第23回全退教ツアーin愛媛「道後(子規博物館)・村上水軍博物館(潮流体験)
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中央道の甲府市近辺の双葉SAにて 山本勘助の顔出しパネルの中の妻 |
明治村の北口のSL東京駅から出発 するSL蒸気機関車 | SL蒸気機関車の客車に座る妻 |
SL蒸気機関車の終点のSL名古屋駅 で手動で回転させる機関車の様子 |
市電名古屋駅から市電品川燈台駅 まで京都市電に乗りました | 京都市電の前の太り気味の私 |
京都市電の中の様子 車掌さんの服装に雰囲気があります |
3丁目の西園寺公望の別邸「坐漁荘」 の玄関で備え付けの傘でポーズを取る妻 |
幸田露伴住宅「蝸牛庵」の中はフリー マーケットをやっていました |
芝川又右衛門邸 |
北里研究所本館・医学館の入り口 (縦写真はクリックすると拡大します) |
1丁目のメインである森鴎外・夏目漱石 住宅の猫像(私の右足の側)と記念写真 |
1丁目の碧水亭で昼食に食べた 「海軍カレー」 | 2丁目のレンガ通りを行き交う観光客 |
明治村の全体を見たい方は、2011年8月に 犬山市に宿泊して写真を撮ったページを ご覧ください。 →こちらをクリック |
姫路城 | 姫路城前公園 | 姫路城前公園 |
姫路城を背景に | 白い壁が美しい姫路城 | 聳え立つ姫路城 |
石壁が美しい参道 クリックすると拡大 | 城内に入りました | 武器がしまってあった部屋 |
たくさんの観光客 | 天守閣にあった神棚 | すぐ下から見上げるように撮影 |
姫路市内を遠望 | 正面から撮影 | 岡山の吉備津彦神社へ |
吉備津彦神社のさざれ石 | 巨大な燈明 | 吉備津彦神社の説明 |
結婚式をやっていました | 歴史を感じさせる神社 | 温羅神社(吉備国の古代王鬼の神社) |
吉備津彦神社の全貌 | 前庭にある池と小島 | 楯築弥生墳丘墓への参道 |
我々以外誰もいませんでしたが、 周りは住宅街でした | 静かな上り道 |
頂上は古墳でした。一部水道タンクが ありました。周りにたくさんの小さな 古代人の墓があります |
尾道に到着 | 尾道ロイヤルホテルで宿泊 |
大山祇神社入り口 総門(約700年ぶりに再建) |
大山祇神社参道 (雨で模様ができています) |
遥か昔神武天皇が東征した折に 天照大神の兄神にあたる大山積大神 の子孫の小千命(こちのみこと、 河野家の先祖)が大三島に大山祇神社 を作ったと言われている。その小千命 が植えた楠(私の推定:樹齢1200年) |
天然記念物の大楠 | 境内 | 新しく建て替えられた神門 |
金箔の立像(?) |
宝篋印塔(ほうきょういんとう) 真ん中は一遍上人の建立 鎌倉時代 | 紫陽殿・国宝館 |
ビックリしたタオル美術館 今治市朝倉上甲2930 | タオル製造工程 | タオル製造工程 |
ムーミンの世界展 | タオルアートコレクション | タオルアートコレクション |
タオルアートコレクション | タオルアートコレクション | タオルアートコレクション |
タオルアートコレクション | タオルアートコレクション | 道後温泉本館 |
松山城見学ガイドさんより | 城内 | 綺麗な城壁 |
クリックすると拡大 | 曲線の美の城壁 | 城への参道 |
筒井門から入りました | 松山市内一望 | 攻め上がるのが困難な城壁 |
松山城内の公園 | ロープウェイで上り下りします | 城主の加藤嘉明像 |
松山城観光案内所からロープウェイ |
今治から瀬戸内しまなみ海道で 大島のよしうみいきいき館へ |
ここで昼食(みんなは海鮮バーベキュー) でしたが、海鮮の苦手な私は鯛のお茶ずけ を食べました |
これから潮流体験です | 3班に分かれてボート体験 | はじめに橋桁の下へ |
伯方・大島大橋 | 右波と左波が交差しています | 伯方・大島大橋を遠望 |
来島海峡の島々(大砲が設置) | 来島海峡の島々 | 来島海峡の島々 |
来島海峡の島々 | 今治の造船所 |
造船所(村上海賊の子孫たちから 造船が始まったようだ) |
造船所 | 造船所 | 造船所 |
造船所 | 造船所 | 造船所 |
造船所(スクリューも見えます) | 造船所 | 造船所 |
造船所 |
時刻的に潮流の波がざわめき出し ました。海というより川のような 流れです。 |
よしうみいきいき館より村上水軍 博物館に移動。屋上から撮影 真ん中の島が能島です。 |
村上水軍博物館内 | 村上水軍博物館内 | 村上水軍博物館内 |
村上水軍博物館内 | 村上水軍博物館内 | 村上水軍博物館内 |
村上水軍博物館入口のレリーフ 和田竜の「村上海賊の娘」を 記念して建立 | 村上水軍博物館の全貌 | 村上水軍博物館の全貌 |
村上武吉の子・村上景親の像 |
村上海賊の機動力として 活躍した小早船 |
帰りに立ち寄った今治の加計学園 獣医学部建築現場の横の広場で 現地の方の話を聞く |
右に工事中の岡山理科大獣医学部 の校舎の一部が見えます。名称は どうなるのでしょうか? |
この広場も何かに使われるようです。 莫大な市税や県税を使って何をしよう としているのか! | 一部ゼネコンのみ喜びそうな計画です。 |
今治の造船業を象徴するスクリュー のオブジェ |
宿泊する今治国際ホテルで講演が ありました。澄田恭一さんによる 「南予の人・上甲米太郎について」 です。 |
上甲米太郎は、植民地教育とたた かった日本人教師だそうです。 |
第5日目 10月18日(水)menu | ||
今治国際ホテルの全貌 |
別子銅山の観光ランド マイントピア別子 |
由来碑 1691年-1973年、住友経営 日本三大銅山の一つ 世界一の産銅量を誇った |
マイントピア別子から観光小型バスに 乗り換えて、東平(とうなる)へ向か う山道から撮影 | 東洋のマチュピチュ「東平」 |
東平の駐車場 上の煉瓦造りの建物は、元校内電車 のプラットフォーム |
この左手に「東平歴史資料館」 があります |
資料館内に展示されている当時の住居 を示す銅板(クリックすると拡大します) 標高1300mの高さに作られた1万 人の住む街(明治30年代当時、愛媛 県第4位の人口) | 坂に作られた住居の模型 |
銅製品を見て喜ぶ妻 | 古来からある銅製品を陳列 | 当時を描いた絵画 |
現在の東平の写真(東洋のマチュピチュ を感じさせます) |
元校内電車のトンネル(この中にも工具 などの展示がありました) | トンネル内の鉱山運搬機器の説明板 |
古びた水道タンク(現在使用中か?) |
横から見た貯鉱庫、選鉱場、索道場の 跡地 |
上から見た貯鉱庫、選鉱場、索道場の 跡地 |
マチュピチュの雰囲気で見下ろす妻 | 展望台 |
バスの周りに集合した全退教のみなさん 置いてきぼりを作ると大変なので出席を 何度も取っていました。 |
マイントピア別子の宴会場で尾上さんの 講演「別子銅山に連れてこられていた韓 国人労働者に会う」を聞いた後、昼食を とりました。 | その場所にあった太鼓 |
新居浜のマイントピア別子で解散後、私 たちは淡路島の洲本市(ハーバーホテル 海月、写真)で宿泊し、神戸の友人宅を 訪ね、帰宅しました。 |