質問<3111>2006/4/20
from=吉野
「有理数の指数の計算問題」


25^(3/2)を計算せよという問題なのですが
これは
(与式)=√25^3 ・・・① 
または、
(与式)=(5^2)^(3/2) ・・・②
とすれば答えは求まると思います。
しかし、
(与式)={(-5)^2}^(3/2) ・・・③
こうとも書き表せるはずです。
確かに③のとき有理数の指数法則は成り立たないのですが、③の場合を無視しても
(考えなくても)良いのでしょうか?計算できないから無視というわけでは無い
と思うのですが・・・
正しい理由も教えていただければ嬉しいです。
ちなみに模範解答では②で計算し、すぐ答えとしていました。

★希望★完全解答★

お便り2006/5/13
from=亀田馬志


この質問面白いですね(笑)。
う~ん、どうして誰も答えて上げないのかしら?結構「意表を突かれた」のかな?

しょーがないんで、「数学嫌い」で昔「物理」で今「統計学」にハマっている不肖ワタクシが
ちょっとトライしてみましょう。

ちょっと次の2つの問題を考えてみて下さい。

①x^2=25を解け。
②√25を解け。

この2つ似ているようで違うんですね。
①の場合は多分中学の数学の先生がガンガンうるさく「生徒のケアレスミス」を注意して
指導するケースの問題で、この場合x=5と答えれば「大目玉」を喰らいます(笑)。大体
ワタシの記憶では数学の先生ってのはやかましくってイヤミなウルサイ連中でした(笑)。
「部分的に合ってるんだからイイじゃねえかよ~~!!!」なんて直訴は無残にも却下された
モノです(笑)。チクショウ、トラウマだ(笑)。
それはさておき、①は±5なのは分かりますよね。
問題は②のケースです。果たしてコレはどうなんですかね?

√25=±5

なんでしょうか?

この二つ、何が違うかと言うと、単純に①は“方程式”なんだけど、②は単なる「数字」
なんです。ゆえに√25が「二つも違う値が存在する」なんて事があってはマズいんです。
言い換えると、①のケースではある数xと「対応すべき」数があったら何個でも掲げてイイ。
つまり「関係性」を示唆しているのですが、一方、②の場合、√自体が「関数」を示唆してい
るワケではないのです。√25と言った「厳然とした数値」なんですね。
つまりこう言う事です。
吉野さんが数直線上で「1」と言った時、これは単に「1」であって、複数の「1」が存在するわ
けではない。同様に、√25と記載された数値は一個しかあってはならない。
仮に負の√があった場合は-√25と表記すべきで、√の中身はあくまで「正の数である」と
言うのが暗黙の了解なんです(もちろん“虚数”が出てくると違ってきますがね)。

さて、そうやって考えると、まず一つの方針としては、

25^(3/2)を計算せよ

と言われた場合、分数型の指数の計算規則により、

(√25)^3

がまずは示唆されている事になりますね。
さて、ここで√25=-5と言った計算規則が成り立つのかどうか、ちょっと考えてみて
下さい。

もっと別のアプローチも可能だと思います。
まずは「指数法則」なんですが、よく読んでみて下さい。

a>0, b>0で、p,qが実数の時、

(1)(a^p)*(a^q)=a^(p+q)
(2)(a^p)^q=a^(pq)
(3)(ab)^p=(a^p)*(b^q)

となっています。
ちょっとココで「法則」って単語の意味を考えてみましょう。
世の中には色々な「法則」がありますね。「男と女の法則」であるとか、「キャバクラで女を
口説く法則」だとか(笑)、宗教で言う「神の法則」とか、美輪明宏先生に至っては「宇宙の法
則」「輪廻の法則」とか言ってます(笑)。どれもこれも重要そうなんですが(笑)(ちなみに
最初の二つは確かに重要です・笑)、一体「法則」とは何でしょうか?何でこんなに「重要
そう」な響きなんでしょうか?
英語では「Law」とか「Rule」とか良く当てていて、これを日本では「法則」と訳します。
ちなみに実は数学ではあまり使われない単語なんですね。ビックリしましたか?
ちなみに物理学では「法則」と言うのは通常次の事柄を指します。

・仮定もしくは仮説
・数学的に証明されないもの

この二つです。実は全然「真実」でも何でも無いんですね。「仮定でしかも数学的に証明
されないもの」なんです!!!
例えば古典力学で言うと、「ニュートンの運動の3法則」なんてのはまさしく「法則」です。
これも「仮説」であって、真実ではない。数学的にも証明しようがない。これを「原理」
として取りあえず採用して、「理論体系」を組み上げてる、と。当然「仮説」が間違って
いたら全てがパーです。そして実際それが20世紀に起こりました。
もう一つは「経験則」なんかもそうですね。例えば「質量保存の法則」であるとか「電荷量
保存の法則」であるとか、または「エネルギー保存則」なんかもです。これらは「人類の
経験上そうだった(もしくはそのようだ)」ってだけで、実際は明日裏切られるかもしれ
ない。そう言う可能性を秘めた「大変危うい」シロモノなんです。なんつったって「数学
的に証明が出来ない」んですから。
さて、この辺りの「用語」ってのは一応「現代的な」、少なくともオーソドックスだと思わ
れる解釈なんですが・・・・・・実際はですね、ニュートン以前の古い時代の人たちはすご~~
く「法則」って単語を使いたがったんですよ(笑)。そうなんですよ。何つったって「ハッ
タリが効く」からです(笑)。発見した人々はよほど嬉しかったんでしょうね(笑)。
有名なトコロでは、惑星の「面積速度一定の法則」です。これはニュートンの運動法則で
「数学的に証明されちゃう」んです。よって正確には「定理」であって、「法則」ではない。
しかしながら時代が古いモノは依然と「法則」と名付けられたままでいます。
ここでちょっと数学に目を戻しますが、偉~い数学者、例えばピタゴラス君は、自らが
発見したモノを決して「三平方の法則」とは呼びませんでした(実際ピタゴラスが何て呼ん
でたかは知りませんが)。これは「三平方の定理(Theorem)」です。何故でしょう?
多くの数学的計算規則は、まずは定義(人間が勝手に決めたもの)を始点として、「演繹的」
に証明されていく体系を持っています。つまり、原理的に数学は「定義」と「定理」の二つ
しかなくって、それが「数学」の「論理の美しさ」なのです。もっとも僕自身はそんなに
「美しい」と思えるような感性は残念ながら持ってませんが(笑)、一応そう言う事にして
おきます。
では何で「指数法則」なんでしょうか?マトモな数学者であれば、「法則」なんて名付けよう
が無いんです。「法則」は物理の例を見れば分かるように、元々「胡散臭い」シロモノなん
です。定義にウルサイ頑固な数学者がそんな単語を好んで使うワケがありません。なのに
「指数法則」・・・・・果てさて、コレは一体・・・・・・?
これは推測なんですが、元々「指数」もしくは「対数」なんてのは数学者が扱うようなシロ
モノではなかったのです。どっちかと言うともっと下世話な・・・・ハッキリ言うと「商人」
ですね。もしくは「金貸し」であるとか。が、「複利計算」の為に発達させたもの、がルーツ
なんじゃないか、って思われます。こう言う人間じゃないと(別に商人が悪いとは言いま
せんが)こう言う「ハッタリの効いた」“法則”なんて単語は使いたがらないんですよ。
今でもあるでしょ?ホントは得体の知れないモノなのに「マイナスイオン何とやら」が(笑)。
世界は商人のコマーシャリズムで溢れています(笑)。「流行を作り出すのは」商人なんです
(笑)。昔も今も「コピーライト」に溢れてるんですよ(笑)。
さて、ここまで言えば分かるでしょうが、事実上、「指数法則」ってのは数学的には「定理」
です。「定理」は何が重要だったでしょうか?思い出してください。

そうですね。「条件に合った状況で使う」と言うのが、数学的定理の「大原則」だった筈です。
トンチンカンな場面では「定理は用なし」なのです。
指数法則の「法則」って単語に惑わされてはいけません。これは単なる「ハッタリ」です。
つまり、

>③のとき有理数の指数法則は成り立たないのですが

という事はまずは「定理としては適用場面ではない」と言う事、そして、その為に吉野さん
自身が仰るように、

>(定理に則って)計算できないから無視

と言うのは、実は正解なんですね。

まあ、僕は数学嫌いですし、他の人に比べて上手な説明になってるのかどうか全然自信
がありませんが、まずは「定理として」考えてください。そして「定理」は別に万能ではない
のです。「適用場面」をとにかく最重要視しなければならないのです。


お便り2006/5/13
from=wakky


質問の意図がいまいちよくわかりませんけど・・・
√25 と 25 の平方根 の違いは分りますか?