所属団体の冊子に投稿した紀行文です。
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第23回全退教ツアーin愛媛「道後(子規博物館)・村上水軍博物館(潮流体験)
別子銅山・東平(東洋のマチュピチュ)を訪ねる3日間」に参加する車の旅
  第1日目 10月14日(土)写真へ
    久喜→幸手IC→八王子JC→岡谷JC→小牧東IC
    →明治村見学→小牧東IC→小牧JC→大津IC
    →大津・東横イン京都琵琶湖大津(泊)
  第2日目 10月15日(日)写真へ
    大津→大津IC→吹田JC→神戸JC→山陽姫路東IC
    →姫路城見学→山陽姫路東IC→岡山IC→吉備津彦神社
    見学(吉備津神社へ行く予定だったが間違えた)
    →楯築弥生墳丘墓見学→岡山IC→尾道IC→尾道・尾道
    ロイヤルホテル(泊)
  第3日目 10月16日(月)写真へ
    尾道→向島IC→大三島IC→大山祇神社見学→大三島IC
    →今治IC→タオル美術館見学→道後温泉駅集合(全退教)
    →子規博物館(講演:「水野広徳について」)
    →道後温泉・メルパルク松山(泊)
  第4日目 10月17日(火)写真へ
    道後温泉→松山城見学→今治IC→大島南IC→よしうみ
    いきいき館(潮流体験)→村上水軍博物館見学
    →大島南IC→今治IC→加計学園建設現場見学→今治・
    今治国際ホテル(講演:「上甲米太郎について」、泊)
  第5日目 10月18日(水)写真へ
    今治→今治湯ノ浦IC→いよ小松JC→新居浜IC→別子銅山
    マイントピア(ミニバスに乗り換え)
    →別子銅山・東平(東洋のマチュピチュ)見学
    →マイントピア(講演:「別子銅山で朴順童が死んだ」)
    全退教解散→新居浜IC→川之江JC→川之江東JC→鳴門JC
    →洲本IC→洲本・ハーバーホテル海月(泊)
  第6日目 10月19日(木)
    洲本→洲本IC→垂水JC→名谷JC→摩耶IC→知人宅訪問
    →新神戸駅→大石IC→西宮JC→小牧JC→飯田IC
    →飯田・ホテルルートイン飯田(泊)
  第7日目 10月20日(金)
    飯田→飯田IC→岡谷JC→更埴JC→藤岡JC→水上IC
    →みなかみ・サニックス(泊)
(経費)総経費
   (ガソリン代、高速道路代、宿泊代、全退教参加費含む)
    2人 約28万円 

第1日目 10月14日(土)

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中央道の甲府市近辺の双葉SAにて
山本勘助の顔出しパネルの中の妻
明治村の北口のSL東京駅から出発
するSL蒸気機関車
SL蒸気機関車の客車に座る妻
SL蒸気機関車の終点のSL名古屋駅
で手動で回転させる機関車の様子
市電名古屋駅から市電品川燈台駅
まで京都市電に乗りました
京都市電の前の太り気味の私
京都市電の中の様子
車掌さんの服装に雰囲気があります
3丁目の西園寺公望の別邸「坐漁荘」
の玄関で備え付けの傘でポーズを取る妻
幸田露伴住宅「蝸牛庵」の中はフリー
マーケットをやっていました
芝川又右衛門邸 北里研究所本館・医学館の入り口
(縦写真はクリックすると拡大します)
1丁目のメインである森鴎外・夏目漱石
住宅の猫像(私の右足の側)と記念写真
1丁目の碧水亭で昼食に食べた
「海軍カレー」
2丁目のレンガ通りを行き交う観光客 明治村の全体を見たい方は、2011年8月に
犬山市に宿泊して写真を撮ったページを
ご覧ください。
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第2日目 10月15日(日)

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姫路城 姫路城前公園 姫路城前公園
姫路城を背景に 白い壁が美しい姫路城 聳え立つ姫路城
石壁が美しい参道
クリックすると拡大
城内に入りました 武器がしまってあった部屋
たくさんの観光客 天守閣にあった神棚 すぐ下から見上げるように撮影
姫路市内を遠望 正面から撮影 岡山の吉備津彦神社へ
吉備津彦神社のさざれ石 巨大な燈明 吉備津彦神社の説明
結婚式をやっていました 歴史を感じさせる神社 温羅神社(吉備国の古代王鬼の神社)
吉備津彦神社の全貌 前庭にある池と小島 楯築弥生墳丘墓への参道
我々以外誰もいませんでしたが、
周りは住宅街でした
静かな上り道 頂上は古墳でした。一部水道タンクが
ありました。周りにたくさんの小さな
古代人の墓があります
尾道に到着 尾道ロイヤルホテルで宿泊

第3日目 10月16日(月)

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大山祇神社入り口
総門(約700年ぶりに再建)
大山祇神社参道
(雨で模様ができています)
遥か昔神武天皇が東征した折に
天照大神の兄神にあたる大山積大神
の子孫の小千命(こちのみこと、
河野家の先祖)が大三島に大山祇神社
を作ったと言われている。その小千命
が植えた楠(私の推定:樹齢1200年)
天然記念物の大楠 境内 新しく建て替えられた神門
金箔の立像(?) 宝篋印塔(ほうきょういんとう)
真ん中は一遍上人の建立
鎌倉時代
紫陽殿・国宝館
ビックリしたタオル美術館
今治市朝倉上甲2930
タオル製造工程 タオル製造工程
ムーミンの世界展 タオルアートコレクション タオルアートコレクション
タオルアートコレクション タオルアートコレクション タオルアートコレクション
タオルアートコレクション タオルアートコレクション 道後温泉本館

第4日目 10月17日(火)

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松山城見学ガイドさんより 城内 綺麗な城壁
クリックすると拡大 曲線の美の城壁 城への参道
筒井門から入りました 松山市内一望 攻め上がるのが困難な城壁
松山城内の公園 ロープウェイで上り下りします 城主の加藤嘉明像
松山城観光案内所からロープウェイ 今治から瀬戸内しまなみ海道で
大島のよしうみいきいき館へ
ここで昼食(みんなは海鮮バーベキュー)
でしたが、海鮮の苦手な私は鯛のお茶ずけ
を食べました
これから潮流体験です 3班に分かれてボート体験 はじめに橋桁の下へ
伯方・大島大橋 右波と左波が交差しています 伯方・大島大橋を遠望
来島海峡の島々(大砲が設置) 来島海峡の島々 来島海峡の島々
来島海峡の島々 今治の造船所 造船所(村上海賊の子孫たちから
造船が始まったようだ)
造船所 造船所 造船所
造船所 造船所 造船所
造船所(スクリューも見えます) 造船所 造船所
造船所 時刻的に潮流の波がざわめき出し
ました。海というより川のような
流れです。
よしうみいきいき館より村上水軍
博物館に移動。屋上から撮影
真ん中の島が能島です。
村上水軍博物館内 村上水軍博物館内 村上水軍博物館内
村上水軍博物館内 村上水軍博物館内 村上水軍博物館内
村上水軍博物館入口のレリーフ
和田竜の「村上海賊の娘」を
記念して建立
村上水軍博物館の全貌 村上水軍博物館の全貌
村上武吉の子・村上景親の像 村上海賊の機動力として
活躍した小早船
帰りに立ち寄った今治の加計学園
獣医学部建築現場の横の広場で
現地の方の話を聞く
右に工事中の岡山理科大獣医学部
の校舎の一部が見えます。名称は
どうなるのでしょうか?
この広場も何かに使われるようです。
莫大な市税や県税を使って何をしよう
としているのか!
一部ゼネコンのみ喜びそうな計画です。
今治の造船業を象徴するスクリュー
のオブジェ
宿泊する今治国際ホテルで講演が
ありました。澄田恭一さんによる
「南予の人・上甲米太郎について」
です。
上甲米太郎は、植民地教育とたた
かった日本人教師だそうです。

第5日目 10月18日(水)

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今治国際ホテルの全貌 別子銅山の観光ランド
マイントピア別子
由来碑
1691年-1973年、住友経営
日本三大銅山の一つ
世界一の産銅量を誇った
マイントピア別子から観光小型バスに
乗り換えて、東平(とうなる)へ向か
う山道から撮影
東洋のマチュピチュ「東平」 東平の駐車場
上の煉瓦造りの建物は、元校内電車
のプラットフォーム
この左手に「東平歴史資料館」
があります
資料館内に展示されている当時の住居
を示す銅板(クリックすると拡大します)
標高1300mの高さに作られた1万
人の住む街(明治30年代当時、愛媛
県第4位の人口)
坂に作られた住居の模型
銅製品を見て喜ぶ妻 古来からある銅製品を陳列 当時を描いた絵画
現在の東平の写真(東洋のマチュピチュ
を感じさせます)
元校内電車のトンネル(この中にも工具
などの展示がありました)
トンネル内の鉱山運搬機器の説明板
古びた水道タンク(現在使用中か?) 横から見た貯鉱庫、選鉱場、索道場の
跡地
上から見た貯鉱庫、選鉱場、索道場の
跡地
マチュピチュの雰囲気で見下ろす妻 展望台 バスの周りに集合した全退教のみなさん
置いてきぼりを作ると大変なので出席を
何度も取っていました。
マイントピア別子の宴会場で尾上さんの
講演「別子銅山に連れてこられていた韓
国人労働者に会う」を聞いた後、昼食を
とりました。
その場所にあった太鼓 新居浜のマイントピア別子で解散後、私
たちは淡路島の洲本市(ハーバーホテル
海月、写真)で宿泊し、神戸の友人宅を
訪ね、帰宅しました。