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<<<2016秋、ラオス平和の旅>>>



9/23(金)
ヴィエンチャンのホテルから見たメコン川
ラオスで最高のホテル「ドン・チャン・パ
レスホテル」に宿泊しました。
最初に「ワット・シーサケート」を見学し
ました。ワットとは、お寺のことです。
次に「ワット・ホーパケオ」の見学です。
黄金に輝く入り口のところで、添乗員の鈴
木さんを撮影しました。鈴木さんは「中国
東北部の旅」のときと同じ添乗員さんなの
で、いろいろお世話になりました。
ヴィエンチャンのメインストリートの真ん
中ほどにある観光地「パトゥーサイ(凱旋
門)」を見ながら「タート・ルアン」に向
かいました。
「タート・ルアン」は、ラオス王国時代の
仏塔です。ラオス人民民主共和国は、1975
年12月成立し、人民革命党による一党指導
体制ですが、65%以上の仏教徒と精霊信
仰の人々と見事に調和した「心優しい国」
でした。この日は仏塔の修理が行われてい
ました。タートとは、仏塔のことです。
ラオスの結婚式の民族衣装を着たモデルさ
ん達がいたので、写真を撮らせてもらいま
した。
「パトゥーサイ(凱旋門)」に登りました。
メインストリートと噴水公園が眼下に見え
ました。ラオスの人々も地方からたくさん
観光に来ていました。この凱旋門の上部に
はお土産物を売るお店があったのには驚き
ました。
「コープ・ビジターセンター(COPE)
を訪ねました。あまり公にされていません
が、ベトナム戦争時代、アメリカ軍によっ
て大量のクラスター爆弾がラオスに投下さ
れました。
上にある大きなケースが割れて小型の不発
弾が雨の様に降ってきたそうです。
その不発弾は、今でも大量に地面に埋没し
ており、それを踏んだり、子どもが遊んだ
り、煮炊きする熱で爆発したりと、手足を
失う事故が続いています。このセンターで
は、義足などを改良して生活できる様に取
り組んでいます。私たちは支援金を渡して
きました。
9/24(土)
ラオス平和連帯委員会を訪れ、カンパン会
長に「戦争するな!国際署名」個人分1400
0筆と団体署名500筆を手渡しました。ラオ
スは東アジア首脳会議の議長国です。先年
のマレーシア大使館への提出分を合わせる
と、個人署名が24000筆、団体署名500筆と
なります。
「ラオス人民軍歴史博物館」を訪れました。
戦車や軍用トラックなど戦争に使われた武
器などが展示されていました。
「ラオス国立博物館」を見学しました。14
世紀頃からのランサン王国の闘いの歴史や
19世紀に入ってからのフランスによる植民
地の時代、1945年日本軍によるラオス進駐、
1946年再度フランスによる植民地化、1953
年ラオス王国独立、1965年アメリカによる
爆撃開始、1975年ラオス人民民主共和国が
成立するまでの長いたたかいの歴史が展示
されていました。
見終わって外に出ると、卒業式を祝う屋台
がたくさん出ていました。9月が卒業式な
のですね。さらに、大人でも縫いぐるみを
もらって祝う風習は面白い。
「タラート・サオ」という市場に行きまし
た。タラートとは、市場という意味です。
この店でお土産用の10袋入ったドライ果実
を購入しました。他の店で、ラオス・コー
ヒー豆と巻きスカート「シン」を購入しま
した。シンは家族に渡したら、とても綺麗
なので喜んでくれましたが、あまり着る機
会はないようです。
夕食のレストランで、ラオスの民族舞踊を
見ました。女性が着ている巻きスカートが
シンというものです。裾に刺繍がしている
魅力的なスカートです。巻きスカートなの
で、ウエストの太さに関係なく着れるのが
嬉しいですね。このレストランは、サロン
サイと言って、ラーンサーン・ホテルの1
階にあり、ラオス舞踊ショーを催すレスト
ランとして有名です。
9/25(日)
ヴィエンチャンの空港から国内線で古都ル
アンパバーンに向かいました。賞味45分
間のフライトでしたので、あっと言う間に
到着です。
昼食はパークファイ・ミーサイというラオ
ス料理店に入りました。オ・ラーム(肉と
野菜の煮込み)やうま味の詰まったルアン
パバーン・ソーセージを美味しくいただき
ました。店員さんの来ているポロシャツが
素敵なので、写真に撮りました。
レストランの斜め向かいに素敵な建物があ
りましたので、写真に撮りました。後で調
べると、ビラ・チャンパーというビラタイ
プのゲストハウスでした。こういう中級の
ホテルに泊まって街を楽しむのも良いです
ね。
最初の見学地は、ルアンパバーン国立博物
館(元王宮)です。館内は撮影禁止なので、
紹介できませんですが、中央に位置する
「謁見の間」のステンドグラス風のガラス
細工は素晴らしいものがあります。なお、
この写真は入り口付近にあるパバーン像安
置祠です。
次に「プーシーの丘」に登りました。32
8段の階段でしたが、私は軟弱な体力の所
為か4回も休憩しながら登りました。80
歳代のご婦人もしっかり登っていましたの
で、帰国後の体力作りを決意しました。こ
の写真は、メコン川の支流のナムカーン川
方面の町並みです。
ルアンパバーンの町並みです。緑に覆われた
南国の町並みですね。
ここでの宿は、サンティ・リゾート&スパで
す。なんとベットにレースの蚊帳が吊されて
いました。虫除けスプレーを部屋の中に噴射
しましたが、この蚊帳があれば大いに安心で
すね。想像していたより蚊はいないようでし
た。テレビでは、ラオス国内の情報が見られ
ましたし、台湾放送ではテレサ・テンの歌も
聴くことが出来ました。NHKの海外放送で
は、英語ですが日本国内の様子も知ることが
出来ました。そこで相撲の豪栄道の優勝を知
りました。また、ラオス美女コンテストの紹
介をしているのも拝見し、顔だけで無く巻き
スカートの「シン」の色鮮やかさに心引かれ
ました。さっそく娘たちの分のシンもナイト
・マーケットで購入しました。安いのは、
100000キープ(1000円)でしたが、
現地の人の物価感覚では5000円くらいは
しそうです。
9/26(月)
部屋はリゾート風で、バルコニーからプール
なども見えました。
食事の際出てくる「ドラゴンフルーツ」は最
高の味でした。すっかり気に入りました。
主食のお米の田んぼと案山子がホテル内の一
角にありました。
最初に「メコン川クルーズ」です。細長いエ
ンジン付きの船で1時間遡っていきました。
この船は後ろの方にトイレも付いているし、
メコン川は波があまりたたないし、川面から
吹き込む風の涼しいこと極楽気分の1時間半
でした。というのは、陸上では湿気がジワッ
とくるので汗だくです。
最初に到着したのは、酒造りの村で有名なバ
ーンサーンハイという村でした。この写真は
村のお寺です。どこへ行っても仏教のお寺は
大切にされていました。
このお酒の陳列棚の後ろで、ドラム缶を使っ
てお酒の蒸留をしていました。簡単な仕組み
でお酒が出来ることにびっくりしました。ラ
オスの焼酎「ラオ・ラーオ」はアルコール度
数が45度くらいあるようです。私はこのあ
との昼食時に飲んでみましたが、口の中がお
酒でワーッと広がりそれ以上飲めませんでし
た。水で3倍に薄めれば飲めると聞きやって
みましたところ、アルコール度数が15度く
らいになり、普通の焼酎となりました。この
あとは美味しくいただくことができました。
メコン川クルーズの目的地「パークウー洞窟」
に到着です。4000体以上の仏像が置かれ
ていました。私は入り口あたりでウロウロし
ていましたが、懐中電灯を持ってもっと上の
方の洞窟に行った人もいました。私は立派な
懐中電灯を買いましたが、役には立ちません
でした。入り口だけならば要らないですね。
昼食を食べた洞窟の川向こうのレストランで
す。ラオス料理も良かったですが、ここでは
米焼酎「ラオ・ラーオ」の印象が強いです。
午後は、ルアンパバーンに戻ってきて、お寺
巡りをしました。最初は、ワット・セーンで
す。1714年建立の比較的大規模な寺院で
した。
次にワット・シェントーンに行きました。
世界遺産ルアンパバーンを象徴する1560
年建立の寺院です。ラオスの中で最高級の美
しさを誇るそうです。確かに、この写真の壁
に描かれた「マイ・トーン(黄金の木)」は職
人技が光るモザイク画だそうです。
本堂の側面も黄金のレリーフで飾られていま
す。
靴を脱いで(裸足または靴下で上がるので、
予めサンダルに履き替えておきました。また、
半ズボンなどの方は、門付近で「貸しシン」
を腰に巻いて参拝ですので、ご注意を!)、
本堂に上がり、ラオス風の参拝の仕方を学び
ました。
1960年に行われたシーサワンウォン王の
葬儀の際に使われた霊柩車庫ですが、黄金に
輝く壁面にはびっくりです。この中にある龍
の首を持つ霊柩車もものすごいものですが、
1975年に王政が廃止されラオス人民民主
共和国になってからは誰でも2万キープ(2
00円)払えば見ることが出来ます。
側に咲く花の名前を調べましたが、分かりま
せん。国花のプルメリア(インドソケイ)か
なと思っていますが分かりません。
屋根が有名なので、この角度で撮影しました
が、あまり良くは写りませんでした。
各地の廃寺にあった立像を集めて車庫の後ろ
に並べてありました。
ここは、最後に訪れたワット・マイです。本
堂ではないですが、僧坊みたいな場所です。
我々が行くと閉まっていたドアが開き、中に
は入れる様にしてくれました。右のガラスケ
ースの中には多分「生き仏」様が祭られてい
ました。
ここが本堂ですが、本堂の正面に仏教の輪廻
を表現した黄金のモチーフが刻まれていまし
た。天井にもモチーフが施されていました。
写真は側面のものしかないのが残念です。
本堂の中にあった仏像ですが、顔の表情がち
ょっと面白かったです。
長い一日を終え、ホテルに戻りシャワーを浴
びると生き返ります。これからナイト・マーケ
ットと夕食に行きます。その前にメコン川方
向の夕日を撮影しました。本当は河原まで行
って夕日を撮影するのが最高だそうです。
ナイト・マーケットで娘たちへのお土産「シン」
を買いに行きましたが、添乗員さんにアドバイ
スをもらいましたので素敵なシンが買えました。
夕食は、ミサイボーンというレストランでラ
オス料理を食べました。今回の旅はほとんど
ラオス料理でしたので、この写真の様な感じ
でした。竹製のおひつ(ティップ・カオ)に
赤米が入っています。赤米は塩をかけるとほ
とんど赤飯と同じになります。赤飯好きの私
は毎回全部食べてしまいました。塩が出てな
いレストランでは、スマホの翻訳アプリを使
って店員さんに「塩が欲しい」と楽しい会話
をしました。野菜やスープは煮たものが多い
ので、日本の家庭料理と同じで大変食べやす
かったです。
赤米は高級レストランだけと後で知り、ラオ
ス人の主食カオ・ニャオ(もち米)だそうで
す。1回だけカレーにつけて食べる場面があ
りましたが、ちょっとベタベタ感があったの
を記憶しています。
9/27(火)
午前中、ホテルのプールに行きました。この
側にジムとスパがありました。
現地のガイドさんで1週間ずっとお世話にな
りました。ラオス人ですが、東京に2年間い
たこともあり、日本語はペラペラでした。い
ろいろな意味で大助かりでした。
ルアンパバーンの町並みを撮影しました。 帰国の飛行機の時間まではだいぶあるので、
午後は、オプション・ツアーが組まれていま
したので、それに参加しました。
「クアンシーの滝とモン族の村の訪問」です。
この写真のように、山岳地帯に入る前にお米
の田んぼが広がっていました。
「クアンシーの滝」です。水量が多く、手前
の橋の上に立つとオゾンの霧が体一杯に降り
注ぎます。あまり長くたっているとびしょ濡
れになるので、ほどほどにしましたが、ヨー
ロッパやアメリカの娘たちはビキニ姿で滝の
中に入り楽しんでいました。さすが自由奔放
な国の人々ですね。アジア系の人は誰も真似
していませんでした。
続いて、「モン族の村」に行きました。ガイ
ドブックに載っているモン族の娘の綺麗な衣
装を拝見するつもりでしたが、どちらかとい
うと、ベトナム戦争以降の後遺症(モン族の
一部がアメリカ軍に協力したので、ベトナム
軍やラオス軍により掃討され、その多くが限
られた村に押し込められている)の村のよう
でした。綺麗な衣装はありませんでしたが、
さすがに刺繍は素晴らしかったので、刺繍入
りのショルダーバッグ(1個1ドル)を3個購
入しました。シンも購入したかったのですが、
こづかいが無くなりましたので、諦めました。

こづかいの件ですが、旅行前に1万円を現地
でキープに変えれば十分ですというので、カ
ードと日本円を持って行っただけでしたが、
なんとUSAドルがあちこちで使えたので、ドル
で5万円ほど(500ドル)持って行けば良か
ったと反省しきりです。というのは、ATM
が接続不備で私のVISAカードが使えない
ことが判明しました。帰国後チェックすると
何も問題はありませんでしたので、カードへ
の不信感が募りました。

仕方が無いので、添乗員さんに40ドル
(4000円)を借りたり、友人に10ドル
(1000円)借りたりで凌ぎました。当然
現在のレートでお返しはしました。
唯一日本円がキープに変えられる両替屋
窓口で、2万円(約160万キープ)を利用
して、タラート・サオで妻用のお土産「正装用
シン」を75万キープ(7500円)で買う
ことが出来ました。
ハノイを経由して成田に帰ってきましたが、
解団式をハノイの待合ロビーで行いました。
全員ケガも無く食中毒も無く楽しく勉強にな
る旅行を終えることが出来ました。この旅を
企画した日本AALAと富士国際旅行社に感
謝です。

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