読書欄

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250.「二千七百の夏と冬(上・下)」を読んで

荻原 浩著の「二千七百の夏と冬(上・下)」(双葉文庫)を読んだ。

現在の人骨発掘現場を見守る新聞記者の佐藤香椰(かや)たちのシーンと、2700年前つまり紀元前700年ごろの縄文系のウルク(青年)と弥生系のカヒィ(少女)とのシーンが2つ交互に折り重なりながら、この2700年前の様子をわかりやすく伝えている。読みながら場所を推理したが、ウルクの住んでいたのは、たぶん長野県南部の駒ケ根市付近でないかと思った。ヒグマと格闘しながら越えた山は南アルプスで、カフィのフジミクニに辿り着く。稲作により階級社会が出来ていたフジミクニから二人で逃げ出し、しかし残念ながら地震で手を取り合いながら埋もれて亡くなった場所は、富士山近辺ということになった。地名の出てこない縄文の森の中の話を雰囲気で特定していく作業は結構楽しい。

もう一つの読みどころは、言葉である。作者の荻原浩さんは巻末の参考文献からもわかるように、縄文語の文献やアイヌ語、古代琉球語などを良く読みこんで言葉を構築しているのを感じる。推理だろうが興味があったので表にしてみた。


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249.「時代の半歩前を往く」を読んで

教育ネット20年の軌跡をまとめた「時代の半歩前を往く」(ノーマライゼーション・教育ネットワーク発行)を読んだ。

友人の宮城さんや飯島さんが参加して活動しているノーマライゼーション・教育ネットワークが、過去の軌跡をまとめるということで20年史を発行した。私も少しだけ編集作業のお手伝いをしたので完成を楽しみに待っていた。郵送をしてきたこの冊子を直ぐに読んでしまった。

宮城さんから聞いていた大葉さんの話や、この会が結成されて20年間の軌跡など時々話を聞いていたので思い返すことができた。さらに詳しく大里問題(二重障害でも教師継続)やS問題(私立高校の教壇復帰)や宮城問題(視覚障害で、勤務継続)や新井問題(全盲で教壇復職)や山本問題(車椅子使用で教師復職)や岩井問題(理不尽な休職要請)や江口問題(全盲の新採用、3時間しか授業を持たしてくれない)などの血の出るような取り組みの様子を知ることができた。多くの方は教育ネットと出会えて力を得て教壇に立っているので、会の大切さを実感した。

この20年史が広がることで、一人苦しんでいる「障害を負った教師たち」がこの会を知り、参加していくことを願っている。

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248.「夕顔将門記」を読んで

常世田 令子著の「夕顔将門記」(崙書房出版)を読んだ。

先日野田市関宿にある食事処「水塚」に行った帰りに、妻はまだ関宿城に行ったことがないというので、行くことにした。実は、この城は、利根川水系の歴史を詳しく紹介しているので何回見ても発見がある。さらに、隣接しているお休み処の書籍コーナーが楽しみの一つである。大変ローカルな書物が並んでいる。流山市にある崙書房の本が置いてある。特に平将門関係の本は興味深い。184番で紹介した千野原靖方著「将門と忠常 坂東兵乱の展開」も、ここで購入した。ただし、陳列棚が県立施設の所為か身を屈めても小さな字なので、年配者は気づかないのではないかと思い、お店の人に言った。その方は素敵な人(文中の滝姫の如し)だった。すぐに上司と相談するとのことである。

この本は、平良文に仕えるエミシのニシャ丸の口を通して語られている。足の速いニシャ丸は良文から甥の平将門への連絡役として、承平天慶の乱(931年-940年)の渦中に巻き込まれて行く。古書「将門記」に記載はされていないが、当時の関東から東北にかけて住んでいて迫害されていたエミシを登場させた点と、将門がクダラ族(大和朝廷は、新羅に滅ぼされた百済の人々を、白村江の戦いの敗戦の代償として、たくさん受け入れた)を鉄製品の工人として大事にした点が興味深い。

ニシャ丸は、老後ニシャ爺として良文の孫の平忠常に、将門のやろうとしたことを伝え、その結果、1030年「平忠常の乱」を起こして、関東に千葉氏や三浦氏をはじめ坂東武者を根付かせている。また、福島の相馬氏もその一人である。彼らが、鎌倉幕府の礎も作っている。ニシャ丸の滝姫(将門の実娘)への思いもこの本に味をつけている。

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247.「海峡の鎮魂歌(レクイエム)」を読んで

熊谷 達也著の「海峡の鎮魂歌(レクイエム)」(新潮文庫)を読んだ。

熊谷の作品を読むのは、216番の「氷結の森」についで2作目である。男の匂いをプンプンさせながら生き抜いて行く凄まじさは、前回に続いて期待通りである。函館が舞台の壮絶な物語だ。

函館大火の際の逃げ惑う火との闘い、第二次大戦中の空襲の際の集中砲火による被害、荒れ狂う台風の中を出港した洞爺丸に乗り合わせてしまった沈没の際の水との闘い、どれをとっても死と直面する場面を、他者を助けながら生き抜いて行く凄さを感じさせる。次はどうなるのかハラハラしながら最後まで読み切った。熊谷達也の本は面白い。

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246.「我が人生の幕間にて 劇団久喜座と私の二十六年」を読んで

小林 登茂子著の「我が人生の幕間にて 劇団久喜座と私の二十六年」(土曜美術社出版販売)を読んだ。

妻が所属している「久喜市音訳ボランティア」の小林さんからこの本を頂いたそうだ。小林さんが劇団久喜座の女優だったことは知らなかったようでビックリしていた。彼女の劇団員として過ごした四半世紀(26年間)の記録を自主出版したのは、劇団久喜座を多くの人に知ってもらおうという気持ちがそうさせたのだろう。

私は高校時代(半世紀前)演劇部員として青春を謳歌していた。懐かしい限りだ。それゆえ興味津々である。この劇団久喜座ができたのは、私が教員として2校目の演劇部顧問をしていた頃にもあたり、部員の中からこの劇団の話を聞いたことがあった。いつか関わりたい希望を持ちながらも、月日が流れていった。定年退職した3校目の学校で情報処理の運営に関心が移り現在に至るが、演劇への関心はそれでもなお心の中でミミズのように這いまわっている。

同じ思いが随所に綴られているこの本は、同じ場面を体験した者として面白く読ませてもらった。演劇を体験していない人はわからないかもしれない。

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245.「錆びた太陽」を読んで

恩田 陸著の「錆びた太陽」(朝日新聞出版)を読んだ。

本の表紙や本中の挿絵、さらに1枚のカードにも、イラストレーターの荒井良二さんが描いた「錆びた太陽」作品のイラスト画が印象的で、思わず本屋で手に取った。そのイラスト画が醸し出す原発事故後の世界の内容を見て読んでみたくなって購入した。

はっきり年月はわからないが、福島原発事故後、各地の原発が事故やテロなどによって爆発し、日本人の3分の2が死亡してしまったあと、日本中に立入制限区域ができ、そこを見回り管理する仕事をするロボットが主人公である。その管理施設に突如国税庁の財護徳子が赤い車に乗ってやってくるところから話は始まる。

100年以上ロボットをやっているとその情報量の蓄積で、人間のような考え方ができるようになっている。そのロボットたち(個性的な名前がついている)と財護女史とマルピー(放射能で死んで蘇ったゾンビ)たちとのやり取りが面白い。最終段階で、青玉という放射性電気発光体の爆弾と九尾の大猫と政府の陰謀とが絡んでワンサカ押し寄せてくる面白い話だった。

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244.「蘇我の娘の古事記」を読んで

周防 柳(すおう・やなぎ)著の「蘇我の娘の古事記(ふることぶみ)」(角川春樹事務所発行)を読んだ。

初めて出版社名でない事務所名の発行の本を読んだ。こう言う形の出版でも体裁が良いと本屋では陳列されることがわかった。確かに自費出版も多くなって来たこの頃なので、こう言う本の出し方もあるのだろう。後日、妻から角川春樹事務所の事を聞くと、角川文庫(弟の角川歴彦が元社長)から独立して、いろいろな作家を掘り起こして出版しているという。

古事記(こじき)と言う読み方で受ける印象と、古事記(ふることぶみ)と読んだ場合の印象はぜんぜん違う。そういう意味でも、この読み方がこの本には相応しい。日本書紀と古事記(こじき)というと同じ時期に同じ内容を書いたように思えていたが、古事記(ふることぶみ、712年)というと、纒向・飛鳥時代の出来事を記した感じが出ている。そして、日本書紀(720年)は平城京時代の正史として作られ、その一部に古事記(ふることぶみ)の内容が使われたと時間的な差を感じることができる。

私は他のところでも書いたが纒向時代までの流れについては、一応自分なりに満足していた。しかしその中で、伽耶(かや)の扱いと乙巳(いっし)の変(645年)の詳細については知らないままでいた。なぜ、中大兄皇子は蘇我蝦夷・入鹿親子を殺したのかとか、なぜ白村江の戦い(663年)に向かうことになったのかなどである。そして最大のミスは大海人皇子の扱いが好意的であったことだ。壬申の乱(672年)の見方も変わって来た。

この時代の指導層は、唐・高句麗・新羅などとの戦いに敗れた伽耶や百済からやって来た知識層を役職につけて、政権の運営に努力して来たことがうかがえる。その中の一族として百済から歴史を記録する集団がやって来ていた。その長に船 恵尺(ふねの・えさか)がいた。彼は、蘇我蝦夷に重用されて、この国の歴史の掘り起こしと記述に勤めていた。「大王記」というその書物に、その娘(蘇我入鹿の娘で、コダマとして船山鳥の妻になる)が付け加えて3巻を完成させた。

なぜ乙巳の変が起きたのかとか、壬申の乱の真相など斬新な観点で書かれており、読み応えのある本であった。

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243.「李陵・山月記」を読んで

中島 敦著の「李陵・山月記」(新潮文庫)を読んだ。

私が現在住んでいる久喜市は、著者・中島敦の祖父である漢学者・中島撫山の地元で、敦自身も明治43年から大正5年までの幼少期6年間暮らした町である。

この本は一度読んだことがあったが、その時は久喜市にいたことがある中島敦という名前に惹かれて読んだだけなので、記憶にない。

ところが、ビブリオバトルの普及委員をやり始めて、会合を重ねるうちに、すっかり読書好きになった。それも歴史物で、特に中国古代史である。それらの本を読むにつれて、時代背景や地理感覚が身につき、さらに史記を書いた司馬遷を扱った139番の北方謙三著「史記・武帝紀五」の中に出てくる李陵の話と結びつくことで、立体感覚で本を読破することができた。

この本は、昭和17年12月初旬に33歳の若さで夭折した中島敦の短編の中から4作品を収納してある。この本の良いところは、注解がたくさんあるので、見ながら読んでいくとよく理解できた。

最初の「山月記」は、唐の玄宗の時代(AD750年前後)に官吏任用試験(科挙)に合格した主人公・李徴が、腐敗した官僚制度に絶望して職を辞し、詩人として名を上げようと悩み苦しむ中で人喰い虎と化し、友人と出会う話。

2作目の「名人伝」は、242番の「武霊王」に出てくる趙の首都・邯鄲に住んでいた主人公・紀昌が天下第一の弓の名人になろうと修行をする話。

3作目の「弟子」は、魯の孔子の弟子・子路についての話。無頼漢だが、孔子を守って利害を求めず付き随う子路に対して、孔子は愛情を持って接している。

最後に「李陵」だが、司馬遷や蘇武と同期の前漢・武帝(BC100年前後)に活躍した武将で、北方の匈奴の侵略に対して、兵士5000人を連れて8万の胡兵(北方の北を胡といった)に立ち向かって敗れた将軍である。李陵に対する佞臣の讒言から武帝は、家族子供を惨殺したのを恨み、匈奴の単于(ぜんう、匈奴の王につける)の保護のもと郷愁の思いと武帝への恨みで悩む姿を描いている。厳寒のシベリアで生き抜いた蘇武の生き様や、李陵に唯一味方したため宮刑(宦官と同じように去勢させられる刑罰)を受けた司馬遷の慟哭と史記を完成させる熱意の話は、一度は読んでみたい話である。この内容は、北方謙三の本の方が読みやすいかもしれない。

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242.「戦国騎馬軍団の始祖 武霊王」を読んで

桐谷 正さんの「戦国騎馬軍団の始祖 武霊王」(祥伝社)を読んだ。

またまた中国古代史物だが、本当に好きなのだなあと我ながら思う。と同時に、地理勘ができてきたのか話の展開についていけているのは嬉しい。

この作品は、夏・商(殷)・周のあと、BC247年秦の始皇帝が登場するまでの間の春秋戦国時代後半BC330年頃からの約30年間の話である。詳しくは、司馬遷が書いた「史記(一)本紀」からの私のメモのNO5~NO7を参照してください。

中原に存在した強国「晋(しん)」が滅び、3国に分かれて韓・魏・趙となる。西方の秦の恵文君が商鞅を登用して法制度を定めたころから巨大化し、韓・魏は日々圧力を受けることになる。このとき秦の宰相になったのが有名な張儀だが「連衡策」を唱え、更に拡大していく。恵文君(のちに恵文王となる。詳しくは、下記の中国歴史ドラマに詳しい。1時間物が51話まであるので見るのが大変だが、面白い)の死去で、秦・趙・斉の三国強国の時代へと移っていく。


話は横道にそれたが、この武霊王は趙(ちょう)に、胡服騎射(こふくきしゃ、中国風の服装から戦闘しやすい胡族の筒袖を着て、馬に乗り、弓を放つ)の訓練を取り入れて強国になったので、騎馬軍団の始祖と呼ばれている。秦との連衡策をとり、一時的だが、平和な国となった。

しかし、跡継ぎの問題で争いがおき、それに巻き込まれて最後は餓死して果てた。作者は、新しい戦術を取り入れたことや不幸な最期を迎えたことなどから、「織田信長」を連想している。

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241.「王家の風日」を読んで

杉戸町図書館で図書館祭りの際に、古本市が立った。ズッーと見て回る中で、興味があり手に取ったのが、宮城谷昌光さんの「王家の風日」(文春文庫)である。

230番のまとめで書いたように中国古代史が本当に好きなのだなあと我ながら思う。「王家の風日」は、初期の作品で作者がデビューまでの貧苦の時代(コタツがなくて湯たんぽにあたりながら作品を書いた)に甲骨文字に魅せられ、学びながら書いていったという本だという。

後日書かれる215番の「太公望」とは相反して、その中で出てくる商王朝の帝辛(受、最後の帝・紂王)と箕子(きし)の側から見た商王朝滅亡の経緯を描いている。特に印象に残るのは、箕子と干子(ともに受王の叔父)のアドバイスを聞かずに、費中(貨幣制度を導入)やえん来(「えん」という字は表示できないが、秦の始皇帝は「えん姓」であり、弟がその先祖にあたる)などの家臣に囲まれて裸の王様化した受王は、遂に紂王となり酒池肉林や悪王妃・妲己(だき)の下に滅亡していく。この2冊をセットで読むと、なぜそうなるかが理解できて面白い。

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240.「覇商の門(上下)」を読んで

先日惜しまれながら亡くなった火坂雅志著の「覇商の門(上下)」(祥伝社文庫、左の本は単行本の表紙)を読んだ。今まで縁がなく読まなかった火坂雅志さんの作品であるが、読んでみると読み応え十分の本であった。応仁の乱以降の戦国時代と、織田信長が天下統一に向けて行う数多くの戦いを、堺商人の中の新興勢力としてのし上がって来た「今井宗久」という人物を主人公として描かれた歴史小説である。今井宗久については、千利休などと比べてもあまりよく知らない人物であった。

この本は、今井宗久が商人に成り上がる上巻「戦国立志編」と、織田信長を援助し続ける下巻「天下士商編」から構成されている。上巻では、対明貿易や海寇や堺商人の三十六人会合衆のことなどが詳しく紹介されている。生きた歴史書を見るが如くである。読み手自身がその歴史の中に入って疑似体験ができるところに、歴史小説の面白みがあると思う。上巻の後半は「松永弾正」のことが詳しく述べられている。主君の三好長慶を倒した松永弾正こそが下克上の時代の先駆けであろう。

下巻は、種子島(鉄砲)を大量生産した今井宗久が、織田信長に目をつけ支援し続けながら巨商になっていく様子が描かれている。以前読んだ「村上海賊の娘」に出てくる石山本願寺(現在の大阪城)へ食料を運び込む毛利方の船に、織田信長が奇想天外な船(鉄甲船)で襲いかかる話が出て来たが、その鉄甲船の鉄板を今井宗久が作製したという。

ともかく、明智光秀や羽柴秀吉など戦国時代後半に登場した人物の歴史を、一商人から見るという展開には、興味深いものがある。

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239.「イベリアの雷鳴」を読んで

逢坂 剛著の「イベリアの雷鳴」(講談社文庫)を読んだ。逢坂剛さんの作品は、この読書欄ができる初期のころ、一番好きな作家だったので、連続して4冊読んだことがあった。16番の「カディスの赤い星」、17番の「あでやかな落日」、18番の「遠ざかる祖国」、21番の「幻の翼」である。その後、横山秀夫や真保裕一などの警察物に読書傾向が変化していったことを覚えている。旅行で訪れたスペインの風土を思い出しながら読んだわけだが、遠く離れているスペインの話は食傷気味のところがあり、それ故しばらく離れていった。

この本は、第2次大戦がヨーロッパで起こる直前から初期にかけてのドイツとスペインの関係を中心に描かれていて、当時のヨーロッパ戦線のことを知らない私としては、また一つ知識が増えた気がする。ドイツのヒトラーが、スペインのフランコ総統とエンダヤ(フランスの国境の町)で枢軸国入りを要請する会談で、それに反対する主人公の北都昭平の妻ペネロペの行動がクライマックスになる。この本の後「遠ざかる祖国」そして、「燃える蜃気楼」と続くという。

18番の「遠ざかる祖国」の前に、このようなエピソードがあったのかと今更ながら思う。

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238.「風に舞いあがるビニールシート」を読んで

森 絵都著の「風に舞いあがるビニールシート」(文春文庫)を読んだ。森絵都さんの作品は、232番で紹介した「みかづき」を読んで興味が出たので、直木賞を取った「風に舞いあがるビニールシート」を早速読んでみることにした。

最初は一つの内容と思っていたが、扉を開けると6本の短編からなっていることがわかった。その最後にこのタイトルが出ている。ちょっとがっかりしたが、166番の石田衣良著「約束」や32番の向田邦子著「思い出トランプ」の時のように、短編を全部読んでみると見えてくる風景があることがわかっているので、とりあえず読み進めた。

①の「器を探して」は、スイーツプロデューサーのひろみの秘書である「弥生」は、美濃焼を探して奮闘している。上司のひろみと婚約者の高典の勝手な電話に翻弄されながらも、瀬戸黒の茶碗を手に入れる。
②の「犬の散歩」は、水商売をしている「恵利子」が、なぜ捨て犬のボランティア活動をしているのか。
③の「守護神」は、裕介が「ニシナミユキ」にレポートの代筆を頼むために探す。
④の「鐘の音」は、彫刻家を目指して挫折した「潔」が仏像の修復師として苦悩しその工房から去る。後日、元同僚の吾郎と再開した潔は苦悩した仏像の謎を知る。
⑤の「ジェネレーションX」は、クレームを受けた編集社の「健一」が、その原因を作った会社の若手の石津と同乗して謝りに行くことになる。その石津の野球チームの話に入り込んで行く。
⑥の「風に舞いあがるビニールシート」は、タイトルに選ばれた通り一番中身が濃い話であった。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の一般職員として採用された「里佳」と、専門職員のエドとの結婚生活の中での葛藤(専門職員は、ほとんど世界中の難民キャンプに出向いて、1年の少しの期間しか帰ってこない。音信不通にもなってしまう。)と、離婚後に難民キャンプで乱暴された少女を救い射殺されたエドの真相を読む中で、私は変わったタイトルの「ビニールシート」の意味を知った。以上、6本の短編からなる。

最後に載っていた藤田香織さんの解説を読んでみた。この6本の短編に出てくる登場人物全てにおいて、「懸命に生きる」ゆえの、狡さや弱さや滑稽さも、目を逸らすことなく描かれていて、とても「人間臭い」と評している。

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237.「消えた海洋王国 吉備物部一族の正体」を読んで

関 裕二著の「消えた海洋王国 吉備物部一族の正体 古代史謎解き紀行」(新潮文庫)を読んだ。彼は、私が高校生時代住んでいた柏市の出身と言うこともあり、また古代史の謎解きと言うこともあり、結構彼の本を読んでいる。少しマニアックな面もあるが、歴史に封印されてきた謎を見事に解明していく彼の作品には興味を覚える。

私が今までに読んだのは、114番の「継体天皇の謎」、183番の「神社が語る 古代12氏族の正体」、164番の「百済観音と物部氏の秘密」である。この他に、彼の古代史謎解きの旅の本はたくさん出ているが、今回はとりわけ空白の古墳時代の400年に絞って謎解きをしている。

瀬戸内海のしまなみ海道を通って、大三島の大山祇神社にも訪れているが、私も2009年夏に訪問して感動しているので、彼の気持ちが伝わってきた。それほど大山祇神社は凄い。瀬戸内海の水軍は凄いといった方が良いだろう。そこに目を付けて、下関から岡山への旅で「吉備氏」の存在を体感し、しかし記紀には掲載されない不思議さを感じたのだろう。藤原不比等が作成した記紀は、蘇我氏さらにその前の物部氏そのもとになった吉備氏を歴史の舞台から抹殺するために、記録されているからであろう。

しかし、考古学という科学的調査により、徐々にではあるが歴史が垣間見られる様になってきた。空白の400年間がはっきり分かる日も近いと思う。

埼玉古墳群など東国の各地に見られる古墳群からも続々資料が見つかり始めている。宮内庁の古墳解明を阻止する閉鎖的体質もいつか解除されるだろう。楽しみである。

中国や朝鮮とのつながりも明るみに出てくるだろう。隣人として、過去においては先輩としての果たした隣国関係を大切にしていきたいものだ。中臣鎌足が百済王子だったなんて変な偏見は捨て去り、古代の大陸との交流に夢を見たい。これが「東アジア共同体」へつながる思想の源流なのだろう。

794年から1192年の約400年間平安時代
710年から794年の84年間奈良時代
680年ごろから720年完成藤原不比等の企画で、日本書紀・古事記作成
672年壬申の乱で東国が、40代天武天皇を支援
663年~666年白村江の戦い
646年乙巳の変(大化の改新、38代天智天皇、中臣鎌足、秦河勝)で改革拒否
600年頃蘇我氏(赤穂からヤマトへ、出雲系の武内宿禰の子孫)の改革、聖徳太子ら活躍
592年から710年の118年間飛鳥時代
528年磐井の乱(継体天皇が、物部麁鹿火を九州北部へ派遣し鎮圧)
507年ごろ26代継体天皇(北陸・福井・東国から登場)
 吉備(物部氏)一族の弱体化
471年東国の力が増し、雄略天皇を援助(埼玉古墳群の稲荷山古墳で見つかった金錯銘鉄剣に獲加多支鹵大王の記名あり)
470年ごろ21代雄略天皇は権力増大で地位確立、比例してヤマトの豪族は衰退
405年15代応神天皇(出雲系、ヤマトの豪族に担ぎ上げられた天皇)を武内宿禰(内氏、実父か?)が支える
4世紀中ごろ長野の千曲市の将軍塚古墳など東国にも巨大な前方後円墳できる
 ヤマト(奈良)は東国への道が開ける場所だったので、東国との交流が増加する。吉備(物部)氏はヤマトから出て、実利を取り河内(大阪)の交易の港に移動
(黄色い部分は謎の時代)大災害は「神功皇后の祟り」と考えて、息子の応神天皇をヤマトへ招く(国譲り、神武東征)
 ヤマト地方で大災害・疫病流行で人口半減
 神功皇后・武 内宿禰(たける・うちすくね)は九州南部(日向)へ逃げる
 ついに、ヤマト・吉備連合軍が北九州(トヨ)を攻撃
 ヤマト王権(吉備氏により確立)の地盤固まる
 吉備(瀬戸内海の勢力)の拡大
 白村江の戦い(記紀で神功皇后が出兵)
 神功皇后(トヨと呼ばれる、出雲・北陸連合軍)が九州北部に居住し、関門海峡を支配する。
 14代仲哀天皇(ヤマト・吉備連合軍、下関で死去)
3世紀末頃二大勢力(出雲・北陸とヤマト・吉備)により九州北部の邪馬台国(卑弥呼)滅亡
3世紀半ばから7世紀末の400年間古墳時代
3世紀中ごろヤマトに巨大な前方後円墳の箸中山古墳(箸墓古墳)できる
3世紀半ばから6世紀末前方後円墳の時代
239年魏志倭人伝の記載
 九州北部王朝(倭国)が栄える
2世紀の終わり頃吉備の倉敷に巨大な楯築弥生墳丘墓できる
 九州北部と瀬戸内海沿岸が中国・朝鮮との交易で栄える。出雲・北陸も栄えるが、冬に日本海が荒れて、交易が困難になること多し。
紀元前9世紀中頃から3世紀中頃弥生時代
紀元前131世紀頃から紀元前10世紀頃縄文時代
紀元前145世紀頃まで旧石器時代

ここをクリックすると、私の私見が入ったPDFファイルを見ることができます。飽くまでも私見ですので、詳しくは自分で調べてください。

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236.「朝鮮通信使」を読んで

日韓共通歴史教材制作チーム編の「朝鮮通信使」(明石書店)を読んだ。豊臣秀吉による朝鮮侵略。いくら織田信長の中国大陸征服の野望を引き継いだといえ、母親の大政所(なか)や弟の豊臣秀長の反対、大大名の徳川家康や前田利家などの反対を押し切り、加藤清正や小西行長らに率いられた日本軍は、兵士でなくても手当たり次第殺害し、その「鼻」を切り取ったという。その数、10数万個以上と思われる。ひどい殺戮である。

加藤清正軍の中に沙也可(さやか、日本名は不明)という武将がおり、名分なき戦いと殺戮に反対し、また朝鮮の儒教文化による仁義の国にあこがれ、兵士500名を率いて、朝鮮に帰順しました。その後、火薬と火縄銃の技術を伝え、日本軍を敗退させることに努力しました。後日、大邱(テグ)市郊外の友鹿洞(ウロットン)に住み、女真族(後日、清国をつくる)の越境を阻止する功績を挙げ、金忠善(キムチュンソン)という朝鮮名も国王からもらいました。400年つづく現在も、子孫たちは友鹿洞付近に暮らしています。

一説には、沙也可は石山本願寺(大坂)の焼き討ちで、織田信長に続いて豊臣秀吉によって滅ぼされ各地に散っていった雑賀衆(さいかしゅう)ではないかと言われている。根拠は、雑賀衆は戦国時代最強の鉄砲部隊と言われていたことによる。

この侵略により多くの陶工が日本へ捕虜として連れてこられ、各地の藩で磁器を製作し、それが日本の薩摩焼・有田焼(伊万里焼)・萩焼などとして産業を支えることになります。しかしこれは平安時代に百済王子が日本へ来て、藤原鎌足になったような、また阿倍仲麻呂が唐へ行って朝衡(ちょうこう)となったようなこととは違います。捕虜として連れてこられたので、徳川時代前半に「朝鮮通信使」が来日し帰国の際に、捕虜も1000人規模で帰国しているにもかかわらず、藩主が自分たちの利益のために陶工達を隠していたと思われるのです。薩摩の島津家、有田の鍋島家、萩の毛利家など非道と言わざるを得ません。それらの家が、後日明治政府になっていくのですから、朝鮮侵略の血脈が奥底を流れているのを感じざるをえません。

徳川家康の時代となり、対馬の宗氏を通じて「朝鮮通信使の復活」を話し合う中で、朝鮮側の松雲大師・惟政(ソウウンデサ・ユジョン)が、家康と会うことになりました。話し合いの結果、和解することになりました。朝鮮側としては、女真族の侵略や捕虜の早期帰国など緊急の課題もあり、また家康は秀吉と違い侵略の意図がないと判断しての和解です。松雲大師の人柄が和解の手助けになったようです。

15世紀前半の室町幕府(1336年~1573年)から始まって、応仁の乱の100年間途絶えていた「朝鮮通信使」がついに復活です。江戸時代の前半(1607年~1764年までに11回)の様子が詳しく本書に書かれています。その中の福山藩「鞆の浦」の福禅寺(対潮楼)は、私たちも一度は訪れたい名跡だと思います。

大飢饉が続いて起こった松平定信の時代以降、儒教の中の朱子学を重んじる流れから、天皇中心の「国学」の方向へ舵を切った日本の学者たち(吉田松陰)らによる尊王攘夷運動が力を増して来ると、日本型華夷意識(かい、中国の中華思想の日本版)により、「植民地政策」が大手を振ることになる。1811年の第12回朝鮮通信使を最後に日朝(日韓)の友好関係は崩れって行ったのである。通信使が通った街道沿いの文化を残して……。

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235.「東京今昔歩く地図帖」を読んで

井口悦男・生田誠共著の「東京今昔歩く地図帖」(学研ビジュアル新書V004)を読んだ。読んだというか見たといった方が適しているだろう。江戸時代の古地図と、明治・大正・昭和初期の絵はがきに彩色をほどこしたもの(彩色絵はがきとして売られていたらしい)が現在の東京の写真にオーバーラップさせて紹介されている。

昔の小説や交通網などを読んだり調べたりするときに、参考となった。このシリーズは、大阪や京都編もあるらしいので、参考になりそうである。また、白黒写真に当時の人が彩色を施している絵はがきなので、ほぼ当時の様子を表していると思う。

私が一番興味をそそられたのは、上野の大仏(今はこわされて存在しない)だ。奈良だけでなく、上野に大仏殿(明治初期に壊された)や大仏(戦時中に武器として体が徴用された)が存在していた頃の話を聞いてみたいものだ。落語の「大仏餅」の中に出てくるらしい。また、どこかに頭部のレリーフが残っているという。

彩色絵はがきは、先日行った「角館」の「小田野家の資料館」や、「栃木市」の「あだち好古館」でみたことがあるので、収集家達は結構持っていると感じた。

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234.「母」を読んで

三浦 綾子著の「母」(角川文庫)を読んだ。1933年(昭和8年)2月20日、特高警察(「国家組織の根本を危うくする行為を除去するための警察作用」と定義される政治警察や思想警察のことである。戦前の日本では、治安警察法、出版法、新聞紙法などに基づいて、この種の警察作用が行われた。特別高等警察では、このうち特に、社会主義運動、労働運動、農民運動などの左翼の政治運動や、右翼の国家主義運動などを取り締まった。被疑者の自白を引き出すために暴力を伴う過酷な尋問、拷問を加えた記録が数多く残されるなど、「特高」は当時の思想弾圧の象徴ともいえる存在であった。)によって、虐殺された「小林多喜二」の母親が語ったものをまとめた本である。年老いた母親の話は、ポツリポツリと思い出しながら話してくれるため、昔話を聞くようにからだの中に染み渡っていく。

はじめは、家族の話から始まる。貧しいながらも明るく逞しく生きた父・小林末松と母・小林セキの次男として、秋田県北秋田郡下川沿村(現在は大館市、下図参照)で誕生した。セキの実家は釈迦内村で、1886年(明治19年)に13歳で、隣村の下川沿村の小林家に嫁ぐ。当時の東北の貧しい農家は、地主に4分6分の割合で米を納めていたため、ろくに食べる米が無かった。そこで多くの貧しい農家では娘が13歳ぐらいになると、女郎屋に「身売り」され、そのため病気で5~6年で亡くなることが多かった。セキの友だちの多くもそうやって亡くなっている。

叔父が小樽で商売に成功したので、それを頼って小林一家は、小樽市の築港駅の側の若竹町に転居した。パンなどの小売りをして生計を立てることになる。港の飯場のタコ部屋の虐待であげる悲鳴なども聞こえてきている環境である。両親が貧しい労働者を助ける姿を見て、多喜二は育っている。また、小樽水産高校の生徒がたくさんパンを買いに来ていたらしい。

小林多喜二の政治的側面だけでなく、家庭の内部から見た多喜二の人柄や、唯一の小樽時代の恋人「タミちゃん」の話など、読んで微笑ましくなる話なども知ることができた。2016年中に山田火砂子(ひさこ)監督による映画「母-小林多喜二の母の物語」(三浦綾子原作)が完成するというので、詳しくはその映画を見てもらいたい。私は、この本を読んで感動のあまり、映画成功のためにカンパ(といっても1万円だが)をしてしまった。来年正月の上映を心待ちにしている。



さて、話は全然違うことに移るが、上の大館駅を中心にした地図の5角形の頂点の一つの二井田村には、「趣味」の「歴史の部屋」で紹介した「安藤昌益」のお墓のある温泉寺がある。ここの写真は、「国内旅行」の「東北への旅06」の「7月31日(月)」に掲載しているので、是非見て欲しい。安藤昌益は1762年(宝暦12年)に亡くなっているが、偶然にも国家権力に対抗した2人の偉人の出身地が「大館」だったとは、興味がそそられる。

近隣を調べてみると、花岡事件(1945年6月30日に花岡鉱山で中国人労務者が蜂起し、日本人を殺害し、その後鎮圧された事件。戦後、過酷な労働環境について損害賠償請求裁判が提訴された。)がある。さらに私事で恐縮だが、妻が生まれたところも近隣だったことが今回分かった。生まれてしばらくして弘前市に転居しているので、弘前だとばかり思っていたのだが、両親の仕事の関係で大館市扇田町生まれたという。

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233.「光炎の人(上・下)」を読んで

木内 昇(きうち のぼり、女性)著の「光炎の人」(角川書店)を読んだ。出版社勤務を経て独立し、インタヴュー雑誌『Spotting』を主宰するなど、フリーランスの編集者、ライターとして活躍。2004年に『新選組幕末の青嵐』で小説家としてもデビューし、2008年の『茗荷谷の猫』が各誌紙の書評で絶賛され大きな話題を呼ぶ。2009年、第2回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞受賞。2011年、『漂砂のうたう』で第144回直木賞受賞。2014年、『櫛挽道守』で第9回中央公論文芸賞、第27回柴田錬三郎賞、第8回親鸞賞を受賞。

三作続けて女流作家の本を読んだ。しかし、はじめはこの本が男性によって書かれた物という先入観があった。名前もそうだが、書かれている内容も「男中心主義の表現」が各所に見られるからだ。よく考えたら、女性蔑視とも取れる表現を男性が書く時代は既に終わっている。遠慮無くかけるのはやはり女性だからだろう。例えば、主人公の音三郎がはじめて好きになった女性のタツと別れるシーンでは、「この女は小便臭い、男の足を引っ張る臭いじょ」などと表現している。嫌いになっただけならばもう少しましな表現の仕方があろうものを。

この点を我慢して読み進めていくと、音三郎の向上心が、明治・大正・昭和(戦前)の日本人の多くが願っていた「生活の豊かさ」に向かって、突き進んでいく猛烈な勢いを感じさせてくれた。はじめは徳島の山村でたばこの栽培農家だったが生活は苦しい状態だった。その三男坊として生を受けた(実際はもう少し複雑なわけがありそうだ)。その後、徳島の池田町に出て、たばこを製品化する工場で汗水垂らして働く。そこで、労働者から機械工になり、大阪の伸銅工場の技術者になり、ソケットの加工から無線電信の開発に努力する。小学校もろくに出ていないが、大学の電気の本も独力で理解できる様になった。その結果、東京の官制の研究所に大学出として研究員になる(実際は経歴詐称である)。無線電信の第一人者として、関東軍の要請で満州に出向き、満州事変へと突入する関東軍と生死を共にすることになってしまった。話の勢いに乗って、私も上下巻を読み進めることができた。また、あまり知ることのできない大正時代前後の歴史や庶民の動きを知ることが出来たのは、この本の特徴でもある。私が思うに、「本とは、事実をベースに、作者の感性で話を具体的に膨らましたり、創作したりして、読み手に原体験したかのように思わせることができる」ものが読み応えがある本と思っているからだ。英語で言うバーチャルリアリティである。

無線通信機を製作した音三郎は、関東軍に取り込まれて「張作霖爆破事件」の当事者の1人になっていくあたりの描写は鬼気迫るものがある。音三郎の体の戦慄き(わななき)が伝わってきた。

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232.「みかづき」を読んで

森 絵都(もり えと)著の「みかづき」(集英社)を読んだ。1990年、『リズム』で第31回講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー。同作品で翌年、第2回椋鳩十児童文学賞も受賞した。その後も数々の作品で多数の文学賞を受賞している。第46回産経児童出版文化賞を受賞した『カラフル』と、第52回小学館児童出版文化賞を受賞した『DIVE!!』は映画化もされ、話題になった。2006年、『風に舞いあがるビニールシート』で第135回直木賞受賞している。

太陽と月を比較対象として、太陽が文部省(文科省)主導の学校教育で、月が塾などの補充教育を示している。戦前の軍事教育を受けた主人公の千明が、戦後の民主教育に希望を持っていたが、米国の占領政策から独立を果たした昭和27年頃から再び「万歳太郎」や「神風次郎」が登場する国家主義教育が日本を覆い始めたことに怒りをもちはじめていた。太陽の選民教育に対抗して、月の補充教育を目指してもう一人の主人公・吾郎と出会ったことで、塾の設立へと進んでいく。「自分で考える力」をめざして、一人ひとりに合ったプリントを手作りしている。一斉授業の学校教育では出来ない面である。

私が教師生活をしているときに感じた塾教育の変遷が如実に話の中に登場してくる。進学指導と補習授業の対立、塾同士の生徒の奪い合い、週休二日制における学力問題と塾のあり方など、いろいろ実感していたことが、塾側の内容として展開していて理解を深めることが出来た。さらに、私が退職後に参加しているアスポート(生活困窮家庭の子どもの教育支援)と同様な話が、吾郎の孫の一郎により事業「三日月」として登場してくると、感動の波動が胸や瞳を打ち振るわせ続けている中で、読了した。実に良い本に巡り会ったと感謝している。

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231.「しずかな日々」を読んで

椰月 美智子(やづき みちこ)著の「しずかな日々」(講談社)を読んだ。2002年に『十二歳』で第42回講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー。この『しずかな日々』で第45回野間児童文芸賞と第23回坪田譲治文学賞をダブル受賞した。このデビューの仕方からして、児童文学の作家として位置づけられるだろう。

本の帯に書いてある様に、私の読後感も「そうか、少年って、こんなふうに おとなに なるのか。」という想いが心に浮かんできた。と同時に、私自身の少年時代に感じていた「機微」が、見事に表現された気がする。あのころの静かな日々に戻りたいものである。いやちがう!私の孫の男の子が、小学生になったら、こんな感じで一緒に過ごせたらと思えば良いのだ。そう思うと、今から楽しみである。(まだ2,3才なのだが)

一方、妻は、少年とおじいさんの二人だけの生活の繰り返しの本の中に「退屈さ」を感じたらしく、途中で読むのを止めてしまった。なぜ私と違うのか考えてみた。多分、「少年」を体験していないからかもしれない。この「少年」の機微は不思議なものである。とすると、著者の椰月美智子という女性は、どこでこの感覚を感じることが出来たのか興味が湧いてきた。

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230.「湖底の城 五巻」を読んで

宮城谷昌光著の「湖底の城 五巻」(講談社文庫)を読んだ。 下の地図は、春秋戦国時代の勢力図です。主人公の伍子胥(ごししょう)が、祖国「楚」を追われ、「宋」を経て、「呉」に落ち着き、「斉」より孫子の兵法で有名な孫武を「呉」に招き、「楚」や「越」に闘いを挑む話である。


「ビブリオバトルinぼんとん」で発表してからの記載なので、その際質問が出た中国史の時系列をまとめてみる。
神話伝説の時代~紀元前2070年頃
紀元前2070年頃~紀元前1600年頃
商(殷)紀元前1600年頃~紀元前12世紀・紀元前11世紀頃
紀元前12世紀・紀元前11世紀頃~紀元前256年
春秋戦国時代紀元前770年~紀元前221年
紀元前221年~紀元前207年
紀元前206年~220年
三国時代220年~280年
265年~420年
五胡十六国時代304年~439年
581年~618年
618年~907年
五大十国時代907年~960年
北宋と遼・西夏960年~1127年
南宋と金・蒙古1127年~1279年
1271年~1368年
1368年~1644年
1616年~1912年
中華民国1912年~1949年
中華人民共和国1949年~現在

中国に関する今まで読んだ本を時代順に記述すると、
214番の「天空の舟 小説・伊尹伝」は、商(殷)を起こした湯王(成湯)の名参謀の話である。本の内容とは違うことだが、ネットで調べたことを書くと、伊尹は「阿衡」とも呼ばれたようだ。のちに、その名を冠した阿衡事件(あこうじけん)が平安時代前期に起こる。これは、藤原基経と宇多天皇の間で起こった政治紛争で「阿衡の紛議」と呼ばれているそうだ。
215番の「太公望」は、周を起こした西伯昌と武王の名参謀の話である。
180番の「夏姫春秋」は、春秋戦国時代の周の側にあった鄭の国の夏姫と周の神官・巫臣が主人公の話である。
181番211番230番の「湖底の城」は、春秋戦国時代の楚→宋→呉と移動しながらも活躍する伍子胥の話である。
137番の「史記(一)本紀」は、司馬遷の書いた中国の古代史「三皇本紀(ほんぎ)」「五帝本紀第一」「夏本紀第二」「殷本紀第三」「周本紀第四」「秦本紀第五」「秦始皇本紀第六」の7つが書かれている。
139番の「史記 武帝紀五」は、前漢の武帝に仕えて史記を書いた司馬遷の話である。
127番の「楼蘭ー流砂に埋もれた王都」は、紀元前2世紀頃の前漢の時代の楼蘭の栄枯盛衰の歴史が書かれている。
120番121番122番の「草原の風」は、後漢の時代の光武帝の話である。
119番の「図解『三国志』」は、三国時代の劉備(蜀)・曹操(魏)・孫権(呉)の天下取りの話しである。
141番の「翔べ麒麟」は、716年遣唐使としてやってきた阿倍仲麻呂が、玄宗の片腕となって大唐帝国を支え、名前を「朝衡(ちょうこう)」と名乗り、楊国忠と対立する集団の中心人物として活躍している。中国の有名な詩人たち(李白、杜甫、王維など)とも交流し、その漢詩の中で「朝衡」の名が歌い混まれているのも凄い。また、阿倍仲麻呂の歌「あまのはら ふりさきみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」は、中国の地で大和を偲んでうたった歌である。
168番の「安禄山」は、唐の時代で、楊貴妃や玄宗皇帝や阿倍仲麻呂などの時代の話である。
130番の「中国の歴史08『疾駆する草原の征服者』遼 西夏 金 元」は、960年から1279年に活躍した中国東北部の覇者「遼 西夏 金 元」のことを詳しく書いている。
15番の「の契丹(きったん)古伝」は、「北宋と遼・西夏」の時代の遼(契丹)の古文書の解読の書である。
143番144番147番149番の「中原の虹」は、清朝が成立し滅亡していく過程を4巻にわたって書いている。

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229.「地球の歩き方 ラオス」を読んで

ダイヤモンド・ビッグ社発行の「地球の歩き方 ラオス」を読んだ。 9月22日から1週間旅行に行く東南アジアのラオスについて勉強しようと思ってガイドブックを購入した。旅行しおりにある2大都市ビエンチャンとルアンパバーンについて詳細に読んでいくと、知らないことだらけであった。

ビエンチャンは首都なので特別市になっています。周りはビエンチャン県です。ビエンチャン市の人口は約80万人でビル群と車であふれかえる大都会で、名所もたくさんあります。黄金に輝く仏塔「タート・ルアン」、パリの凱旋門を模した戦没者慰霊塔「パトゥーサイ」、1353年にラーンサーン王国(19世紀初頭から、シャム(タイ)やフランスによる植民地化、1945年日本支配、1963年ベトナム戦争と同時にアメリカによる爆撃、1975年ラオス人民民主共和国成立と共に王政廃止)ができて以来次々に建設された屋根に特徴のある寺「ワット・ホーパケオ」「ワット・シーサケート」などです。お土産を買うのに寄る市場「タラート・サオ」は、何とイオンモールのような建物です。新旧のお土産物などが一堂に会しています。

次に行くルアンパバーンは王国時代初期の古都で、国内線で45分の北部ラオスの真ん中に位置します。バスで行くと11時間もかかるそうです。因みに、ラオスは日本の本州の大きさで南北に延びた国土です。国土の左に沿う様にメコン川が流れています。北部ラオスの多くは2000m級の山々が連なっており、そこに約49の少数民族が暮らしています。基本的には中国雲南省あたりから昔移動してきたようですが、顔や服装ことば等も異なり、公用語のラーオ語に統一するために苦労して教育しているようです。まだまだ貧富の差も大きく、国の目標は2020年までに最貧途上国からの脱出を上げています。ユーラシア大陸が出来たときの影響でできた山々からいろいろな鉱石が取れるので、中国をはじめベトナム・タイ・日本・韓国・アメリカなどの会社が進出し始めています。さらに、ルアンパバーンなどが世界遺産に指定されたこともあり、世界中から観光客が押し寄せており、ホテルなどのインフラは整えられているようです。

今回観光に訪れるのは、「ルアンパバーン国立博物館(王宮殿の建物)」や、その側の330段階段を上がったところにある「プーシーの丘(ルアンパバーン市内が一望できる)」や、メインストリートの「シーサワンウォン通り」に夜店が並ぶナイトマーケットでお土産物を購入することができるのも楽しみです。

また、「メコン川クルーズ」や「パークワー洞窟(5000体の仏像がある)」や「バーン・サーンハイ(酒造りのサーンハイ村、高濃度のラオ酎)」のツアーも予定されています。そのため、雨合羽と懐中電灯と虫除け薬と携帯蚊取り線香と長袖を用意する予定です。

ルアンパバーンには、荘厳なお寺もたくさんあります。早朝には托鉢をする僧侶や寄進する人々の姿も見ることが出来る仏教の国です。「ワット・シェントーン(1560年建立、ラオスで最高級の美しい寺)」「ワット・マイ(1788年建立、仏教の輪廻を表現した黄金のレリーフで有名)」「ワット・セーン(1714年建立)」の見物に行く予定です。寺の中は裸足になるので、寺院巡りに最適なサンダル(またはゴム草履)を用意しました。

最後の日のオプションツアーには、「タート・クアンシーの滝」と「モン族の村」に参加します。そのあと、ルアンパバーンからハノイを経由して、翌日の早朝成田に戻ってきます。なお、歴史を勉強すると、モン族の悲劇は避けて通れません。アメリカCIAの世界各地で行っている策謀と同じ策動に荷担したと言うことで、モン部隊兵士の多くの生死は未だ不明です。

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228.「コンビニ人間」を読んで

村田沙耶香著の「コンビニ人間」(文藝春秋)を読んだ。 第155回芥川賞(2016年度)を受賞した作品である。そのタイトルの奇抜さから是非読んで見たいと待っていた本が、書店の棚に並んだので、早速購入した。ブックオフと図書館からの本しか認めない妻の目を盗んで購入したので、カバーしたまま置いてある。いつ気づくか楽しみである。

さて、内容だが、36歳の未婚女性が主人公だ。名前を「古倉恵子」という。最近はどこにでもいそうな女性であるが、大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトを18年目やり続け、これまで彼氏がいないと言うところが、少し違っている感じがする。

本を読み進めると、小学生の頃、男の同級生の喧嘩を止めるために、スコップで殴ったとか、泣いて愚図る妹の赤ちゃんを静かにするため、ナイフをちらりと見るなど、少し怖い。コンビニに来る女性を狙うストーカー気味の男性と急に同棲し、食事を出すことを「餌を与える」という。

現在のマスコミを賑わす事件に登場する人物と何故か似ているのだが、ただ違うのは、「コンビニ」に対する捉え方だ。マニュアル化された「店員」という仕事の前では、みんな平等で、協力し合って働いていることだ。コンビニ内で発する音に機敏に反応して仕事をする「恵子」にとって、そのことが毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。仕事も家庭もある同窓生たちからどんなに不思議がられても、「完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、私を世界の正常な『部品』にしてくれる」と言う。

私が毎日行くコンビニに感じている、スーパーやホームセンターには無い清涼感はこうして出来ているのだと感じさせられた。同時に「発達障害」の側面も知ることが出来た。LD(学習障害)や自閉症スペクトラムやADHD(注意欠陥多動性障害)やアスペルガー症候群などの理解と支援がどうあるべきかも考える切っ掛けになる本である。

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227.「サハリン残留」を読んで

玄 武岩(Hyun Mooam)、パイチャゼ・スヴェトラナ、後藤 悠樹の3人による共著の「サハリン残留」(高文研)を読んだ。 玄 武岩は、日韓関係および在外コリアンの研究者で、サハリン残留朝鮮人の歴史と現在について研究を行ってきた。サハリンの現地調査の経験もある。パイチャゼ・スヴェトラナは、通訳として1人のサハリン朝鮮人に会い、「母は日本人」と言う言葉を聞いて、サハリンに日本人残留者がいることを知って驚くところから関心を持ち、北海道でサハリン帰国者に接する。在外ロシア人の研究者は「北海道多文化共生におけるサハリン帰国者の役割」と言う研究プロジェクトを開始した。後藤 悠樹は、20才の頃からたびたびサハリンを訪れ、日本・韓国・ロシアの狭間に生きるサハリンの人たちをカメラに収めてきた。彼の作品に映し出される素顔の主人公たちへの温かい目線と柔軟な感性は輝いて見えた。本書に登場する人々を写した写真展で、3人は意気投合して、「語り」と「イメージ」をあわせた本書ができあがった。

内容としては、副題の「日韓ロ 百年にわたる家族の物語」そのものである。2013年秋にサハリン平和の旅に参加し、現地に残る朝鮮人や日本人と面会もしているので、話の中身には胸を打つものが多い。

この本を読みながら、知らなかった言葉をいくつか知ることが出来た。記憶に残すために、ここに記述する。 「アイデンティティ・ポリティクス(主に社会的不公正の犠牲になっているジェンダー、人種、民族、性的指向、障害などの特定のアイデンティティに基づく集団の利益を代弁して行う政治活動)」「ポストコロニアル(植民地主義や帝国主義に関わる文化、歴史などを広範囲に取り扱い、批評、評論していくが、多岐にわたる方法論や問題意識の集合体であり、一つの運動ではない)」「ジェンダー(生物学的な性別sexに対して、社会的・文化的につくられる性別genderのことをさす)」

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226.「前世への冒険」を読んで

森下 典子著の「前世への冒険-ルネサンスの天才彫刻家を追って」(光文社知恵の森文庫)を読んだ。 森下典子の著作には「いとしいたべもの」のようにエッセイものが多いのだが、 2000年の頃書いた「デジデリオ」はその趣を異にする。イタリアの彫刻家デジデリオは500年前のルネッサンス期に存在した芸術家だが、なんと森下典子の前世だという。

この文庫本は集英社版の「デジデリオ」を下に挿絵や写真や加筆をして発売されたものである。「輪廻転生」を信じない森下だが、なんとなく血が騒ぎ、イタリアのフィレンツェへ証拠探しに出かける。それは、前世が見えると予言した女性の言葉が嘘であるのを確認に出かけるのだが、ことごとく前世に近づいていく。まずはときの助けにと通訳を兼ねて、フィレンツェに在住している日本人の画家に協力を依頼する。教会や図書館や美術館などの一般公開していない作品も含めて訪ね歩く。その中で、デジデリオの作品にも出会うことになる。実在したのだ。デジデリオが住んでいた村にも出かけ、さらに生誕地ポルトガルのポルトにも出向く。読んでいくと、次から次へとが解けていくのは面白い。

解説のいとうせいこうさんが言っているように、読者は現代の日本とイタリア・ルネサンス期を行き来しつつ、読みさすことのできない文章の速度に乗せられて結末に連れて行かれる感じがする。つまり、この本を読むことで、ルネッサンス期の彫刻家たちの人物像に迫ることができ、500年前の歴史が目の前にありありと浮かんでくる。前世と言うこととは別に、読者に当時の有様を軽々と伝えることができる本とは素晴らしい。

この本はドラマ化もされ「フィレンツェ・ラビリンス」というタイトルで杏主演の作品になっている。是非見てみたいものだ。

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225.「津軽双花」を読んで

葉室 麟著の「津軽双花」(講談社)を読んだ。 123番で読んだ「蜩(ひぐらし)ノ記」の印象から葉室作品を読んでみたかったので、「津軽双花」が本屋の陳列棚にあるのを見つけたので直ぐ購入した。表紙の絵がとても綺麗で印象的である。表紙も本にとっては大事だと思う。中には挿絵がないが、読みながらこの2人の絵がいつも浮かんできたのには驚いた。イメージが中身を膨らます例であろう。自分でイメージしても良いが、絵によって与えられたイメージも良いものだ。映画を見たあと本を読むとこういうことがよく起こる。

江戸時代の初期、豊臣家がまだ大阪で健在だった頃の話である。1代で南部藩から独立して津軽藩を築きあげた津軽為信(ためのぶ)の後継者の二代藩主・津軽信枚(のぶひら)の元へ、家康の姪の満天姫(まてひめ、前夫・福島正之との間に直秀がいた)が正室として嫁入りすることになった。家康や天海(てんかい、当時家康の参謀)にとって大阪を攻める折に伊達正宗への見張りとして津軽藩を身内にしておきたかった様だ。そのとき既に、信枚の元には正室・辰姫(たつひめ、石田三成の娘)で寧々(ねね、秀吉の正室、このときは高台院)の養女となり、信枚の元に嫁いでいた。信枚は大館御所(おおたちごしょ、新田の庄、群馬県太田市尾島、ねぷた祭りを行っている。弘前市と姉妹都市)を作り、そこに辰姫を移し1子・平蔵(のちの三代藩主・信義)をなしている。満天姫は江戸屋敷に入り正室となったが、「女人の関ヶ原」と言われている。満天姫は辰姫の死後、側室の子や信枚の兄の子や自分の連れ子を退け、多くの反対を押し切り、三代藩主に信義を立て守って行く。

この本は、タイトルは「津軽双花」とあるが、文中で出てくる内容を詳しく説明するため、別立てで「大阪城」「関ヶ原」「本能寺」などの時の流れも表現しているので、4倍お得な感じがする。

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224.「『ABC』問題は解決できるのか」を読んで

松村 高夫著の「『ABC』問題は解決できるのか」(ABC企画委員会ブックレット)を読んだ。 今年(2016年)の3月5日に草加であった講演会「戦争法体制・731部隊・『責任の歴史学』を考える」に参加したとき購入した本だ。このたびの参議院選挙の憲法改悪派が3分の2を越える議席をとったという現実が何故起こったのかを知りたくて、読みかけになっていたこのブックレットを取り出して読んだ。

タイトルのABCとは、A(Atomic Weapon 核兵器)、B(Biological Weapon 生物兵器)、C(Chemical Weapon 化学兵器、毒ガス)のことで、20世紀はこれらの兵器で「大量虐殺と戦争の世紀」と言われ、ジェノサイドで約1億人、戦争で約8000万人が殺害された。その歴史と事実確認(「時の政府」は事実関係を抹消したがっている)をしながら、「責任の歴史学」を追い求めているのが、ABC企画委員会であるという。

「時の政府」に迎合する「歴史学者」ではなく、事実を調べて問題を告発していく市民一人ひとりによる「歴史学」こそが「責任の歴史学」として大事であることを述べている。

・昨今マスコミの話題から消えていた731部隊によるジェノサイド(1950年代後半に、アメリカから資料全てが日本政府に返還されたのにもかかわらず、それを明らかにしない隠蔽の体質)

・アルメニア人虐殺(1915・16年100万人以上、トルコ政府はでっち上げだと言っている)

・ノグンリ虐殺(1950年6月米軍により、韓国避難民が双子トンネルで約300人が殺された事件。クリントン大統領は「遺憾 regret」は示したが、「謝罪 apologize」はしませんでした。)

この本では、同様なジェノサイドを紹介(下参照)していますが、忘れ去るのではなく「責任の歴史学」として、二度と同じことをしない様に学習し伝えていく大切さを知ることが出来ました。

「時の政府」の多くは、国民・市民にこの事件を忘れさせて、同じ道を歩みたがるようです。市民一人ひとりが「歴史学者」になって事実を発掘し伝えていく大切さを知ることが出来ました。

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223.「日輪の遺産」を読んで

浅田 次郎著の「日輪の遺産」(講談社文庫)を読んだ。 208番で読んだ浅田次郎著「シェラザード」につづく作品として読んだ。解説の北上次郎(ミステリー文学評論家)によると、1993年に書かれたこの作品は、浅田次郎の初期の作品「きんぴか」「プリズンホテル」から、1996年「蒼穹の昴」以降に燦然と輝く浅田文学への切り替え地点の作品となるらしい。

私としては、浅田文学が確立してから、数多くの作品を読んできた。直木賞受賞の「鉄道員(ぽっぽや、この作品は映画鑑賞)」、清朝の興亡を圧倒的なスケールで展開する「中原の虹」、張作霖事件を描いた「マンチュリアン・リポート」、終戦時にシンガポールからの帰国途上で撃沈された豪華客船「シェラザード」、退職後の悩みを扱った「ハッピー・リタイアメント」である。

「シェラザード」より前に書かれていた作品であったが、根幹とするところは同じなので、既にその発想は心の中にあったのだろう。終戦時におけるマッカーサー将軍の来日に前後して起こった金塊を隠蔽する経過が、当時の政治状況を映しながら展開している。マッカーサーの両腕と言われたウィロビー少将やホイットニー准将なども、人物を彷彿するかの如く描かれているので面白い。

土地金融を扱う地元デペロッパーの金原老人の存在が前半と後半では全く違って見えてくるには恐れ入った。

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222.「海の祭礼」を読んで

吉村 昭著の「海の祭礼」(文春文庫)を読んだ。 鎖国している日本にアメリカからペリーが来航し、そのあとハリスが老中・阿部正弘へ通商条約を要求して一気に開国を迫った。その所為か39歳の徳川幕府一番の強者だった阿部正弘は急死する。その後、井伊直弼の登場で、難局を乗り切るために独裁化が進み、吉田松陰など処刑される。それに端を発して、尊王攘夷派や薩長同盟など急速に幕府転覆への道を進んでいく。無能な幕府と近代化を進める新政府軍という構図で、明治維新を理解していたが、この本に出会って目から鱗がはげ落ちていった。

解説の曾根博義(文芸評論家・日大名誉教授)の言う様に、「吉村昭は、日本を内側からだけでなく外側からも見て考えて本を書く」という観点は、私にとって明治維新を内側からだけで見ていたことを痛感させた。坂本龍馬や西郷隆盛などに関心を寄せ、伊藤博文らが何故ヨーロッパに行って文化を学んでいたのかなど、不思議なままに分からないでいたのだ。

この本は、キーマンとして、実在し幕末を疾走していった森山栄之助(通訳)と初めて日本に密航したラナルド・マクドナルド(アメリカ人でインディアンとの混血)の長崎での出会いから話が広がっていく。初めは、オランダ語の通訳だった森山が、マクドナルドから英語を学び、その通訳として、ペリーやハリス、ロシアのプチャーチンらと接していく。彼らの日記には、森山の名前が記されているが、日本ではほとんど忘れ去られている。そして、ヨーロッパにも出向き交渉の先頭を担っている。福沢諭吉も弟子入りを希望したが、森山が多忙のためかなうことはなかった。

明治維新後、要職への誘いもあったが、疲れ切り51歳で老衰のため死去してしまった。彼とマクドナルドの記録を世に問うために、吉村昭の力作は立派な成果を上げたといえる。あとは、私たちが読むかどうかにかかっている。

もう一つ大地震・大津波についてのことだが、この時期は現在と同様に立て続けに災害が起こっている。記録用に表にした。(安政の大地震 - Wikipediaより抜粋)

    1853年3月11日(嘉永6年2月2日)- 小田原地震。
    1853年7月8日(嘉永6年6月3日)- ペリー来航。浦賀沖。
    1853年8月22日(嘉永6年7月18日)- プチャーチン来航。長崎。

    1854年3月31日(嘉永7年3月3日)- 日米和親条約締結。
    1854年5月2日(嘉永7年4月6日)- 京都大火。禁裏より出火、炎上。
    1854年5月17日-(嘉永7年4月21日-)- 下田了仙寺対談。ペリーと幕府側との
                                       通貨交換率の交渉。
    1854年7月9日(嘉永7年6月15日)- 伊賀上野地震。
    1854年12月23日(嘉永7年11月4日)- 安政東海地震(巨大地震)。
                                      下田に大津波。津波でディアナ号遭難。
    1854年12月24日(嘉永7年11月5日)- 安政南海地震(巨大地震)
    1854年12月26日(嘉永7年11月7日)- 豊予海峡地震。
    1855年1月15日(安政元年11月27日)- 安政に改元。曳航中ディアナ号座礁。
                                       4日後に沈没。
    1855年2月7日(安政元年12月21日)- 日露和親条約締結。
    1855年3月18日(安政2年2月1日)- 飛騨地震。
    1855年9月13日(安政2年8月3日)- 陸前で地震。
    1855年11月7日(安政2年9月28日)- 遠州灘で地震。東海地震の最大余震。
    1855年11月11日(安政2年10月2日)- 安政江戸地震
                                     藤田東湖・戸田蓬軒圧死。
    1856年8月21日(安政3年7月21日)- ハリス下田に総領事として着任。
    1856年8月23日(安政3年7月23日)- 安政八戸沖地震(巨大地震)
    1856年10月7日(安政3年9月9日)- 下田御用所にてハリスと幕府側との通貨
                                    交換率の交渉。
    1856年11月4日(安政3年10月7日)- 江戸で地震。
    1857年7月14日(安政4年閏5月23日)- 駿河で地震。
    1857年10月12日(安政4年8月25日)- 伊予・安芸で地震(芸予地震[28])。
    1857年12月20日(安政4年11月5日)- 吉田松陰が松下村塾を引き継ぐ。
    1858年4月9日(安政5年2月26日)- 飛越地震。
    1858年7月8日(安政5年5月28日)- 八戸沖で地震。
    1858年7月29日(安政5年6月19日)- 日米修好通商条約締結。
                                     続いて蘭、露、英、仏と五カ国条約。
    1858年10月11日-(安政5年9月5日-)- 安政の大獄が始まる。
    1859年1月5日(安政5年12月2日)- 石見で地震。
    1859年7月1日(安政6年6月2日)- 横浜港・函館港・長崎港開港。幕末の通貨問題。
    1859年10月4日(安政6年9月9日)- 石見で地震。
    1860年3月24日(安政7年3月3日)- 桜田門外の変。井伊直弼が暗殺される。

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221.「ハッピー・リタイアメント」を読んで

浅田 次郎著の「ハッピー・リタイアメント」(幻冬舎文庫)を読んだ。 天下の財務省に33年間勤務し、やっと課長補佐になったノンキャリアの樋口慎太郎(55歳)と、自衛隊に37年間在隊し、大学の通信教育を履修して二等陸佐(昔の陸軍中佐)になった大友勉(55歳)の2人のもとに、JAMS(全国中小企業振興会)の神田分室が再就職先として発令されたところから、話は進展する。

それぞれの役所で目の上のたんこぶになった2人を、秘密事項の保持と引き替えに「天下り先」が用意されたのだった。このJAMSでは、仕事らしきものをしないで60歳定年までぶらぶら過ごしても給料はもらえるし、2回目の退職金ももらえるという「夢のような天下り先」である。

今まで再就職してきたキャリア組の役人達は、将棋をしたりして日々過ごしているのだが、今回来た樋口と大友の2人は、そこを理解しないで仕事をしたがると立花葵(あおい)女史は愚痴る。名目上の仕事は、「返済不能の債権を掌握し、その記録を保管する」という仕事で、決して取り立てたりしないので、何もしなくても良いと言うことだ。

樋口・大友・立花の3人が、その仕事をし始める。若い頃借金をして返済不能になった債権の確認に行くのである。もう借金は時効であるので、その旨「返金しない」ことを確認してハンコを押してもらうだけだが、中には金持ちになっている人もおり、過去の負の遺産を消すために、借用書と引き替えに現金で支払ってくれる人もいる。その金額は、積もり積もって3億5千万円となった。そこで3人は行動を起こす。……

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220.「王妃の離婚」を読んで

佐藤 賢一著の「王妃の離婚」(集英社文庫、第121回直木賞受賞)を読んだ。 「ビブリオバトルinぼんとん」で初期の頃、すえちゃんが佐藤賢一の「カルチェ・ラタン」と「傭兵ピエール」の紹介をしてくれたときから気になっていた佐藤賢一だが、ついに著作の一つの「王妃の離婚」を読むことが出来た。最初は難しいかなと構えていたが、中頃から中身の面白さにグイグイ引っ張られて読んでしまった。

解説の池上冬樹(ハードボイルドの翻訳家、ミステリなどの書評家)が指摘するように、「佐藤賢一は、ヨーロッパの歴史の一部を題材にミステリや冒険などの要素を取り入れて、読者を篤くもてなす西洋歴史小説のパイオニア」と言う如く、これまでの著書からそれが見て取れる。前出の3冊以外に、「ジャガーになった男」「赤目-ジャックリーの乱」「双頭の鷲」「カエサルを撃て」「ダルタニャンの生涯-史実の『三銃士』-」等々である。

「王妃の離婚」は、1498年のフランスで、ルイ12世が王妃ジャンヌに対して起こした離婚訴訟で、零落した中年弁護士フランソワ(主人公)が裁判の不正に憤り、王妃の弁護に立ち上がる中世版法廷サスペンスである。当時は、教会が裁判を行っており、聖書の名の下に国王であってもその裁判に出廷している。この点は興味深いが、ただし背後では権力を使って国王有利に進めている。多くの弁護士も国王を恐れて、王妃の弁護士でありながら弁護になってはいなかった。そこに登場したのが、カルチェ・ラタンの異端児フランソワ・ベトゥーラスである。

カルチェ・ラタンで活躍していた当時のフランソワは、法学を学ぶ者は修道士であったのにも関わらず、ベリンダと言う女性と同棲していた。フランソワは「結婚か学問か」で悩んでいた。そしてその後、失意のうちにパリ大学を中退し、故郷に戻り弁護士になる。「何故ベリンダと分かれたのか、何故学問を捨てたのか」など、前半は分かりづらい部分があったのだが、王妃の弁護を受けるあたりからが少しずつ解明していく。そして、最終段階で、ハッピーエンドとなる。小説なのに思わず良かったと思ってしまった。

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219.「満つる月の如し-仏師・定朝」を読んで

澤田 瞳子(さわだ とうこ)著の「満つる月の如し-仏師・定朝」(徳間文庫)を読んだ。 解説の北上次郎(ミステリー文学評論家)によると、澤田瞳子は2010年9月に「孤鷹の天」でデビューし、中山義秀文学賞を受賞した新人で、5年間のうちに次々と作品を発表している。北上次郎に「歴史時代小説界の次世代のエース」と言わしめている。私の妻からは、「新聞でよく見かける時代小説家・澤田ふじ子の娘だよ。」と言うのを聞いていたので、読んでみる気になったのだ。

平安時代(西暦1000年前後)の中関白家・藤原道隆(藤原兼家の長男)の一族の衰退と、藤氏長者・藤原道長(〃5男)の一族の天下の中で繰り広げられる仏師の物語である。仏師は実在の定朝(じょうちょう)で、昨年(5/25~27)に親子二人旅で訪れた宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像の作者である。彼が主人公で、それを援助する隆範や道雅たち。道長に敵対する敦明親王(第67代三条天皇の子で、道長により左遷)の乱暴狼藉が話の中の随所に登場する。権力闘争のすさまじさを考えさせる。

最終的に、中務(太皇太后・彰子の弘徽殿付きの女房の一人)の心の中(従兄の敦明親王とは幼なじみで、結婚せずに想いを貫いている女性)に、『仏の顔』を見出した定朝によって、阿弥陀如来像が完成する。この像の周りの壁には、音楽を奏でる雲中供養菩薩像が舞っているのが、印象に残る。

  

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218.「三都物語」を読んで

船戸 与一著の「三都物語」(新潮文庫)を読んだ。 元野球選手で有名な清原和博が覚醒剤事件を起こしたちょうどその頃、巨人軍でかけ賭博が発覚し、笠原元投手らがプロ選手抹消されたタイミングで、何となく読んだ「三都物語」は、野球のかけ賭博の話から始まる。野球界の裏事情が事細かく書かれていて興味深く読むことが出来た。

日本の横浜と台湾の台中と韓国の光州の3つの都市を舞台に、野球チームと野球選手の様子を表現している。場所が変わっても登場人物はほぼ同じで、時間の経過と事件が絡みながら展開していく。解説の北上次郎の言うように、船戸与一の作品は必ず話の裏に政治的状況が入り込んでくる。今まで読んでこなかった船戸与一に興味が沸いてきた。

投手・劉東生の出身地で1930年に起きた台湾での霧社事件(むしゃじけん)-Wikipediaより抜粋(1930年10月7日に日本人巡査が原住民の若者を殴打し、その仕返しをしたことより、警察による弾圧を恐れた霧社セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの社(村)の壮丁300人ほどが、まず霧社各地の駐在所を襲った後に霧社公学校の運動会を襲撃した。襲撃では日本人のみが狙われ、約140人が殺害された。蜂起の連絡を受けた日本軍や警察は鎮圧を開始した。日本側は大砲や機関銃、航空機、毒ガス弾(ルイサイト)などの近代兵器を用いて暴動部族を制圧した。戦闘の中で、700人ほどの暴徒が死亡もしくは自殺、500人ほどが投降した。特にモーナのマヘボ社では壮丁の妻が戦闘のなかで全員自殺する事態となった。)が話に登場する。

もう一人の投手・金光洋昭(在日韓国人のキム・ヤンソ)は、台湾で劉東生を指導後、再び投手として韓国光州のチームで野球をしているが、その球場で光州事件-Wikipediaより抜粋(1980年5月18日から27日にかけて韓国の光州市を中心として起きた民衆の蜂起。5月17日の全斗煥らのクーデターと金大中らの逮捕を契機に、5月18日にクーデタに抗議する学生デモが起きたが、戒厳軍の暴行が激しかったことに怒った市民も参加した。デモ参加者は約20万人にまで増え、木浦をはじめ全羅南道一帯に拡がり、市民軍は武器庫を襲うと銃撃戦の末に全羅南道道庁を占領したが、5月27日に大韓民国政府によって鎮圧された。)に関係した殺人事件が起こる。

野球の話を読みながら、忘れかけている2つに事件の真相を知りたくなってきた。Wikipediaより抜粋したが、現地の人々の話を聞かなければ真相は分からないと思う。

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217.「つぶやき岩の秘密」を読んで

新田 次郎著の「つぶやき岩の秘密」(新潮文庫)を読んだ。 NHK少年ドラマシリーズで放映されて、石川セリの「遠い海の記憶」(主題歌)でも有名になった映画の原作である。巻末の中島京子の解説にあるように、70年代から80年代にかけてNHKが放映した少年ドラマシリーズを見た人々にとって忘れられないものとなっているようだ。残念ながら、私はこの時には、大学生から社会人に成り立てで、このシリーズは見ていない。DVDを購入して見てみようと思ったが、価格が二万八千円と高額だったので止めたが、どこかで是非見てみたいものだ。

三浦半島の南にある西海岸(塚が崎、架空の場所であるが、何となく葉山の御用邸付近の地形が似ている)が舞台である。そこに住む少年・三浦紫郎(鎌倉武将・三浦義澄の子孫)が主人公で、幼い頃両親を海で亡くし、今は祖父母に育てられている。塚が崎の先端にある鵜の島付近で遊んでいたとき、絶壁の岸壁に黒い顔の老人が突然現れたのを目撃したところから話が始まる。

この村には、戦争中アメリカ軍上陸に備えて壕(地下要塞)が掘られたと言う話が残っている。そこに近づいた2人が壕の中で死体として見つかってから、村人は近づかないようにしていた。また、戦後3人の男が近場に住み着いた。一人は、塚が崎の先端に別荘を構えて住み続けている白鬚、二人目は魚を売る行商をしている亀さん、最後の一人は怪我が元で頭がおかしくなった夜だけ徘徊する安さん、である。

紫郎少年はひょんなことから白鬚と知り合い、別荘に訪ねていくようになる。また、紫郎少年の相談相手として小学校の担任・小林恵子先生が登場し、話はクライマックスへ進んでいく。結構少年ドラマとはいえ面白そうだ。

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216.「氷結の森」を読んで

熊谷 達也著の「氷結の森」(集英社)を読んだ。またしても妻がブックオフで買ってきた。理由は、最近中国史ばかり読んでいるので、他の本も読んでバランスをとらせたいみたいだ。「太公望」を読み終わった後でもあったので、何となく目を通した。すると、サハリン(樺太)の地名が踊っている。2013年の秋に行った「サハリン平和の旅」と重なったので、興味深く読むことが出来た。

日露戦争後で、パルチザン軍によるソビエトができる前の、南樺太での話である。秋田のマタギだった主人公・柴田矢一郎が樺太の大泊(現在のコルサコフ、旧拓殖銀行大泊支店と旧王子製紙大泊工場跡が旅行の記憶に新しい)のニシン漁の船の上にいるところから話が始まる。体が疲れて動けなくなるまで力仕事を買って出る。小林多喜二の「蟹工船」のような働き方だが、それには国から逃げてきた訳(わけ)があった。大金を稼いでも国に帰るわけでもない。冬は山に入り樵(きこり)の仕事をする。中樺太にある敷香(現在のポロナイスク、旅行では行かなかった)の山奥の氷結の森(作者はそう名付けている)で、体を張って力仕事をしている。なぜそうするのかは、矢一郎を探して辰治(義弟、マタギ)が豊原(現在のユジノサハリンスク、ガガーリン公園や郷土史博物館や山の空気展望台などを旅行で見学、サハリン州の首都なので空港やホテルがある)に来たことを、置屋「葵」の女将の志乃から聞いて、再び逃げだそうとしているあたりから想像できる。

後半は、厳寒の間宮海峡を犬ぞりで渡り、ロシアに密入国し、ニコラエフスク(尼港と言い、300人ほどの日本人街がある)で再会した香代(惹かれ合う仲)とタイグーン(命の恩人のニブヒの長・ラムジーンの娘、誘拐されたのを助けて連れ帰ると約束している、矢一郎のことが好きである)とともに、パルチザン軍との戦いに巻き込まれていく。

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215.「太公望(上・中・下)」を読んで

宮城谷昌光著の「太公望」(文春文庫)を読んだ。最初に思うことは、夏王朝最後の支配者・帝桀にしても、商王朝(殷王朝)の最後の支配者・帝辛(紂王)にしても、その性格としては横暴極まりない思いがするが、その政治的手腕は勝るものがあるので、なかなか王朝を倒すことが出来ない。そして、その近隣の弱小王侯たちは、その王朝の下にいることで自身の身が守られている。また、各王朝には名陪臣もいるが、崩壊の切っ掛けは、その陪臣を遠のける理由(帝桀は昆吾氏を遠のける。帝辛は箕子(きし)を遠ざける)から生じてくる。良い意見をする人がいなくなり、取り入るような人が王の身の回りにはびこることが起こるからだ。(なんだか今の政治と似ている感じはする)

そして、対抗する国の台頭である。夏王朝の場合は、商の湯王である。湯王は、人民の幸せを一に思い行動するので、そこに名軍師・伊尹がぴたりと寄り添う。商王朝の場合は、周の西伯昌である。商での生け贄として人間を捧げる風習をやめさせるべく立ち上がる。そこに、生け贄の対象になりやすい平和主義の羌族(のちに姜族)から出た名軍師・太公望がぴたりと寄り添う。

そして、王朝が倒され、新王朝になっても2代目のあたりで混乱が生じることが多いようだ。伊尹とその子は、商王朝が安定するまで見守っている。ダメな帝を交代させたりしている。すごい権力だが、無欲が人々の支持を得ている。周王朝も同様であったが、太公望は召公と共に見守っていくことで500年の王朝が続いていく。

その点、次の秦王朝は秦の始皇帝は豪腕だったが、その側にいた趙高(ちょうこう)の権力欲から3代目で滅びることになる。そこに登場した項羽と劉邦が次の時代を担っていく。劉邦は漢王朝の開祖である。私的には、項羽と虞美人との話などから応援したいのだが、現実は劉邦によってその後400年の漢王朝が築かれる。そこに歴史を表に浮かび上がらせ史記を書いた司馬遷が登場する。

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214.「天空の舟 小説・伊尹伝(上・下)」を読んで

宮城谷昌光著の「天空の舟」(文春文庫)を読んだ。宮城谷昌光の中国史の本にすっかりはまってしまった。特に、夏・殷(商)・周の3王朝については、司馬遷の史記を読んだときに、その王または帝の系譜をすべて書き出したことを思い出した。それぐらい興味津々である。つくづく司馬遷の史記のありがたさを実感する。

それに比べ、藤原不比等が捏造した古事記や日本書紀により、日本の古代史が消えてしまったことが残念でならない。後は天皇陵の発掘以外に手はないのだろうか?

この「天空の舟」の主人公・伊尹(いいん)は、幼名を摯(し)と言う。伊水(現在の渭水か?)の辺に生まれ、大洪水の時に桑の木に助けられて、済水(大清河と呼ばれている)の邑(殷の時代はクニをさした)の莘(しん)を支配する有莘氏(ゆうしんし)に流れ着き、ここで料理人の子として成長する。

当時の有莘氏は夏王朝の帝発に従い、昆吾氏(こんごし)と並び称される豪族であった。有莘氏の王・莘后(しんこう、この時代では王のことを后と言った)に見いだされた摯は、河南にある夏邑(夏王朝の都)に出向き、神事を学ぶ。しかしここで、王子の桀(のちの帝桀)との因縁が出来る。このことがこの後、商王朝(殷と言う名の王朝で知られている)を起こす湯王(成湯)の右腕になっていく。この話が、上下2巻にわたって物語られていく。実に面白い話の展開である。

次は、商王朝の最後の帝辛(酒池肉林の宴で有名な紂王(ちゅうおう)のこと)を討った西伯昌(周王朝を起こした文王)と武王(敬称の帝をやめ王とした)に尽くした太公望の話を読んでみたい。

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213.「マスカレード・ホテル」を読んで

東野 圭吾著の「マスカレード・ホテル」(集英社文庫)を読んだ。沖縄平和の旅へ行く前から読み始め、旅行中にホテルに滞在しながら読み終えることができた。一流のホテルマンの心得がよくわかり、どんな仕事でも一流になるには努力が大事なことが理解でき、そういう目で宿泊中のホテルの人々を見ることができたのは面白かった。

本の内容は、連続殺人事件の4件目に想定されたこのホテルに警察が張り込みに入ってきたところから、話は始まる。フロントクラークの山岸尚美が主人公で、ここに相棒として刑事の新田浩介がフロントの制服を着て付くことになった。刑事の物腰からホテルマンへの物腰に変化させていくあたりは興味を持って見ていられる。

いくつかのストーリーが展開する中で、ついに連続殺人の魔の手がホテルの内部へ伸びてくる。読みながらも誰が犯人だかわからず、最後の最後までハラハラしどうしであった。「ラプラスの魔女」の時と同様、さすがに東野圭吾の作品は流れるような話の展開である。面白かった。

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212.「大使が見た世界一親日の国 ベトナムの素顔」を読んで

坂場 三男著の「大使が見た世界一親日の国 ベトナムの素顔」(宝島社)を読んだ。これは、先日行われた「第20回ビブリオバトルinぼんとん」でチャンプ本になった本で、来年埼玉AALAの平和の旅で「ベトナムの旅」が計画されていることもあり、読んでおこうと思って白崎さんから借りて読んでみた。

ベトナム大使をしていた坂場さんが、ベトナム中いろいろな機会を利用して訪ね歩いた記録でもあるので、すみずみの省の様子が分かる。日本企業の活躍ぶりも分かった。ベトナムの歴史も詳しくふれているので、読み応えもあった。特に、元寇が2回で済んだのは、元が同時に侵略していたベトナムで3回目に大敗北を喫したのが、日本への侵略を諦める切っ掛けになったらしいという話は、日本だけの歴史では分からないことであった。

ベトナムは北部、中北部、中南部、南部と4つに分かれた環境があることや、5つの市と58の省からなり、いろいろなベトナムの素顔を垣間見ることが出来た。将来のビジョンとして、ASEAN(アセアン)を大切にしていると同時に、日本とは「戦略的パートナーシップ」で堅く結びついていることも理解できた。

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211.「湖底の城 四巻」を読んで

181で読んだ「湖底の城(1・2・3)」の続きの文庫本が発行されたので、さっそく購入して読んだ。宮城谷昌光著「湖底の城(4)」である。今回は、楚から逃れて流浪する伍子胥(ごししょ)たちが、呉の国の公子光(こうしこう、呉の将軍。呉王の王僚と対立)の賓客として延陵(えんりゃく、呉の時代に季子(きし)が治めた邑)に落ち着き、そこで暮らしながら、いつか楚王の平王を討つべく復讐に燃え力を蓄えていた。

しかし、楚王が病で死亡した報を聞き、呉王の王僚が楚攻略に乗り出すと共に、公子光の暗殺を企てると予想し、公子光と共に呉王への反乱を企図する。伍子胥の活躍で、公子光側が大勝利となる。季子も公子光が呉王を継ぐことを認め、呉王・闔りょとなる。この闔りょの時代が呉が一番栄えた善政のときにあたる。

伍子胥は、住まいを延陵から呉の首都である姑蘇(こそ)に移した後も、楚王の昭王やその悪臣の費無極らがまだ生きていることを考え、楚への思いを募らせていく。第五巻が楽しみである。

今回の文庫本は、人物の相関図と中国の戦国春秋時代の地図が付録として付いていたので、これを表紙に貼り付け、何度も見て確認しながら読んでいった。これは大変役立ったので、是非お薦めしたい。なお、里爽と桑方が楚王の下に位置する相関図はミスであると思うが………。

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210.「図説 鹿嶋の歴史 原始・古代編」を読んで

財団法人鹿嶋市文化スポーツ振興事業団が発行した「鹿嶋市の文化財第121集 図説 鹿嶋の歴史 原始・古代編」を鹿島神宮社務所で購入した。原始・古代編以外もあったが、鹿島神宮以前の神社名「坂戸社、沼尾社」、蝦夷の「阿弖流為(あてるい)」、「中臣」の名前、将門の関連などを調べたかったので、古代編を購入した。

前半は原始時代の遺跡発掘が中心だが、関東の他の地域と比べてみても、この鹿嶋地域はダントツに遺跡が多い。住みやすい環境からか人口が集中していたのだろう。それ故、信仰の対象の建造物も比較的古くからあったと想像できる。

後半は、古代編で、古くから「神戸(かんべ)」と言う鹿島神宮所領の荘園の民(たみ)がいて、収穫や建築などを支えていたことも分かった。この中の祢宜(ねぎ)として中臣氏と、祝(はふり)として卜部氏が祭祀(さいし)を行っていた。後日、中臣氏が中心となり、奈良の大和朝廷ともつながっていく。その頃、地元神を祭る坂戸社と沼尾社と物部系の多氏が祭る香島社が一体となり、鹿島神宮となったようだ。

延暦15年(796年)ごろ坂上田村麻呂等は蝦夷制圧を祈願して、武神の武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祭神にしたようである。この武甕槌大神は、天照大御神の命令で、大国主神と国譲りの話し合いをし、その後国の統一をはかり未開の東国に入って星神香香背男(ほしがみ かがせお)を討って国中を平定したとされる。

もしかすると、この星神香香背男が祭る国つ神が鹿島神宮の前の祭神であった可能性がある。この星神香香背男は「誰?」と言う新たな興味が沸いてくる。

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209.「西郷の貌」を読んで

加治 将一著の「西郷の貌」 (祥伝社文庫)を読んだ。

新たに見つかった古写真(とは言え、記録として古い本に掲載され、発見されないまま静かに眠っていたのだろう)の右端の人物とフルベッキの古写真の後ろに写る人物が、西郷隆盛だという仮説からこの本は作られている。

確かに、上野公園の犬と散歩する西郷さんの銅像は、明治維新を駆け抜け西南戦争で死んだ西郷隆盛としては陳腐である。誰かが意図的にああいう銅像に仕立て上げたのだろう。それ故、西郷の本当の貌が写る写真を求めて興味が沸く。

今回の新しい発想は、大室寅之祐の登場の意図を「南朝復活」路線で書かれている点を上げることができる。さらにもっと昔の話も登場し、「太宰府を首都にした倭国」と「近畿の飛鳥を中心とした大倭国」の2つが日本にあったというビックリな話も登場する。そして、「南朝復活」は、大和朝廷に滅ぼされた「太宰府を首都にした倭国」の復権という壮大なドラマが裏側を流れているらしい。なんともはや興味津々の内容である。

663年(天智2年)の「白村江の戦い」は、倭国の一部の百済を取り戻すために新羅・唐と戦い惨敗した「太宰府を首都にした倭国」で、630年から894年の間20回に及ぶ遣唐使派遣は、「近畿の飛鳥を中心とした大倭国」のやったことらしい。一方で戦い、一方で親交することはできないので、唐としては倭国の後ろにある大倭国を味方につけるという作戦にしたのでしょう。その後、大倭国は大和朝廷になり、九州勢力の「太宰府を首都にした倭国」を滅ぼし吸収したことなどは、日本書紀などの歴史書を藤原不比等が捏造したためあきらかではありません。さらに、907年唐が滅亡すると、大量の唐王朝勢力の難民が大和朝廷を頼って来日したことも想像できます。

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208.「シェエラザード(上)(下)」を読んで

浅田 次郎著の「シェエラザード」 (講談社文庫)を読んだ。

日米安保によるアメリカ追随の安倍政権とそれを支持する自民党・公明党は、平成27年9月19日、遂に「憲法無視」の戦争法案を決めてしまった。国民主権の憲法より、また隣国(中国や朝鮮)との対話より、巨大軍事国アメリカの家来の道を選択したのだ。安倍首相や武藤議員など権力側の人間が戦争に行くのではなく、自衛隊員や一般の人々が戦争の矢面に立たされるのである。

そう言う憤りの中で、この「シェエラザード」を読んだ。敗戦の色が濃くなってきた昭和20年4月25日未明、台湾沖で撃沈され、シンガポールから日本へ向けて逃げてきた婦女子ら邦人2000余名を乗せたまま、海の底に沈んでしまった事件を題材にしている。「弥勒丸」と言う豪華客船が徴用され、赤十字の旗の下に病院船や捕虜への食糧運搬の仕事をしてきたのだが、最後の最後に、軍部大本営や権力者の思惑の下に、現地民からかき集めた金塊を積んで上海に向かう。日本へ帰ろうとして乗船した婦女子ら一般邦人を盾に強行突破しようとしたため、撃沈されてしまう。戦争中でもあり、大量虐殺は日の目を見ることなく闇に葬られている。いつの時代でも、平民は闇に葬られる。それが権力の実態である。

やむを得ずそれに荷担してしまった船長等乗組員は、最後の最後までリムスキー・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」を聞きながら、死へと邁進していく。映画のBGMのように本の行間から曲があふれ出てくる。

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207.「炎昼-私説 葛根廟事件-」を読んで

大櫛 戊辰(おおくし つちや)著の「炎昼(えんちゅう)-私説 葛根廟(かっこんびょう)事件-」 (文芸社)を読んだ。

6月3日に長野県阿智村「蒙満開拓団平和記念館」を訪れた際、展示されていたこの本を購入した。自費出版トラブル問題あり出版元が「新風舎」から「文芸社」に移ったようだが、このような戦争告発本を自費出版するときには困難がつきまとう。戦争責任を負う国が補助金を出して出版を保証すべきであると思う。

「泣く子も黙る」と言われて事実上満州国に君臨していた関東軍総司令部は、8月9日・日ソ開戦となるや在満150万人の居留邦人を見捨てて、軍の家族のみ避難させている。「非戦闘員は、居留する現在地に留まるのが安全であり、ソ連軍は紳士的に扱うだろう」という希望的観測のみ発して、さっさと逃げ延びている。そのため、逃避行する居留邦人がソ連戦車に踏みつぶされ、殺され、更に、暴徒化した農民に、犯され、着ぐるみ剥がれて捨て置かれた現実を、「殺された居留邦人の対処責任だ」と言い放っている。

8月14日・興安街から浅野良三参事官が指揮誘導した在留邦人千数百名の避難民は、葛根廟を目の前にして、ソ連軍の戦車に踏みつぶされ、殺され、何とか脱出した約100名を除いて無残にも異国の土となってしまった。さらに、逃げ延びた子どもたち約20名は、心優しき農民に助けられ育った残留孤児(日本国によって放置された孤児と言うべきである)として生き延びるが、文化大革命によって再び悪夢の日々がその背にのし掛かってくる。

居留邦人を放置して満洲から逃げ出した関東軍に対して、8月20日・4万人居留民を救った響兵団(根元中将・辻田参謀長)や8月21日・ソ連の北海道進出を防いだ堤千島守備隊(樋口中将)の2軍団は、戦後何ら顕彰されることもなく忘れ去られている。「民の軍隊」と「天皇の軍隊」の違いであろうか?

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206.「黄昏の 光と影」を読んで

柴田 哲孝著の「黄昏の 光と影」 (光文社)を読んだ。

彼の小説には、フリージャーナリストの有賀雄二郎シリーズと私立探偵の神山健介シリーズとその他の3つに分類できる。神山健介シリーズは、5作品のうち最新の「漂流者たち」(154番)のみ読んだ。主に有賀雄二郎シリーズが好きで、5作品のうち4作品(202番RYU、177番DANCER、175番KAPPA、157番TENGU)も読んでいる。今年の2月に発行された「WOLF」は未だなので、近日中に読んでみたい。

今回の「黄昏の光と影」は、その他に分類される。156番の「銀座ブルース」と96番の「GEQ」と55番「下山事件 最後の証言」を読んできたが、どれをとっても力作である。私の読書のハイペースの原因は、彼の作品に負うところが多いような気がする。

「黄昏の光と影」は、退職間近の刑事が新人刑事と一緒に足で稼いで調べ尽くし、に迫っていくという内容である。事件自体は大きなものではない。古いアパートで餓死した男の身元を調べていく中で、次々と身元が明らかになっていくが、その多くがその時点で調査終了となった資料の掘り起こしから始まる。些細な資料のほんの一文や訪ねていった人の記憶が頼りだ。

ベテラン刑事の「刑事魂」と新人刑事の「ハイテク利用」が、かみ合っての捜査行である。「ハイテク」の好きな私は、さらに「旅好き」の私と相重なって、本の中で一緒に旅をしていた。岐阜→名古屋→四日市→伊勢→鳥羽である。

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205.「少年口伝隊 一九四五」を読んで

井上 ひさし著の「少年口伝隊 一九四五」 (講談社)を読んだ。

この本は、昨日までさいたま市のコルソ7階で開かれていた「2015平和のための埼玉の戦争展」で購入した本です。8月16日(日)に久喜総合文化会館小ホールで公演される演劇「父と暮らせば」を観劇する予定ですが、これも井上ひさしの作なので、何となく本「少年口伝隊 一九四五」に目が行った次第です。

ページ数が少ないので、朗読してみようと思い、読み始めました。広島に落ちた原爆の話です。3人の少年を中心に描いています。広島の方言が、読みづらい反面心にズンときます。知事や軍本部の現実からかけ離れた言葉「草花を洞窟に飾り、歌を歌って元気に敵に対抗しましょう」と言う。草花など生えていないのに。それらの言葉を新聞社の代わりに口伝隊となり人々に伝えていく。そして、黒い雨や一ヶ月後に襲う大型台風で、広島の人々はうち捨てられ死んでいく。人の筏が広島湾に流れ出していく。恨み言の声は聞こえないまま。

最後の墓標に3人の少年の名が刻まれている一文を涙無しでは読み上げられなかった。ページ数が少ないのに、何と人の心を揺さぶる本なのだろうか。

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204.「銀の匙」を読んで

中 勘助著の「銀の匙(さじ)」 (角川文庫)を読んだ。

8月16日(日)午前10時から正午までの時間、「ビブリオバトルinぼんとん」を開催している古本屋「ぼんとん」にて、「銀の匙」読書会が開かれます。それに向けて、この本を読み終わりましたが、テーマに沿って読後感想をまとめていこうと思案中です。

師の夏目漱石や解説の和辻哲郎と川上弘美、灘中学でこの本を使って3年間国語の授業をした橋本武たちの「今なお輝きを失わない」この本の真の魅力を理解するには、もう少し時間が必要です。

外的な出来事や事件によって、心が動かされ、物語が展開していくというタイプの本に慣れてしまった私としては、小さな子どもの頃から青年になるまでの内なる出来事や日常の感情の起伏に惹かれるような文章の書き方の本は、誠に苦手である。

「ビリギャル」と同時並行に読んでいたので、その思いは一層増している。

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203.「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて
      慶應大学に現役合格した話[文庫特別版] 」を読んで

坪田 信貴著の「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話[文庫特別版]」 (角川文庫)を読んだ。

単行本が発行されてセンセーショナルな話題を呼んだ本だが、その中から方法論をカットして、ストーリー中心に展開した文庫本である。そういう意味で、大変読みやすかったし、さやかちゃんや坪田先生、母親のああちゃんなど家族の生の行動とそこからもたらされる悩みや解決策などがじっくり理解することが出来た。

どこにでもいるような子どもが、家庭環境から不良になってしまい、勉強もせずに遊びほうけていると、両親は怒り、真っ当な道へ進むように意見する。また、教師は生徒指導を通して立ち直らせようとする。大人は勝手である。自分の都合だけで、子どもの気持ちを考えずに、上から目線で解決しようと躍起になる。

著者の坪田先生の考え方は全く違う。「聖徳太子」を「可哀想な太った子」と表現したさやかちゃんを、無知ではあるが身近な世界に置き換えてすぐに発想するその表現を、笑いながらも肯定的にとらえることができる。子どもの性格に応じて、目標提起もする。巻末の付録にある9つの「坪田式・性格&指導法の判定Q&A(簡易版)」は面白い。近日中に発行される予定の2冊目は、これを扱った本になるそうだ。一見の価値はありそうである。

また、「母親のああちゃん」と昔読んだ佐川光晴著「おれのおばさん」の子どもを包み込む愛情のかけ方が一致しているところが素敵である。子どもを育て始めている若い世代の母親に読んでもらいたい。

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202.「RYU(りゅう)」を読んで

柴田 哲孝著の「RYU」(徳間文庫)を読んだ。

沖縄のアメリカ軍の兵士が「竜に似た動物」の写真を残して失踪した事件の解明に、フリージャーナリストの有賀雄二郎と愛犬ジャックが、イギリス人の報道カメラマンのコリンと共に、沖縄中部の金武町(米軍のキャンプ・ハンセンの街)に住む永子を訪ねてくる。沖縄のアメリカ軍の存在を感じさせる文面があちこちに出てくる。読者は一緒に旅している感覚をもつほどの表現は、柴田哲孝ならではである。

米軍のロランC局のそばの慶佐次川(文中では安佐次川)の上流の津波山(236m)の下にある湖が舞台だと想像できる。米軍将校が東南アジアから持ち込んだ大蛇(RYU)のを探って、ガジュマルの生い茂るジャングルを遡っていく。

巻末の村上貴史(日本推理作家協会会員、ミステリー書評で活躍)による解説で、柴田さんの前歴や作品の特徴など良く理解できました。作家を知るには、良い解説に巡り会うことも大事ですね。

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201.「ラプラスの魔女」を読んで

東野 圭吾著の「ラプラスの魔女」(角川書店)を読んだ。

このタイトルの基になったのは、「ラプラスの悪魔」で、ウィキペディアによると、「近世・近代の物理学の分野で未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念であり、フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱されたもの」とある。彼は、確率の解析的理論(1812年)の中で、こう述べている。「もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているだろう。」

20世紀前半から始まった量子力学では、原子の位置と運動量の両方を正確に知ることは原理的に不可能(不確定性原理)であり、原子の運動は確率的にしか把握できないので、全てを知ることは出来ないといわれている。が一方で、「知性の登場」を夢見てこのラプラスの悪魔は生き続けている。

先日読んだ量子論とこのラプラスの悪魔を土台にしたこの本が、物理学の進展を理解する糧になって個人的には満足している。特に主人公の円華(まどか、ラプラスの魔女という知性の登場と仮定している)が起こす計算された奇跡は、本の帯にあるように「空想科学ミステリ」というジャンルを提起している東野圭吾30周年記念作品として相応しいものである。本の表紙にある帯状の煙の軌跡が、空想科学ミステリの軌跡を指し示しているような気がする。

個人的には、クールな美人秘書として登場してくる桐宮 玲の存在に心惹かれる。

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