8月2日(月) 出発→大津京滋賀県の大津まで高速道路でゆっくり休みながら行って6時間の運転でした。圏央道で 八王子に出て、中央道に乗り換えて行きましたが、有料道路代は吃驚の約1万円強でし た。土日に出れば良かったと反省しました。歳をとってきたので、東名高速よりは中央 道の方が安心です。 西大津(現在は大津京と呼ばれる)のビジネスホテルに着きましたが、ここで三連泊で す。夕食を買いに街に出ると、ジャスコがありました。どこででも見る館内なので、デ ジャブな感じです。朝食と夕食と飲み物(ビールは飲まないので、飲料水)を買い込み、 部屋の冷蔵庫に詰めておきます。三連泊の良さですね。 昔はみんなと一緒に寝泊まりし勉強しましたが、イビキ対策と豪華な夕食が食べれなく なったと言う理由から最近ではほとんど近隣のビジネスホテルに宿泊しています。 下の琵琶湖の地図にある番号の順に説明していきます。 |
8月3日(火) 園城寺(三井寺)①→数教協1日目午後から数教協(数学教育協議会の略)の全体会と講演会が始まるので、午前の空き時 間を使って見学に行きました。大津商業高校の山の手にある歴史博物館へ行き、その隣 の園城寺(おんじょうじ、三井寺)全体を見学しましたので、①の写真として掲載します。 マウスを当てると説明も出ます。以下同様。 (Wikipediaより抜粋) 三井寺の起源については、次のように伝承されている。大津京を造営した天智天皇は、念 持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが、生前にはその志を果たせな かった。天皇の子の大友皇子(弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没している。 大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智 天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。壬申 の乱で大友皇子と敵対していた天武天皇は、朱鳥元年 (686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与 えた。「園城」という寺号は、大友与多王が自分の 「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立 しようとする志に感じて名付けたものという。 なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・ 天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから 「御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて 三井寺となったという。 お昼からは、おごと温泉の琵琶湖グランドホテルの大広間を会場に開会式と講演会がも たれました。講演会は京都大学霊長類研究所所長の松沢哲郎先生の「人間とは何か-チ ンパンジー研究から見えてきたもの-」と言う題でチンパンジーのアイとその息子のア ユムの様子を中心に話していただきましたが、その内容の豊かさと面白さに圧倒されま した。会場からも次々と質問が出て、時間が足りない印象を持つぐらいの盛況でした。 久しぶりに充実した講演を聴き、満足してビジネスホテルに帰りました。 |
8月4日(水) 数教協2日目数学教育の全国大会2日目は「数学Ⅰ」の基礎(因数分解や2次関数)が午前と午後に分 けてありましたので、ただひたすら勉強でした。 |
8月5日(木) 数教協3日目→佐川美術館②→安土城跡③④→長浜花火⑤午前中は是非聞きたかった小島順先生(早稲田大学名誉教授)の数楽サロン「記号論理」 に熱心に参加したので、命題「p→q」の本当の理解がやっとできました。これらをもと に帰宅後、論理回路の補習プリントを作っています。 午後は友人ら(大沢さんと村嶋さん)と3人で琵琶湖周辺の見学に繰り出しました。
【佐川美術館】②
【安土 信長の館】③
【安土城跡】④
大沢さんは米原駅から帰宅しましたので、村嶋さんと長浜泊まりです。1ヶ月半近く前に ビジネスホテルを2室予約してありましたので、花火の日ではあったけれども良い部屋が とれました。
【長浜 花火】⑤
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8月6日(金) 竹生島⑥→長浜城⑦→北の庄⑧→浅井三姉妹像⑨
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