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2004夏、飛騨高山の旅

7月31日(土)出発→松本市

 10時30分に家を出発した。東松山から関越道に乗り、藤岡から上信越道に入り、佐久ICで高速 道を降りた。岩村田の街中を通って、中山道に沿って、塩名田宿、八幡宿、望月宿、茂田井宿、芦田宿、 中山道の松並木と昔の古い町並みを通っていった。ナビが古いのが幸いしたのかもしれない。何せ新し い道が表示されないので、全部古い道筋に行っているからだ。  昔通って印象的だった笠取峠の公園が見れてうれしかった。この後長久保と大和橋の間のファミリー マートでトイレ休憩をしたら、スポーツ車が数台猛スピードで通り過ぎていった。トイレ休憩したので、 巻き込まれなくて良かった。  大和橋から右に折れて、国道142号に乗ってすぐ、和田宿で美ヶ原方面に曲がろうかなと思ったが、 時間が14時30分を過ぎていたので、通り過ぎたのだが、またまた古いナビは県道67号を曲がれと 指示していた。ナビを動かしてみたら、美ヶ原の近くに行くようだったので、そのまま信じて突き進ん だ。ところがこの67号線は1車線で、落ち葉だらけ、対向車もいない。もし台風10号がこっちに来 ていたら、崖崩れで被害に遭いそうな道だった。大きな道路(県道460号)に出るまで、出会った車 は5台のみだった。四国の山中を思いだした。記憶に残る山道だろう。  扉峠を越したときも、新しい道(よもぎこば林道)に反応しないで、古い道67号線を突き進んだ。 笹藪の中を突き進む1台の車という感じである。数台とすれ違ったが、不思議なことに細い場所でなく、 必ずすれ違える場所だった。不思議である。  扉温泉には人がたくさんいた。温泉に入りたかったが、時間のこともあったので、先を急いだ。山を 下りると、松本市に入ったので、そうとわかれば、扉温泉に入っておけば良かったかなと反省している。  ホテルルートイン松本インターには16時すぎに着いた。2ヶ月前にインターネットで予約していた ので、朝食付きで6,500円で安くあがったと思ったが、1階の食堂で生ビールとつまみ類を頼んだ ら、1,500円かかったので、2食付きの8,000円の民宿と同じになってしまった。

8月1日(日)上高地→白骨温泉→新穂高ロープウェイ→平湯温泉

 沢渡(さわんど)駐車場に車を預けたのが、9時だった。沢渡には駐車場が5つあって、下から沢渡 大橋、沢渡、沢渡上、岩見平、茶嵐である。私は、最初の沢渡大橋駐車場に置いたが、シャトルバスが 止まりながら上高地に向かうので、どこに置いても大丈夫だと思った。  駐車場代が500円で、バスの往復が1,800円だったので、そんなに高い気がしなかった。  長年の願望だった上高地分岐点を右に折れるバスに揺られた。しばらく行くと、気温は26°と快適 温度になってきた。大正池停留所で降りると気持ちの良い風も吹いてくる。     大正池には絵葉書でおなじみの枯れた白樺の木が池面に浮かんでいた。後ろにそびえる焼岳も活火山 だと言うことで、雄大にそびえていた。     田代池と自然研究路の木道である。     梓川(あずさがわ)沿いに進む。川の水は澄みきっていて冷たく、飲めそうだったが、地元の人が上 流に小屋などがあるから飲まない方がよいと言っていた。     上高地の真ん中を梓川は悠然と流れていく。日本アルプスを世界に紹介した英国人「ウォルター・ウ エストン」を記念する碑が田代橋付近にあった。     川沿いに咲く花を接写したが、うまく写らない。     大正池から河童橋手前までゆっくり歩いてきたので、1時間ぐらいで行けるところを1時間半かかっ てしまった。右足の踵(かかと)が痛いのも遅くなった原因である。時間が11時半頃になったので、 右上の写真にある梓川沿いの食堂(西糸屋山荘)でカツカレーを食べた。美味しかった。        上高地の中心部にある河童橋である。今日は日曜日だったこともあって押すな押すなの大賑わいであ った。穂高連峰の姿が美しくそびえ立っていた。     帰りは上高地バスターミナル(河童橋そば)から、スムーズに沢渡大橋に戻ってきた。下は30°く らいあるのか日射が暑かった。  上高地はもう少し時間がかかると思ったが、独り身なので、家族連れのように座っておしゃべりをし たり、恋人同士のように写真を取り合ったりすることもなく、そそくさと歩いた性か短時間で終わって しまった。今度来るときは、孫や娘夫婦と楽しみながら歩いてみたいものだ。(誤解しないでください。 まだ二人の娘は結婚していない。将来への願望です。)おっと今度来るときは、妻を連れて来よう。  このまま宿へ行っても早すぎるので、ナビを見ていると、あのテレビでおなじみの白骨温泉がすぐそ ばにあるではないか。と言うことで、温泉に入りに行った。     無料駐車場のそばに白骨温泉入り口の標識があった。そのすぐそばの煤香庵で日帰り入浴をした。や はり浴槽は白かった。本当に白いのか入浴剤を入れたのかは定かではないが、事件の後だから、たぶん 本当に白いのだろう。帰り道に白骨温泉野天風呂を覗いたが、事件の責任をとってか営業中止になって いた。  思ったほど煤香庵の温泉は広くなくて、あっという間に出たので、明日行く予定だった新穂高ロープ ウェイに行くことにした。空は青空なので、昔乗ろうとしたとき雨天のため霧が出て中止したリベンジ だと思って行くことにしたのだ。     ロープウェイは第1と第2の2つからなっている。往復で2,800円だったが、リベンジなので高 く感じない。第1ロープウェイの鍋平高原駅とそれに連なるしらかば平はスムーズに行ったが、なんと 第2ロープウェイの安全装置トラブルで30分以上待たされてしまった。いつもなら怒って帰ってしま うところだが、リベンジなのと青空なので、グッと我慢をした。やっと2階建てで有名なロープウェイ がやってきた。     ロープウェイから見た焼岳と穂高連峰です。焼岳はすぐにわかるのですが、他の山々の名前について は、ちょっと自信がないので悪しからず。     真ん中の写真の焼岳は、1日のうちに表と裏から見たことになる。ずいぶん姿形が違うものだ。     右上の写真は、西穂高岳の稜線にある西穂山荘である。望遠でとったので、実際の倍率の写真ではは っきりと山荘が写っている。  ロープウェイの頂上の西穂高口駅では気温が19°と爽快であった。気分良く帰路についた。30分 で今日泊まる平湯温泉「宝泉館」に着いた。予想以上の鄙びた温泉宿であったが、温泉は良いお湯が出 ていた。窓を開けると山から涼しい風が吹き込んできた。2食付きで11,700円はちと高すぎるけ ど、女将さんが良さそうなので「良し」としよう。  明日は、飛騨高山の市内見学でもすることにしよう。

8月2日(月)平湯温泉→飛騨神岡→飛騨宮川→飛騨古川→高山市

    涼しい夜だった。熟睡して目覚めたら青空だった。昨日以上の突き抜けるような空だ。これだったら 今日新穂高ロープウェイに行けば良かったかなと反省した。お世話になった宝泉館を記念撮影した。  折角来たのだから神岡のスーパーカミオカンデに行ってみようと、国道41号線を富山方面に向かっ て進んだのだが、発見できなかった。ホテルでカミオカンデのホームページとmap地図を見たら、茂 住(もずみ)駅のそばで国道沿いで交番の反対側に(つまり国道の左側)研究棟があった。ずっと右に あるという意識でいたので見逃したのである。入れてはくれないだろうが見逃したのは残念だ。  道の駅「細入」までいったが、ここは富山県なので、引き返すことにした。もうカミオカンデは意識 から遠ざかっていた。猪谷(いのたに)から茂住に帰らず(帰っていれば見つけていたかもしれない が)、国道360号線を飛騨宮川を目指していた。同じ道を通りたくないと言う理由だけだ。  国道360号線は昔の細い国道だが、並行して建設中の大きな道路が一部開通していた。大きなトン ネルに私の車1台だけしか通っていないような所にお金をかけて作る必要があるのかと北海道の時に感 じた同じ感想をつぶやいていたが、旧道沿いに「国道360号線の早期建設と町の未来を」と言うよう な看板を見ると、発展を希望する地元の人の願いも思わざるを得ない。しかし、この細い国道と川沿い に走る風景の素晴らしさに感動を覚えていた。写真を撮れば良かったが、この風景は写真では表せない。 心の豊かさを感じる風景である。  飛騨古川町では捜し物をして迷い込み、山の上の素敵な学校である岐阜県立吉城高等学校の正門へ入 ってしまった。後でホームページを見て興味を受けたので、リンクするようにした。  11時頃、高山市に入った。高山駅そばの市営駐車場に車を入れた。徒歩で町を散策する計画だ。と 言うのは、この旅行をする計画時点で、ホームページ「熟年夫婦の遊々紀行」で「秋雨の飛騨高山」と 言うコーナーを発見し、このコースを歩いてみたくなったからだ。     最初のスタートが飛騨国分寺。三重の塔と1200年経つという大イチョウの木を撮影。東に向かっ て歩くと、宮川にかかる鍛冶橋のたもとに飛騨名物だんご屋台の二四三屋があった。みたらしだんごを 1本買って食べながら歩いた。     宮川朝市は戸締まりの準備をしていた。時間は11時半だものね。弥生橋まで行くと、古い住宅街に 出た。最初に日下部民芸館に入った。     日下部民芸館は、江戸時代の技法で建てられたものなので、天井の梁が美しい。真ん中は日下部民芸 館の軒先。右上はその隣にある吉島家住宅。ここは明治の頃の豪商で、飛騨の匠(たくみ)の名工・西 田伊三郎によって建てられたもの。     吉島家住宅の中庭や柱や梁は艶光りがして美しい。吉島家を出るとすぐに飛騨そば処・紀文があった。 どのそばも美味しいとホームページに書いてあったので、とろろそばにした。900円だった。美味し いとろろとそばだった。     桜山八幡宮(秋に行われる高山祭はここの祭礼)の表参道に出たので、八幡宮に向かって進んだ。八 幡宮は工事中だったので、その左にある高山屋台会館に入った。入り口で写真屋さんが商売で撮影して いたので、1枚撮ってもらった。(写真屋さんのは買わなかった。ごめんなさい。)会館は高山祭りの 大きな飾り付けの立派な屋台がたくさん展示してあった。     どれを見ても飾り付けは立派で、飛騨職人の器用さが現れていた。この会館の隣に桜山日光館があっ た。日光の東照宮のミニチュアが精巧に作られ展示されていた。東照宮を造った左甚五郎は飛騨高山の 出生と言われており、10分の1のミニチュアは後輩に当たる飛騨職人の手で作られたという。     すぐに獅子会館があった。からくり人形が上演されていた。左はお茶を運ぶ人形、右は墨で字を書く 人形である。からくり人形の精巧さを感じた。     少し歩いて、上三之町の古い町並へ向かった。ありとあらゆる古い木工品や嗜好品を売る店が古い町 並みで延々と続く。何を買って良いか迷って、埼玉にいる妻に携帯で問い合わせたら、「店が見えない のでわからないから何も買わなくて良い」とけんもほろろである。今度来たとき連れて行ってあげるよ と言って電話を切った。古い町並みを過ぎると、有名な高山陣屋に出た。     最初の写真は、入り口にあった青海波と言う模様の壁である。高山陣屋の中は広くたくさんの部屋が あり、その当時の勢いを感じさせる。     土蔵も広く中にいろいろな展示物があった。ちょうど山岡鉄舟の展示会が開かれていた。私は興味が あったので、熱心に拝見した。特に鉄舟の父親の小野朝右衛門高福が天領時代(高山は江戸幕府直領だ った)の郡代としてここ高山にいて、山岡鉄舟も小野鉄太郎として7年間の時期を高山で過ごしたそう だ。そこでの体験が、小野鉄太郎を山岡鉄舟に育てていく。そばに銅像があったので写した。なお、父 母はここ高山で没したそうだ。  全部見ても15時には見終わって、ちょっと早いがホテルに向かった。ホテルは、ホテルα−1高山 バイパスと言って、14階建てのシングル4,900円だけれどインターネット100M使い放題の超 ナウいホテルである。ここで3日間滞在する。それでも約15,000円だ。部屋はシャワレットだし、 ズボンプレサーまでついている。今、BGMを聞きながらアップの作業をしている。やっぱり100M は早くて良い。  明日から、高山市民文化会館で数教協の全国大会が3日間開かれ、それに参加する。学習会の様子の レポートになるが悪しからず。

8月3日(火)数教協全国大会1日目

 朝9時にホテルを出て、高山市民文化会館へ向かったが、すぐに着いた。  9時半から入門講座が開かれていた。これは早めに来た人用に講座をしているのだ。私は例年、三重 大学の上垣渉先生の「数教協50年の歴史」を楽しみにしている。今回は、明治後期の藤沢利喜太郎が 「量の排除」に至った原因を分析する内容だった。日本の算数教育に与える重要な岐路なので興味があ った。  昼休みに高山市内に食べに出た。いろいろ探しているうちに昨日行った鍛冶橋まで歩いてしまった。 鍛冶橋の前にある飛騨高山中華そば「鍛冶橋」で飛騨牛中華そば1,200円を食べた。縮れ麺と飛騨 牛2切れは美味しかったが、つゆ味が私には少し合わなかった。明日は高山ラーメンを食べてみよう。    右の写真は、久しぶりにあった埼玉の高橋先生。元気そうだったので、ホッとした。しばらく連絡が 取れなかったからだ。今年は時間に余裕があったので参加できたそうだ。左は開会式の司会の先生。     開会行事を演じた斐太農林高校の太鼓部の皆さんの勇姿です。参加者はこの時点では少なかったが、 最終的に750名が大ホールに全国から参加した。    開会式の最初の挨拶。左は野崎数教協委員長、右は広田実行委員長です。    14時30分から16時30分の2時間、本日のメインの記念講演があった。名古屋大学の理論天体 物理学専門の池内 了先生(泡宇宙論で有名)の「21世紀の科学・技術と教育」である。20世紀の 科学と技術の分析と反省の上に立って、21世紀はどうあるべきかを論じてくれた。その講演の随所に 21世紀の教育の論点がちりばめられていた。  恒温動物から進化した新しい類「成長類」として人類は新しい時代に入ったことを自覚して、地球環 境と正面から向き合い、それとともに生きる時代が21世紀なのだろう。  1日目が終わった後、ホテルのそばのピュア高山内のスーパー駿河屋で食事を購入した。夜と朝で2, 330円は少し高すぎたけど、弁当よりはバラエティに富んでいると思う。

8月4日(水)数教協全国大会2日目

 朝9時にホテルを出て、今日は高山グリーンホテルが会場である。高山市内にある立派なホテルだ。  午前中は第18分科会の「解析幾何、初等幾何、ベクトル、行列」に参加した。近畿の佃 十信先生 の「チェバ・メネラウスの定理について」を聞いた。教具を利用して説明していたが、その情熱には脱 帽してしまう。  昼休みに高山ラーメンを食べに出た。高山グリーンホテルのすぐそばの「甚五郎らーめん」だ。行列 のできるラーメン屋だった。しかし、縮れ麺やつゆ味が昨日の高山中華そばに似ている。あとで、観光 案内を見ていると、高山中華そばの店と書いてあった。らーめんでも高山ラーメンではないようだ。そ れとも高山中華そばのことを高山ラーメンと言うのだろうか。美味しいらーめんだったし、値段は55 0円ととても安かった。    午後は違う分科会に参加した。第17分科会の「微積分」だ。左は姫路の早川克彦先生、右は東京の 草K(くさなぎ)浩二先生だ。大変参考になる資料が手に入ってうれしい。  このあと発表のあった愛知の勝野元薫先生の「ヴォルテラの微分方程式」には興味が俄然沸いてきた。  16時30分に終了したので、今日はコンビニで食事を買った。実は昨日の食材は多すぎて余らして しまったからだ。やっぱり旅行中はコンビニ弁当が最適なのかもしれない。今日は牛丼弁当だ。野菜が ないので、サラダセットも買った。美味しかったし、栄養バランスも良かった。  ホテルについてすぐ、ホテル2階にある大浴場に入りに行った。男専用だが、ホテルの室内バスと違 ってジェットバスもあり、広々としているので久しぶりにゆったりした。  今日は高山市内の宮川沿いの公園で19時30分から花火大会が開かれている。ホテル5階の部屋か ら小さく花火が上がっているのが見える。  上の写真は3日間お世話になった502号室内である。インターネットができるのが最高である。  明日は最終日だが、飯島さんと茂呂さんと鴇田さんとの4人で、白川郷へ世界遺産の合掌造りの里へ 見学に行く予定である。

8月5日(木)数教協全国大会3日目→白川郷

 朝9時に3日間いたホテルα−1高山バイパスに別れを告げ、高山市民文化会館へ出かけた。ちょう ど私鉄総連の定期大会とぶつかり、駐車場が一杯だったので、駅西駐車場まで置きに行った。    数楽サロンは、長野の新海 寛先生の「環境のはなし」に参加した。プラスチック公害についての話 で、杉並病の原因がよくわかった。これからは、PE(ポリエチレン)とPP(ポリプロピレン)とP VC(塩化ビニール)とPS(ポリスチレン)の分別に気をつけようと思った。    閉会集会の山下 徹さんの挨拶と次回の広島大会の中原 宣さんの挨拶をもって第52回の数教協全 国研究大会は幕となった。  正午に、埼玉の飯島さんと茂呂さんと宮城の鴇田さんと私の4人で白川郷見学に行くことになった。       途中立ち寄った荘川桜の前で写真を撮った。左の2枚はクリックすると拡大します。     旧遠山家の合掌造りの家である。昔は40人いっぺんにここで暮らしていたという。中は5階だって の大きな家だった。真ん中の写真はクリックすると拡大します。       白川郷を小雨が降る中見学して歩きました。ちょっと歩けば見て回れる大きさの村でした。       荻町城跡展望台から見た白川郷全体の写真です。左と右はクリックすると拡大します。     ここは一番大きな国指定重要文化財の和田家です。現在も住んでいるので、全部は見れませんでした が、大変大きく立派な家でした。    お土産を買って、茂呂さんは高山行きのバスに乗り帰っていきました。鴇田さんは旅館を予約してい たので、ここでお別れです。また来年広島で会いましょう。

8月6日(金)白川郷→帰宅

   私と飯島さんは2ヶ月前予約して置いた合掌造りの民宿「志みづ」に泊まりました。お客さんは3部 屋5人のこぢんまりした民宿ですが、女将さんが一人で切り盛りをしていました。涼しくてぐっすり眠 れました。こういう民宿も良いものです。同宿した大阪の娘さんたちとも会話がはずみました。2食付 きで一人8,000円でしたし、食事も素朴で美味しく満足いくものでした。  朝8時半に民宿を後にしました。折角ですから白山へ行くスーパー林道に少し立ち寄りましたが、雨 雲がかかっていたので肝心の白山は見ることができませんでした。途中から引き返し、高速道に乗って 帰ってきました。  東海北陸自動車道に白川郷(飛騨清見と白川郷の間がまだ未開通)から乗り、五箇山を通り、小矢部 栃波ジャンクションで北陸自動車道に乗り換え、高岡、富山と通り過ぎ、たくさんある北陸トンネルを 通り抜けると親不知の日本海が眼前に開けてきました。台風11号の余波がまだ少し感じられました。  再びトンネルが続き、一息ついた名立谷浜サービスエリアで昼食休憩にしました。その後、車は順調 に上越、柏崎と通り過ぎ、長岡ジャンクションで関越道に乗り換えました。湯沢を通り過ぎ、期待して いた関越トンネル(長かったが、大変明るく運転はすこぶるしやすかった)を抜けて、水上、渋川、前 橋、花園とスムーズに過ぎ、東松山ICで高速道から降りました。15時でしたので、高速道は、約6 時間乗っていたことになります。だいたい平均時速120kmだったようです。不思議でスピードは慣 れると100kmのような感覚でした。その後飯島さんを自宅まで送ってから、家にたどり着いたのが 17時でしたので、今日は9時間近く運転していたことになりますが、二人ずれだったので苦にはなり ませんでした。  以上で6泊7日間の飛騨高山の旅は終わりになります。ありがとうございました。