100.「葬られた王朝」を読んで
著者の梅原猛は、40年前出版した「神々の流竄(るざん)」(集英社発行)で、出雲神話をフィクションとし、出雲大社は日本書紀や古事記の時代に建造されたらしい神社としての位置づけであったが、1984年に荒神谷遺跡(こうじんだにいせき。「中国・四国への旅09」で訪問した遺跡)から銅剣358本・銅鐸6個・銅矛16本が発見されたり、1996年加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が発見されるなど、大和王朝より以前の歴史が眼前に立ち現れてくるのに触れ、自作である「神々の流竄」を自ら否定し、出雲神話をノンフィクションとして再構築する活動の後に書かれた、この本「葬られた王朝」(新潮社発行)は、二重三重の意味で素晴らしいものがあった。
前説を自分で否定することの難しさと、敢えて決行する勇気。そして、ノンフィクションと言い切るための証拠調べなど、十分になされていて、大変読み応えのある本となった。「仏の発見」の対談にでてきた本の流れで読むことになったことを幸せに感じている。自然に読んで、興味を引いた次へと流れていく読み方に面白さを感じている。それ故か複数冊同時に読んでも苦にならない。無理なものは自然と読まなくなるか、時間がかかっている。
「葬られた王朝」に戻るが、大和王朝の前に、出雲王朝が存在したことと、その前に有力な越の国(糸魚川周辺)が存在し瑪瑙(めのう)生産がされており、スサノオのヤマタノオロチ退治が、越の国による出雲支配からの解放であり、その6代後のオオクニヌシノミコトが日本統一をし、有力後継者がいないため、大和王朝に飲み込まれていったことや、その祓いのために、巨大な地上48メートルの高さに出雲大社(2000年に巨大な柱が発見された)を建て、スサノオとオオクニヌシノミコトを祭ったこと。そのことが日本書紀や古事記や各地の風土記に記載されていることを確認している。また、大和王朝の権威を高めるために書かれた日本書紀や古事記は、その一部を都合良く書き換えたが、全体的には当時の様子を表現しており、当時の実質的な権力者の藤原不比等(ふひと、中臣鎌足の息子。天智天皇の子どもではと言う説もあり)の藤原一門1000年の地盤を築くために文献として読めば、その当時が透けて見えてくる様な気がする。
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