達は人なつっこ
く、すぐ寄ってきます。このNG
Oの取り組みが子どもの中に根付
いているのが分かります。
臭いや害虫の心配をしましたが、
雨上がりのあと少し涼しかったの
で、気になりませんでしたが、蒸
し暑くなるとどうなるのか衛生面
が心配です。
笑顔の兄妹。この子達に、このN
GOでは教育を支援し、成績が良
い子には進学支援もしているそう
です。その中から、次世代のNG
O活動家が育っているようです。
陽気な少女達。全体的に発育不全
気味で、実際は見た目よりも3歳
ぐらい年が上です。栄養のバラン
スもNGOの大きな課題です。
最後に、お別れの会をしました。
右の青年がリーダーでした。若い
のに積極的で、労を厭わない立派
な態度に胸が熱くなる思いでした。
机上で「反貧困」を言っているだ
けでは、世界の現実はなにも変わ
りません。このNGOのような活
動が世界各地で求められています。
その後、世界遺産の「サン・オー
ガスチン教会」の見学に行きまし
た。立派な教会が、どの程度スラ
ム街の支援に回っているのか分か
りませんでしたが、国民の多くが
キリスト教信者なので、その誠意
を信じたいと思います。
荘厳な教会内部。この時点では、
NGOが住宅建築している住宅群
の方が厳かさを感じました。
その中で、ホッとする子どもの像
がありました。バセコを見ないで
来た観光客には、この像は違和感
があったかもしれません。私は、
この教会を見直す切っ掛けになり
ました。
午後の自由行動では、多くの方が
新都心「マカティ」と「米軍記念
墓地」見学ツアーに行きました。
新都心は、高層ビル群が建ち並ん
でいます。
「米軍記念墓地」の中の展示ドーム
には太平洋戦争当時の戦闘の攻防の
様子を示すパネルが展示されていま
した。このパネルは日本軍が東南ア
ジアへ資源を求めて侵略している様
子がひと目で分かります。
このパネル展示であの有名な「レイ
テ沖海戦」のレイテ島の位置が初め
て分かりました。浮遊している知識
がピンポイントで固定された感じが
します。見ることは大事だと感じま
した。
多くの戦死者の墓を見守る記念
碑です。
十字架のお墓が建ち並んでいます。
これ以上に日本人のお墓も野山の
中に朽ち果てて眠っているかと思
うと、戦争を起こしても(起こそ
うとしても)平気でいられる権力
者に怒りを感じます。
宿泊ホテルに帰る途中、「高山右
近」像のそばを通ったので、雨の
中撮影に走りましたが、うまく写
らなかったのが残念です。マニラ
で亡くなった波乱に富んだ高山右
近の人生を是非映画にしてもらい
たいと思う。
この日の夕食は自由行動であった
が、多くの方が舞踊と音楽が聴け
るスペイン料理の店「バルバラ」
に行くことになった。
参加者(円卓1) 参加者(円卓2) 音楽を奏でる大学生達(この店は
大学生に舞踊や音楽を教え、ここ
で演じることで学資を稼ぎ、勉強
することができるシステムを確立
し、応援している素晴らしい店で
ある。)
舞踊を踊る大学生達(踊りをYou
Tubeに掲載しましたので、前の
ページの舞踊の写真をクリック
してご覧下さい。)
バンブーダンスに挑戦する参加者 添乗員さんも参加し、大興奮! 学生達と一緒に記念撮影 8/27(水)
最終日のマニラホテルで朝食風景
ホテルの9階の部屋からマニラ港
を撮影
2泊したマニラホテルの全景 ツアー中ずっとお世話になった
バス(冷房も調整してくれて心地
よくすごせましたし、狭い路地も
上手に入っていく運転手さんには
感謝!)
海岸沿いには観光用の馬車がいま
した。
もの凄く走っている割には、撮影
できなかったジムニー(素早くて
シャッターチャンスを逃してしま
ったからです。)
高架になっている鉄道の駅 選挙があるのか分かりませんが、
写真入りの宣伝物が見られました。
空港付近も、高層ビルが林立して
います。
日本ではほとんど見られないピッ
クアップトラックがたくさん走っ
ていました。やっと停車中の撮影
できました。(荷台部分をシャッ
ターで覆うっている改造車もあり
ました。)
5日間お世話になったガイドの
HIDEKOさん。博識に感動
しました。
マニラの空港で解団式がありまし
た。挨拶する参加者
旅の感想を言う参加者
旅の感想とお礼を述べるSAAL
Aの理事長
旅の感想を言う参加者 旅の感想とお礼を述べるツアー
団長
最後に、みんなのアイドルとなっ
た添乗員さんから、家に着くまで
気を抜かないでと締めがありまし
た。

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