ひたち海浜公園の「ネモフィラ」
 と五浦海岸の「六角堂」を見る旅
(経路)   春日部→坂東IC→つくばJC→ひたち海浜公園IC   →ひたち海浜公園(海浜口駐車場)→東海村   →日立市→高萩市→北茨城市→五浦海岸   →六角堂見学→北茨城IC→美野里PA(遅い昼食)   →柏IC→春日部 (経費)交通費  約3500円(高速代、ガソリン代)     入場料  海浜公園 210円(65歳以上割引)          六角堂  300円     回遊バス 500円     食事代  各自

今朝のTVでネモフィラ開花の情報を
流していた所為か、高齢者組の車で
メインの南口と西口駐車場は入るま
での長蛇の列ができていました。
そこで、ぐるりと回て海浜口駐車場
に停めました。穴場で空いていました。
ネモフィラの咲いている小山まで遠い
と思い回遊バスに乗ろうとしましたが、
メイン入り口から乗った客が全然降り
ません。その点では失敗でした。
しかたなく歩き出しましたが、地図の
読み方が悪く逆方向へ行きかけました。
「船頭多くして船山に上る」の如しで
したが、社会専門のHさんの意見に従
ったところ、見事に大通りに出ました。
ネモフィラが奇麗に咲き誇る丘の前で
一人ずつ記念撮影
車を運転してくれた若手のSさん 写真とHP担当の太り気味の私(T)
ネモフィラの写真① ネモフィラの写真②
ネモフィラの写真③ ネモフィラの写真④
丘の上から ネモフィラの写真⑤
ネモフィラの写真⑥ ネモフィラの写真⑦
丘の麓で 別の場所にたくさん咲いていたチュー
リップ畑です。ここも大変奇麗でした。
ここからは、五浦海岸の六角堂の写真
です。岡倉天心の眠る土墓です。
岡倉天心から日本の美術を教わったア
メリカ人のラングドン・ウォーナー博
士の胸像です。奈良や京都が第2次大
戦中、爆撃の対象にならなかったのは、
彼の功績です。
岡倉天心が愛した五浦海岸① 岡倉天心が愛した五浦海岸②
六角堂への道標 太平洋の岸壁に立つ天心が遺跡の
シンボル六角堂
東日本大震災の津波によって流失し
たが、国の予算と多くの方の寄付金
で翌年に再建された六角堂
六角堂は、中国・インド・日本とい
ったアジアの伝統思想を表現した建
物という。
岡倉天心が愛した五浦海岸③ 天心が明治36年(1903年)40歳の
ころ五浦に出会い、ここを終の棲
家として建てた邸宅(観浦楼)
右の石碑の解説が書かれて
ありました
天心の「亜細亜ハ一つな里」と
いう東洋文化への思いが込めら
れた石碑。
太平洋戦争当時に海外侵略を正
当化するのに悪用されました。
平櫛田中の植樹 入口の長屋門