質問<292>2000/8/1
僕は、今、なぜ数学を勉強するか、ということを調べています。 そのことに関していろいろな方からの意見を集めてるわけですが、 よろしければ、ぜひご意見を返信してくださればうれしいです。 もし、お忙しいのであれば、かまいませんがよろしくお願いします。
お返事2000/8/1
from=武田
私の場合は、今から35年ぐらい前に普通に高校で数学を勉強していました。 特別好きでもなかったので、進級や受験のためにやっていたというのが正直 なところでしょう。部活として「演劇部」に所属していたので、どちらかと言うと 国語や社会(当時は社会物が演劇では常識でしたから)が好きで、そちらの 勉強には力が入ったのを覚えています。 たまたまテストの点が良かった数学に進学しようとしたのは、本当のねらいに 「高校の先生になって演劇部の顧問になる」というのがあったからです。 つまり、目標が別のところにあり、その手段として「数学」を使うという不謹慎 な動機だったのです。 今思うに、国語や社会は暗記が多数あり、暗記力がない私(演劇部の時 台詞が暗記できなくて苦労した)には克服できない壁だったようです。 その点、数学の暗記はある程度の公式だけで良く、後はゴチャゴチャ書い ていると答えに到達したので、点数はある程度良かったのだと思います。 ここで言えることは「数学は、ある目標を実現するための手段なので頑張る」 と言うことでしょう。これも真でしょう。特に理系に進む人にとって、手段として 学んでいる人が多いと思います。 目標が実現して、高校の先生になると、「数学を勉強する必然性のない」生徒 たちが目前に存在する事態となりました。そこで考えたのが、 ①これから学ぼうとする数学の日常的教材化(三角比の時に建物の高さを 測るなど) ②数学教材の自主編成(2次関数の平方完成をやめて、三点法でグラフを書 くなど) ③数学教材のバイパス化(数列で、幻の0番法を使って一般項を求めるな ど) 以上です。よく考えると、この30年間、上の実現をひたすら求めて教師生活 を続けていたようです。しかし、これが生徒にとって「数学を喜んで学ぶ動機」 になったかというと、お寒いものがあります。 その後、演劇部の顧問を10年間、ソフトテニス部の顧問を12年間、美術部 の顧問を7年間とやってきたので、高校時代の目標は変化してしまいました。 ここで言えることは「目標は、時代や健康とともに変化する」です。目標を持 ち続ける人は全体の一部の人でしょう。多くの人は、変化せざるを得ないと 心得るべきでしょう。数学は好きにでも嫌いにもなるぐらいのフリーな感覚が 一番良いのではないでしょうか。 京都大学の森毅名誉教授も「10年サイクルで変化するので、大切なのは 自由さを持ち続けることだ」と言っています。 今は、数学に興味を持った一部の人(その予備軍も)に、私の数学で得た 一部の知識を利用してもらえたら幸せと思い、質問が自由に出来る「高校 数学の窓」を開催しています。いろいろな質問があり、こういう相談できる 場所の必要性を感じている次第です。 ここで言えることは、小中高や大学・社会のあらゆるところに数学の相談が 出来るところが出来れば、学ぶ意味もわかってくるのではないでしょうか。