ひたち海浜公園の「ネモフィラ」 | |
今朝のTVでネモフィラ開花の情報を 流していた所為か、高齢者組の車で メインの南口と西口駐車場は入るま での長蛇の列ができていました。 そこで、ぐるりと回て海浜口駐車場 に停めました。穴場で空いていました。 |
ネモフィラの咲いている小山まで遠い と思い回遊バスに乗ろうとしましたが、 メイン入り口から乗った客が全然降り ません。その点では失敗でした。 |
しかたなく歩き出しましたが、地図の 読み方が悪く逆方向へ行きかけました。 「船頭多くして船山に上る」の如しで したが、社会専門のHさんの意見に従 ったところ、見事に大通りに出ました。 |
ネモフィラが奇麗に咲き誇る丘の前で 一人ずつ記念撮影 |
車を運転してくれた若手のSさん | 写真とHP担当の太り気味の私(T) |
ネモフィラの写真① | ネモフィラの写真② |
ネモフィラの写真③ | ネモフィラの写真④ |
丘の上から | ネモフィラの写真⑤ |
ネモフィラの写真⑥ | ネモフィラの写真⑦ |
丘の麓で |
別の場所にたくさん咲いていたチュー リップ畑です。ここも大変奇麗でした。 |
ここからは、五浦海岸の六角堂の写真 です。岡倉天心の眠る土墓です。 |
岡倉天心から日本の美術を教わったア メリカ人のラングドン・ウォーナー博 士の胸像です。奈良や京都が第2次大 戦中、爆撃の対象にならなかったのは、 彼の功績です。 |
岡倉天心が愛した五浦海岸① | 岡倉天心が愛した五浦海岸② |
六角堂への道標 |
太平洋の岸壁に立つ天心が遺跡の シンボル六角堂 |
東日本大震災の津波によって流失し たが、国の予算と多くの方の寄付金 で翌年に再建された六角堂 |
六角堂は、中国・インド・日本とい ったアジアの伝統思想を表現した建 物という。 |
岡倉天心が愛した五浦海岸③ |
天心が明治36年(1903年)40歳の ころ五浦に出会い、ここを終の棲 家として建てた邸宅(観浦楼) |
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右の石碑の解説が書かれて ありました |
天心の「亜細亜ハ一つな里」と いう東洋文化への思いが込めら れた石碑。 太平洋戦争当時に海外侵略を正 当化するのに悪用されました。 |
平櫛田中の植樹 | 入口の長屋門 |