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9/23(金)
ヴィエンチャンのホテルから見たメコン川
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ラオスで最高のホテル「ドン・チャン・パ
レスホテル」に宿泊しました。
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最初に「ワット・シーサケート」を見学し
ました。ワットとは、お寺のことです。
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次に「ワット・ホーパケオ」の見学です。
黄金に輝く入り口のところで、添乗員の鈴
木さんを撮影しました。鈴木さんは「中国
東北部の旅」のときと同じ添乗員さんなの
で、いろいろお世話になりました。
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ヴィエンチャンのメインストリートの真ん
中ほどにある観光地「パトゥーサイ(凱旋
門)」を見ながら「タート・ルアン」に向
かいました。
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「タート・ルアン」は、ラオス王国時代の
仏塔です。ラオス人民民主共和国は、1975
年12月成立し、人民革命党による一党指導
体制ですが、65%以上の仏教徒と精霊信
仰の人々と見事に調和した「心優しい国」
でした。この日は仏塔の修理が行われてい
ました。タートとは、仏塔のことです。
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ラオスの結婚式の民族衣装を着たモデルさ
ん達がいたので、写真を撮らせてもらいま
した。
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「パトゥーサイ(凱旋門)」に登りました。
メインストリートと噴水公園が眼下に見え
ました。ラオスの人々も地方からたくさん
観光に来ていました。この凱旋門の上部に
はお土産物を売るお店があったのには驚き
ました。
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「コープ・ビジターセンター(COPE)
を訪ねました。あまり公にされていません
が、ベトナム戦争時代、アメリカ軍によっ
て大量のクラスター爆弾がラオスに投下さ
れました。
上にある大きなケースが割れて小型の不発
弾が雨の様に降ってきたそうです。
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その不発弾は、今でも大量に地面に埋没し
ており、それを踏んだり、子どもが遊んだ
り、煮炊きする熱で爆発したりと、手足を
失う事故が続いています。このセンターで
は、義足などを改良して生活できる様に取
り組んでいます。私たちは支援金を渡して
きました。
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9/24(土)
ラオス平和連帯委員会を訪れ、カンパン会
長に「戦争するな!国際署名」個人分1400
0筆と団体署名500筆を手渡しました。ラオ
スは東アジア首脳会議の議長国です。先年
のマレーシア大使館への提出分を合わせる
と、個人署名が24000筆、団体署名500筆と
なります。
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「ラオス人民軍歴史博物館」を訪れました。
戦車や軍用トラックなど戦争に使われた武
器などが展示されていました。
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「ラオス国立博物館」を見学しました。14
世紀頃からのランサン王国の闘いの歴史や
19世紀に入ってからのフランスによる植民
地の時代、1945年日本軍によるラオス進駐、
1946年再度フランスによる植民地化、1953
年ラオス王国独立、1965年アメリカによる
爆撃開始、1975年ラオス人民民主共和国が
成立するまでの長いたたかいの歴史が展示
されていました。
見終わって外に出ると、卒業式を祝う屋台
がたくさん出ていました。9月が卒業式な
のですね。さらに、大人でも縫いぐるみを
もらって祝う風習は面白い。
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「タラート・サオ」という市場に行きまし
た。タラートとは、市場という意味です。
この店でお土産用の10袋入ったドライ果実
を購入しました。他の店で、ラオス・コー
ヒー豆と巻きスカート「シン」を購入しま
した。シンは家族に渡したら、とても綺麗
なので喜んでくれましたが、あまり着る機
会はないようです。
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夕食のレストランで、ラオスの民族舞踊を
見ました。女性が着ている巻きスカートが
シンというものです。裾に刺繍がしている
魅力的なスカートです。巻きスカートなの
で、ウエストの太さに関係なく着れるのが
嬉しいですね。このレストランは、サロン
サイと言って、ラーンサーン・ホテルの1
階にあり、ラオス舞踊ショーを催すレスト
ランとして有名です。
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9/25(日)
ヴィエンチャンの空港から国内線で古都ル
アンパバーンに向かいました。賞味45分
間のフライトでしたので、あっと言う間に
到着です。
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昼食はパークファイ・ミーサイというラオ
ス料理店に入りました。オ・ラーム(肉と
野菜の煮込み)やうま味の詰まったルアン
パバーン・ソーセージを美味しくいただき
ました。店員さんの来ているポロシャツが
素敵なので、写真に撮りました。
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レストランの斜め向かいに素敵な建物があ
りましたので、写真に撮りました。後で調
べると、ビラ・チャンパーというビラタイ
プのゲストハウスでした。こういう中級の
ホテルに泊まって街を楽しむのも良いです
ね。
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最初の見学地は、ルアンパバーン国立博物
館(元王宮)です。館内は撮影禁止なので、
紹介できませんですが、中央に位置する
「謁見の間」のステンドグラス風のガラス
細工は素晴らしいものがあります。なお、
この写真は入り口付近にあるパバーン像安
置祠です。
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次に「プーシーの丘」に登りました。32
8段の階段でしたが、私は軟弱な体力の所
為か4回も休憩しながら登りました。80
歳代のご婦人もしっかり登っていましたの
で、帰国後の体力作りを決意しました。こ
の写真は、メコン川の支流のナムカーン川
方面の町並みです。
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ルアンパバーンの町並みです。緑に覆われた
南国の町並みですね。
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ここでの宿は、サンティ・リゾート&スパで
す。なんとベットにレースの蚊帳が吊されて
いました。虫除けスプレーを部屋の中に噴射
しましたが、この蚊帳があれば大いに安心で
すね。想像していたより蚊はいないようでし
た。テレビでは、ラオス国内の情報が見られ
ましたし、台湾放送ではテレサ・テンの歌も
聴くことが出来ました。NHKの海外放送で
は、英語ですが日本国内の様子も知ることが
出来ました。そこで相撲の豪栄道の優勝を知
りました。また、ラオス美女コンテストの紹
介をしているのも拝見し、顔だけで無く巻き
スカートの「シン」の色鮮やかさに心引かれ
ました。さっそく娘たちの分のシンもナイト
・マーケットで購入しました。安いのは、
100000キープ(1000円)でしたが、
現地の人の物価感覚では5000円くらいは
しそうです。
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9/26(月)
部屋はリゾート風で、バルコニーからプール
なども見えました。
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食事の際出てくる「ドラゴンフルーツ」は最
高の味でした。すっかり気に入りました。
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主食のお米の田んぼと案山子がホテル内の一
角にありました。
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最初に「メコン川クルーズ」です。細長いエ
ンジン付きの船で1時間遡っていきました。
この船は後ろの方にトイレも付いているし、
メコン川は波があまりたたないし、川面から
吹き込む風の涼しいこと極楽気分の1時間半
でした。というのは、陸上では湿気がジワッ
とくるので汗だくです。
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最初に到着したのは、酒造りの村で有名なバ
ーンサーンハイという村でした。この写真は
村のお寺です。どこへ行っても仏教のお寺は
大切にされていました。
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このお酒の陳列棚の後ろで、ドラム缶を使っ
てお酒の蒸留をしていました。簡単な仕組み
でお酒が出来ることにびっくりしました。ラ
オスの焼酎「ラオ・ラーオ」はアルコール度
数が45度くらいあるようです。私はこのあ
との昼食時に飲んでみましたが、口の中がお
酒でワーッと広がりそれ以上飲めませんでし
た。水で3倍に薄めれば飲めると聞きやって
みましたところ、アルコール度数が15度く
らいになり、普通の焼酎となりました。この
あとは美味しくいただくことができました。
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メコン川クルーズの目的地「パークウー洞窟」
に到着です。4000体以上の仏像が置かれ
ていました。私は入り口あたりでウロウロし
ていましたが、懐中電灯を持ってもっと上の
方の洞窟に行った人もいました。私は立派な
懐中電灯を買いましたが、役には立ちません
でした。入り口だけならば要らないですね。
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昼食を食べた洞窟の川向こうのレストランで
す。ラオス料理も良かったですが、ここでは
米焼酎「ラオ・ラーオ」の印象が強いです。
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午後は、ルアンパバーンに戻ってきて、お寺
巡りをしました。最初は、ワット・セーンで
す。1714年建立の比較的大規模な寺院で
した。
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次にワット・シェントーンに行きました。
世界遺産ルアンパバーンを象徴する1560
年建立の寺院です。ラオスの中で最高級の美
しさを誇るそうです。確かに、この写真の壁
に描かれた「マイ・トーン(黄金の木)」は職
人技が光るモザイク画だそうです。
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本堂の側面も黄金のレリーフで飾られていま
す。
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靴を脱いで(裸足または靴下で上がるので、
予めサンダルに履き替えておきました。また、
半ズボンなどの方は、門付近で「貸しシン」
を腰に巻いて参拝ですので、ご注意を!)、
本堂に上がり、ラオス風の参拝の仕方を学び
ました。
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1960年に行われたシーサワンウォン王の
葬儀の際に使われた霊柩車庫ですが、黄金に
輝く壁面にはびっくりです。この中にある龍
の首を持つ霊柩車もものすごいものですが、
1975年に王政が廃止されラオス人民民主
共和国になってからは誰でも2万キープ(2
00円)払えば見ることが出来ます。
側に咲く花の名前を調べましたが、分かりま
せん。国花のプルメリア(インドソケイ)か
なと思っていますが分かりません。
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屋根が有名なので、この角度で撮影しました
が、あまり良くは写りませんでした。
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各地の廃寺にあった立像を集めて車庫の後ろ
に並べてありました。
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ここは、最後に訪れたワット・マイです。本
堂ではないですが、僧坊みたいな場所です。
我々が行くと閉まっていたドアが開き、中に
は入れる様にしてくれました。右のガラスケ
ースの中には多分「生き仏」様が祭られてい
ました。
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ここが本堂ですが、本堂の正面に仏教の輪廻
を表現した黄金のモチーフが刻まれていまし
た。天井にもモチーフが施されていました。
写真は側面のものしかないのが残念です。
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本堂の中にあった仏像ですが、顔の表情がち
ょっと面白かったです。
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長い一日を終え、ホテルに戻りシャワーを浴
びると生き返ります。これからナイト・マーケ
ットと夕食に行きます。その前にメコン川方
向の夕日を撮影しました。本当は河原まで行
って夕日を撮影するのが最高だそうです。
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ナイト・マーケットで娘たちへのお土産「シン」
を買いに行きましたが、添乗員さんにアドバイ
スをもらいましたので素敵なシンが買えました。
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夕食は、ミサイボーンというレストランでラ
オス料理を食べました。今回の旅はほとんど
ラオス料理でしたので、この写真の様な感じ
でした。竹製のおひつ(ティップ・カオ)に
赤米が入っています。赤米は塩をかけるとほ
とんど赤飯と同じになります。赤飯好きの私
は毎回全部食べてしまいました。塩が出てな
いレストランでは、スマホの翻訳アプリを使
って店員さんに「塩が欲しい」と楽しい会話
をしました。野菜やスープは煮たものが多い
ので、日本の家庭料理と同じで大変食べやす
かったです。
赤米は高級レストランだけと後で知り、ラオ
ス人の主食カオ・ニャオ(もち米)だそうで
す。1回だけカレーにつけて食べる場面があ
りましたが、ちょっとベタベタ感があったの
を記憶しています。
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9/27(火)
午前中、ホテルのプールに行きました。この
側にジムとスパがありました。
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現地のガイドさんで1週間ずっとお世話にな
りました。ラオス人ですが、東京に2年間い
たこともあり、日本語はペラペラでした。い
ろいろな意味で大助かりでした。
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ルアンパバーンの町並みを撮影しました。
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帰国の飛行機の時間まではだいぶあるので、
午後は、オプション・ツアーが組まれていま
したので、それに参加しました。
「クアンシーの滝とモン族の村の訪問」です。
この写真のように、山岳地帯に入る前にお米
の田んぼが広がっていました。
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「クアンシーの滝」です。水量が多く、手前
の橋の上に立つとオゾンの霧が体一杯に降り
注ぎます。あまり長くたっているとびしょ濡
れになるので、ほどほどにしましたが、ヨー
ロッパやアメリカの娘たちはビキニ姿で滝の
中に入り楽しんでいました。さすが自由奔放
な国の人々ですね。アジア系の人は誰も真似
していませんでした。
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続いて、「モン族の村」に行きました。ガイ
ドブックに載っているモン族の娘の綺麗な衣
装を拝見するつもりでしたが、どちらかとい
うと、ベトナム戦争以降の後遺症(モン族の
一部がアメリカ軍に協力したので、ベトナム
軍やラオス軍により掃討され、その多くが限
られた村に押し込められている)の村のよう
でした。綺麗な衣装はありませんでしたが、
さすがに刺繍は素晴らしかったので、刺繍入
りのショルダーバッグ(1個1ドル)を3個購
入しました。シンも購入したかったのですが、
こづかいが無くなりましたので、諦めました。
こづかいの件ですが、旅行前に1万円を現地
でキープに変えれば十分ですというので、カ
ードと日本円を持って行っただけでしたが、
なんとUSAドルがあちこちで使えたので、ドル
で5万円ほど(500ドル)持って行けば良か
ったと反省しきりです。というのは、ATM
が接続不備で私のVISAカードが使えない
ことが判明しました。帰国後チェックすると
何も問題はありませんでしたので、カードへ
の不信感が募りました。
仕方が無いので、添乗員さんに40ドル
(4000円)を借りたり、友人に10ドル
(1000円)借りたりで凌ぎました。当然
現在のレートでお返しはしました。
唯一日本円がキープに変えられる両替屋
窓口で、2万円(約160万キープ)を利用
して、タラート・サオで妻用のお土産「正装用
シン」を75万キープ(7500円)で買う
ことが出来ました。
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ハノイを経由して成田に帰ってきましたが、
解団式をハノイの待合ロビーで行いました。
全員ケガも無く食中毒も無く楽しく勉強にな
る旅行を終えることが出来ました。この旅を
企画した日本AALAと富士国際旅行社に感
謝です。
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