読書欄

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200.「十面埋伏」を読んで

中国の現代作家・張平(ヂャンピン)著、荒岡啓子訳の「十面埋伏(じゅうめんまいふく)」(新風舎)を読んだ。

中国の現代小説は、政治も絡んでくるのでなかなか読む機会がなかった。中国の小説は過去の歴史物であれば、結構読んでいるし好きな分野である。妻がBookOffで選んで買ってくれたのも、中国物が好きだという観点からだったが、現代中国社会の病根を抉(えぐ)り出した物だとは分からなかったようだ。

上下巻からなる分厚い本であるが、中国三大文学賞(中国ベストセラー賞、金盾文学賞、中国図書賞)受賞と書かれた帯に惹かれて読み始めた。訳者もあとがきに書いてあるように、最初の部分はたくさんの登場人物が一人ひとり丁寧に記載され登場してくる。そう言う意味で、日本の主要人物の記載とは趣を異にする展開である。中国の人口の多さを実感する登場数である。最初に書いてある登場人物紹介を何度も見直しながら読み進めていった。すると不思議なことに、同じような漢字名にもかかわらず人物像が区別されて浮かび上がってきた。

人物像が浮かび上がってくると、一気に下巻(上下とも約400頁)最後まで、事件が急展開していくのについていくことができた。と共に、ハラハラドキドキ、憤りと怒りも著者と同じ感覚で体験することになった。中国国民からの圧倒的な支持があったのもうなずける。中国現政権の「汚職追放」の路線とも相まってか批判はされていないようである。話は、汚職まみれの刑務所と、それを追求する警察組織、政界と実業界に蔓延る悪の闇組織と、土地を取り上げられようとする貧困の村民と、その闇組織で暗躍する主要人物「王国炎(ワングゥオイェン)」が重なりながら展開していく。

「十面埋伏」とは、中国語で、周囲に隙間なく伏兵が潜んでいることを意味するそうだ。主人公の「羅維民(ルオウェイミン)」が秘密裏に行動を起こすと、どこからかすぐに「行動を起こすのはやめろ」と電話が入ってくる。日本の諺にある「壁に耳あり障子に目あり」の如くである。このような状態から、最終段階の事件解決まで波乱に富んだ展開は読み手を離さない。

今日の新聞に、中国の周永康・前共産党政治局常務委員の汚職疑惑がついに事件化した記事が載っていた。関係するのかは分からないが、中国「汚職公務員」が2万5千人以上いるという記事にはビックリである。

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199.「QED~ventus~御霊将門」を読んで

高田 崇史著「QED~ventus~御霊将門」(講談社文庫)を読んだ。

高田崇史の本は初めてである。タイトルのQEDシリーズがたくさん書棚に並んでいたので、眺めていると、私の興味ある将門という文字が目に入ってきた。QEDは数学で「証明終わり」という意味だが、少々本のタイトルにつけるのは相応しくない気がしたが、将門ついでに中身を覗いてみることにした。

すると、岩井(現在は坂東市)の地図が載っているし、将門の首塚などの話も載っているので、知識を得るためと思って購入してみた。すると、予想に反して、なかなか面白い内容である。東京と岩井と成田山を訪ねながら、将門の関係する神社を辿る旅であるが、奈々さんの恋人の崇くん(著者)が将門についての知識を披露してくれる。

知らないこともたくさんあったので、この本を片手に再度訪ねてみたいものだ。まず、東京は、靖国神社→筑土神社(つくど)→神田明神→将門首塚→兜神社(かぶと)→烏森神社(からすもり)→稲荷鬼王神社→鎧神社(よろい)→神田山日輪寺である

続いて、岩井は、神田山延命院→冨士見の馬場→九重の桜→石井(いわい)の井戸→一言神社→島広山→延命寺→國王神社

関連して、成田山新勝寺、香取神宮、息栖神社、鹿島神宮、相馬小高神社、相馬太田神社、相馬中村神社などが紹介されている。特に、成田山新勝寺は伝説と少し違う解釈で面白い。

私にとって一番印象的だったことは、先日福島原発事故視察で訪れた南相馬の道の駅で見たパンフレットにあった「相馬・野馬追祭り(平成27年7月24日~27日)」の相馬藩は、将門の子孫で奥州に向かった相馬氏であることが分かった。本の話で出てくる「繋ぎ駒」「九曜」「亀甲(桔梗)」の家紋もインターネットの「相馬氏~武門の伝統を今に伝える名族~」で拝見できた。因みに、将門の母親は下総国相馬郡(現在の柏市周辺)の出身で、将門も「相馬小次郎」と称していたという話もある。

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198.「知れば知るほど面白い!日本地図150の秘密」を読んで

日本地理研究会編「知れば知るほど面白い!日本地図150の秘密」(彩図社)を読んだ。

197番に引き続き、コンビニで購入した。だいぶ前の48番で読んだ「地名の歴史」のように、市町村合併で、由緒ある地名が消えていって分からなくなってきている現在、こういう本は貴重である。この本は5つに分けて記載してあるので、面白いと思ったところを分けて記述したい。

1つめは、明治維新の頃の県を定めるにまつわる話だが、①伊豆諸島や小笠原諸島が東京に編入されたワケ②北海道だけなぜ「道」なのか?③群馬県の県庁所在地は高崎市になるはずだった④宮崎県は西南戦争がきっかけで誕生した?⑤伊能忠敬は北海道の地図を作っていない?

2つめは、日本一世界一に関わることだが、①世界一の金山が日本にある!

3つめは、地名の秘密の話だが、①「中村」の地名が日本一多い。②漢字で2文字の地名が多い理由③「大坂」が「大阪」になったのは縁起がいいから④「沼・池・影・尻」縁起が悪い土地は改名される⑤品川駅が品川区ではなく港区にあるのはなぜ?⑥福岡県に博多市がないのはなぜ?

4つめは、地形の話だが、①東京に坂が多いのは富士山が原因だった②周りを川に囲まれた珍しい形の集落がある③日本最大の砂丘は鳥取砂丘ではなかった④世界の銀の3分の1が日本から産出していた

5つめは、地図で読み解く歴史の謎の話だが、①長野にある国宝・善光寺が無宗派なのはなぜ?②鎌倉大仏は誰がつくったのかわかっていない(津波で建物が流され、露座の大仏となった)③日本最古の地図はいつ作られた?④戦時中地図から消された島がある?⑤出島はポルトガル人のために造られた⑥四国遍路はいつから行われている?⑦黒いダイヤを生み出した海上都市・軍艦島

以上、150の話題が掲載された興味深い本であった。

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197.「【図解】相対性理論と量子論」を読んで

佐藤 勝彦著の「【図解】相対性理論と量子論」(PHP研究所)を読んだ。

世界的な物理学者の佐藤勝彦先生の本が、コンビニの本棚に並んでいた。手ごろな文庫本を探していた私は思わず手に取った。難しい内容を図入りで分かりやすく書いてあるのにビックリ。この手の本は難しいのが相場だから。

読み始めて1日目で相対性理論が何となく理解できた。
①「時間の流れる速さは、一定ではなく変化する」ので、例えば、動いている時計は止まっている時計よりも、ゆっくり進む。一生懸命働いていると、時間はなかなか進まないが、ノンビリしているとあっと言う間に時間が経つのを経験したことがある。
②物質が存在すると周囲の空間が曲がり、その曲がった空間の中で物質はお互いに近づくような運動をする、この曲がった空間が引き起こしている力を「重力」という。例えば、ゴムシートを水平に置いて、その上に球を置くと、ゴムシートは歪む。別な球を置くと、2つの別々の歪みが近づいてきてくっつくことが知られている。男女それぞれが持つ「身体のまわりの歪み」が、お互いに自然と近づいてくる。これを「愛の重力」と言う。(これは私の創作)
③「光の牢獄・ブラックホール」は、ゴムシートの上にボーリングの球をのせたとき、深く歪み、まわりの球の歪みがそこへ雪崩れ込んでくるのと同じである。

2日目で量子論が何となく理解できた。
①物質を構成している原子は、+の陽子のまわりを-の電子が回っているが、この電子は粒でなくて「波」である。人が直視すると「粒」に見えるが、見てないところでは「波」になっており、その場所も定かではない。電子は、決められた「とびとび(量子の意味)」の円軌道上だけを波のように動く。 電子の軌道の一周の長さは、波の波長の整数倍となるので、とびとびの軌道となる。
②その電子の「粒」として直視できる位置を求めるのは「確率」による。それゆえ、その電子の波を物質波と言うが、これは「確率の波」という不思議なものである。
③波ゆえにトンネル効果が期待でき、閉じ込めた膜の外にも電子の波が出ることが可能となる。例えば、真空管の中は何もないのでなく、この電子の波の確率の低い部分がトンネル効果で入り込み揺らぐことが知られている。「無」のはずが「有」を生む可能性を秘めている。
④シュレディンガーは、シュレディンガー方程式で、電子を「波」とすることで正解を得ているが、電子の確率的なふるまいに関しては異議を唱えている。

今後研究が進み、「一般相対性理論」と「量子論」が合わさった「量子重力理論」が登場し、未解決な部分が解明されていくことを期待したい。

読んだ今は分かった気でいるが、多分明日にはゴチャゴチャになっているだろう。

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196.「64(ロクヨン)上下」を読んで

横山 秀夫著の「64(ロクヨン)上下」(文春文庫)を読んだ。

横山秀夫ならでは刑事物だが、今回は近々テレビ映画の放映もあって、本屋に山積みになっていた。まず、文庫本の上から読み始めた。長年、刑事部で刑事として活躍していた主人公の三上が、左遷され広報官として警務部の一部になったところから内容がスタートする。三上の娘の家出も絡みながら、警務部と刑事部の狭間で揺れ動いていく。

始めから終わりまで、広報室(県警の事件などの発表する窓口)と記者室の記者達(特ダネを探して、県警の発表に常時不満を持っている)との攻防が繰り返されている。はじめは交通事故の加害者の匿名問題を巡って攻防がつづく。理由は加害者は妊婦であると言うことしか知らない広報室だが、後半で加害者は公安委員会の有力者の娘とわかり、広報室への情報の少なさを理解する。警務部は広報室を単なるスピーカーとしてしか見ていないことを知り、三上は憤慨するが、家族を思い納得し諦める。そこへ警察庁長官の突然のD県警への訪問の話がもたらされる。

訪問の理由は「64(ロクヨン)事件の再捜査の激励」という名目だ。そのお膳立てに広報官の三上は奔走する。64事件とは、D県で起きた14年前の少女誘拐殺害迷宮事件(昭和64年1月の7日間に起こった事件、1月8日から平成に改元されたので、警察符丁で64と呼ばれている)のことだ。警務部長から、刑事部に内緒で、被害者宅の長官訪問の設定を命令されたことに疑問を持った三上は、調べる中で二渡(同輩で警務部調査官)が「幸田メモ」を盛んに聞き回っていることを知り、64事件の刑事部の隠された失態を徐々に理解していく。
下巻ではその真相が明らかになっていくことと、再び起きた64事件をなぞるかのような女子高生誘拐事件が中心になって刑事達の追跡がカーチェイスのように繰り広げられる。結末も納得いく形でまとめられている。テレビ映画も楽しみになってきた。

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195.「マンチュリアン・リポート」を読んで

浅田 次郎著の「マンチュリアン・リポート」(講談社)を読んだ。

昭和初期の「治安維持法改正」に反対してビラを撒いた、首都警護にあたる歩兵第1聯隊の志津邦陽中尉は、「治安維持法は、近代国家にあってはならぬ恐怖政治を可能にする」と主張して陸軍刑務所に収監されていた。

軍の総司令官たる昭和天皇が、陸軍中心の内閣が伝える「張作霖爆殺事件」に疑問を感じて、陸軍刑務所から志津中尉を呼び出し、特別任務として中国に派遣し、その調査結果を手紙で伝えるという形を取りながら、真相に迫っていく作品である。

浅田次郎の「中原の虹」の続編として、西太后が昔乗った御料列車で、張作霖が奉天へ帰還する際に爆殺される経過が刻々と描写されていく。浅田次郎ならではの緻密な調査に基づく雄大なる構想には、いつもながら感心してしまう。

またしても南満洲の豊かな土地が、中国2000年の歴史に輝いて見える。この本は「中原の虹」1~4巻を読んだ後に読むと、その謎が解き明かされていくような気がする。「歴史は、過去から現在を通過して未来へ続く流れの中で読むと、より理解できる」と思った。

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194.「楽園のカンヴァス」を読んで

原田 マハ著の「楽園のカンヴァス」(新潮社)を読んだ。

表紙にあるアンリー・ルソーの「夢」が展示されているニューヨーク近代美術館(MoMA)に一時勤務していた原田マハならではの作品である。

1900年代初頭のパリと1983年のスイスのバーゼルが舞台である。40歳の頃ルーヴル美術館で絵画に目覚めたルソーは、「アンデパンダン展」に毎年出品し、49歳の年に税関吏を退職して絵画に没頭していく。その稚拙な技術の所為で「日曜画家」とか「子供の悪戯描き」とか馬鹿にされていたのだが、日銭稼ぎにボンボン売りをしながらひたすら自分の絵を求めていた。そこに表紙のソファに坐っている女性「ヤドヴィガ」(洗濯女、夫ジョセフがいる)に恋する。夫ジョセフ(配達人)は、ルソーの絵に惹かれひたすら支援し、妻のヤドヴィガがモデルになることも厭わない。

ピカソのみが、新しい時代の「新しい美」をルソーの絵画から感じ取り、その影響を受けていく。そのピカソの「青の時代」の絵画を下絵にもつカンヴァスの上に描いたと思われるルソーの幻の絵画「夢をみた」(「夢」と類似しているが、ヤドヴィガの手が何かを握っている所が異なる)の鑑定人としてバーゼルに招かれた二人(ティムとオリエ)の攻防が、私を話の中にグイグイと引きずり込んでいく。「アンリー・ルソー展」を見に行きたくなってきた。

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193.「星を継ぐもの」を読んで

ジェイムズ・P・ホーガン著の「星を継ぐもの」(創元SF文庫)を読んだ。

この本は「ビブリオバトルinぼんとん」の第11回発表会で、ふきさんが推薦した本である。とても興味をひいたので、私は1票入れたのだが、早速読んでみることにした。ブックオフで探したが、見つからなかったので、amazonで注文することにした。1980年初版だが、2014年10月に94版として発行された新刊を買うことになった。いまだ衰えぬ人気ということだろう。

月面で発見された真紅の宇宙服をまとった人間の死体から話が始まる。調査の結果5万年前に亡くなっている。真っ赤な宇宙服、全く地球人と同じ人間、5万年前に死んでいる、等々謎だらけのプロローグが、私の興味をグングンとひいていく。

この本の設定は、地球上での争いが無くなり全軍事費を宇宙開発に向けることが出来るようになった時代である。確かに軍事費が無くなれば宇宙開発に力が注げると思う。月面や木星の衛星ガニメデへ人間が行けるようになった時代の話である。それを1980年に書いたホーガンはすごい人だ。それも、単なる宇宙物ではなく科学的な謎解きのような感じが魅力的だ。

ビブリオバトルで知り得た本の1つである。

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192.「露の玉垣」を読んで

乙川 優三郎(おとかわ ゆうざぶろう)著の「露の玉垣」(新潮社)を読んだ。

表紙を探してインターネットをしたが、文庫本の表紙のみで、単行本の表紙が見つからなかった。そこで、スマホで撮影して掲載した。なぜこだわるのかというと、溝口家家紋の「なずな紋」と苅野澪子氏旧蔵の「藍染織物」が何か古風さを織りなしているのを感じるからだ。残念ながら写真は「なずな紋」がはっきり映っていない。

189番の「天に星 地に花」に続いて、江戸時代の農村の天災・水害と闘う苦労を、北陸にある新発田藩の名もなき家臣の目を通して描いている。新発田藩正史の編纂を終えた天明六年(1786年)に、その編者である溝口半兵衛長裕が、家臣の譜を編み始め、文化八年(1811年)に「世臣譜」(当初「露の玉垣」と題されていた)が19巻10冊として完成している。

小藩の家臣の移ろいやすい運命(露)と、窮乏に喘ぎながらも主家を支えてきた名もなき家臣(玉垣)への思いを込め、たった一人の人間が残した武家社会の実像である。また、この貴重な家伝を秘密裏に護持してきた溝口家子孫の努力に頭が下がる。

その「世臣譜」をもとに、乙川氏は8つの短編集として編んでいる。1つ1つは内容が離れているが、全体として新発田藩の名もなき家臣たちが郷を守るために努力しているものが見て取れた。私たち一人ひとりもそういう姿をしているのだろう。

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191.「ひとりぼっちの私が市長になった!」を読んで

草間 吉夫著の「ひとりぼっちの私が市長になった!」(講談社)を読んだ。

かかりつけの内科医の待合室には本棚があって、いろいろな本が置いてある。院長の好みで置かれている感じはあるが、時々私と同じ本を読んでいるような気配がするので、結構拝見している。

今回、本棚から「ひとりぼっち」と「市長になった!」が目に飛び込んできた。「ひとりぼっち」は仕事柄気にしていることなので、それと市長がどう結びつくのだろうかと本を手に取った。待合室での時間が一人だけの読書の時間と化した。診察の呼び出しが来たので、先生にお願いして本を借りることにした。

生後3日で孤児院(現在は、児童養護施設という。両親のいない孤児は少なくなって、今は生活困難のため一時的に預けている児童が多い)に入った作者は、その小中高校時代を施設の園長や先生方の愛情に包まれながら成長していくが、スピークアウトできなく悶々として過ごす大学時代と、社会人になり施設の指導員になってもなおもがき苦しんでいる。

松下政経塾に入塾し、世界を飛び回り福祉のあり方を学ぶ中で、自分の育った茨城県高萩市の市長として独り立ちしていく自伝である。このあと、どのような市長になるのかは不明だが、福祉の充実した行政をおこなって欲しいと願うばかりだ。

いくつか記憶に残るフレーズがあったので、記載する。
①「福祉とは、最も人間を見つめる位置にある学問と実践の分野、突き詰めると、神に接するものだ」
②「人の親になってみて初めて無償の愛というものがあることがわかった。理屈ではなく、ただもう無言で抱きしめてやる親の愛というものがある」
③「心の傷にふれられたら荒れるのは当然である。子どもが荒れたら、それを見守り、辛抱強く収まるのを待つ。」
④「日本の福祉の貧しさの一面として、ソーシャル・スキルズ・トレーニング(生活技能訓練)がなされていない」

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190.「リア家の人々」を読んで

橋本 治著の「リア家の人々」(新潮社)を読んだ。

橋本治の本は159番の「日本の女帝の物語」に次いで2冊目である。しかし、リア家という不思議なタイトルだが、連想するのはシェークスピアの「リア王」である。そこで、読み終わった後に、「リア王」について検索してみると、3人の娘とのバトルが書かれてあった。「リア王」は1600年初頭の有名な四大悲劇であるので、あまりにも雑なまとめ方だが、私としては「リア家の人々」との共通点から見て「3人の娘とのバトル」という風に解釈した。

大正から昭和の初期に書けて文部官僚だった父親・文三(リア王)に3人の娘がいる。文三は戦後「公職追放」で気が抜けたような状態だったが、その父親に対して長女・環(ゴネリル)と次女・織江(リーガン)は、母親の苦労を無視する父親の態度(家父長制度のこの時期ではよく見られたが)に不満を持っていた。母親の死後、その亀裂は決定的になっていたが、三女・静(コーディリア)は、まだ幼く父親に甘え、また文三も静を可愛がっていた。

長女・次女が結婚し家を離れた砺波家には、文三と静と大学受験に下宿している甥の秀和の三人で大正時代の趣で暮らしている。時は、学生運動が起こった1967年頃の大学紛争を中心に、文三や静や秀和の変化していく様子がしずかに語られている。その頃、高校生や大学生であった私の気持ちに通じる解釈があるので、この本を読みながら今となってその心根を理解することが出来た。その私と同様に、女子大生の静は封建的な自分から脱皮し新しい時代を歩むための精神構造が出来ていく。

そういう意味では、「リヤ王」の話とは大分違う。「悲劇」ではない。日本という国の戦後の精神構造の変化を扱った分析の本であった。が、深く考えるとこれも「悲劇」なのだろうか。

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189.「天に星 地に花」を読んで

帚木 蓬生著の「天に星 地に花」(集英社)を読んだ。
はじめに、帚木蓬生(ははきぎほうせい)のこれまでの著作を紹介する。処女作として出した「白い夏の墓標」は、国際冒険小説というジャンルを生み出し、その後の逢坂剛(おうさかごう)の作品(一例を挙げると、「カディスの赤い星」など)の登場につながっていく。
精神科医師でもある帚木蓬生は、その後「賞の柩」「閉鎖病棟」など医学界を題材にした作品を多く扱っている。また、「空山」に見られる公害問題や「聖灰の暗号」に見られるローマ教会による弾圧も取り上げ、社会性がますます増していて読み応えのある作品が続いている。
今回紹介する「天に星 地に花」は、昨年の夏に発表された新作である。題名からは分かりづらいが、江戸時代の九州・久留米藩で、地道に医師を務めた主人公・高松凌水の物語である。

福岡県で生まれ、九州大学で医師になった帚木蓬生にとって、これまでの創作小説とは違い、地元を深く愛し地道に努力した人物を是非とも紹介したいという気持ちが伝わってくる作品だ。また一方、久留米藩主である有馬家21万石は大藩であり、他藩と違い250年間藩主であり続け、明治以後も名門として名を残し、特に競馬の有馬記念は有名だ。支配する側として無難に過ごしてはいるが、内実、悪政も度々あり、その都度百姓一揆が起こり、それを巧妙な弾圧でやり過ごしている。こんなことで良いのかという怒りも行間から聞こえてくる。
そういう中で、絶対君主的な藩主に対して、家老の稲次因幡の存在や小林鎮水・高松凌水などの無名の医師の存在は、暗黒の天に輝く星であり、荒れ野に可憐に咲く花であると言う想いがあるのだろう。それが題名となった。

今から260年前の1754年(宝暦四年)の医師・高松凌水と霊鷲寺(りょうりゅうじ)住職・円信との会話から話が始まる。この日は、霊鷲寺に墓のある元家老・稲次因幡の月命日であり、近々予想される百姓一揆のことが不安げに話されている。
 天候不順により旱魃による水不足、大雨や大風による筑後川や宝満川の大洪水、旱魃や虫害による餓死者の増加など、江戸時代の農業は天候に左右されるため、領主の施策により大きな影響を受けた。特に、久留米藩は大藩であり、江戸屋敷で贅沢をしたため、地元の百姓達は苦しんでいた。
1728年(享保十三年)の頃、毎年起こっていた災害がやっと一息ついたときに、公儀(久留米藩)から「夏の作物(野菜など)の上納を、十分の一から三分の一に増やす」という命令が出た。「秋の作物(米など)の上納は、既に三分の一」であり、夏の作物の十分の九で生活を遣り繰りしていた百姓にとって死活問題である。その百姓をまとめる庄屋やそれをまとめる大庄屋たちも、問題解決のために奔走する。十九か条の嘆願書をまとめ、大庄屋(井上村、凌水の父・高松孫市)や庄屋達が先頭になり城下近くに押し寄せ、家老・稲次因幡の仲介で、百姓の犠牲者も無く解決した。命令がもとに戻されたのだ。父親の孫市のそばで、この百姓一揆を見ていた次男・庄十郎(凌水の幼名)はこのとき11才である。 この庄十郎が翌年、疱瘡に罹り、庄十郎は助かるが、母・菊と荒使子(あらしこ、奉公人)・のぶが死去してしまう。久留米藩城島町の医師・小林鎮水により命を助けられた庄十郎は、鎮水のもとに弟子入りをする。「丁寧 反復 婆心」という言葉と、「天に星 地に花 人に慈愛」という言葉から医師としての心得をえる。
1736年(享保二十一年)藩主の方針に楯突いた元家老・稲次因幡は、禄高を剥奪され、横隈村や津古村に左遷されていた。疱瘡がもとで4月20日35才死去する。治療に立ち会った庄十郎に、「よか道を選んだのう。精進して、民を救ってやれ」「武士はつまらん。なるものじゃなか」と言い残した言葉が胸を打つ。

1749年(寛延二年)久留米藩北野新町の北野天満宮の敷地内に神官・下山速見の願いで開業する。高松凌水と名のることになる。恩師・鎮水より餞の言葉として、「病を克服する最後の決め手は、患者に宿っている治る力だ。医者はつまるところ、治る力を引き出す黒子だ」をえる。 同年、稲次因幡の遺言で、掛軸「天に星 地に花 人に慈愛」をもらい、一生の宝として、時にふれ思いを新たにする。現在も、久留米には稲次因幡を偲ぶ五穀神社がある。
1752年(宝暦二年)から、天満宮の広間を利用して、子ども達への講義を始める。大人達も見に来るようになる。円周率の授業(弧背術)などは特筆すべきである。

1754年(宝暦四年)凌水37才の年、久留米藩が再び、増税として「人別銀(にんべつぎん、8才以上の領民すべてに銀札六匁)の賦課」を通知する。四半世紀の久留米藩の悪政で、大庄屋や庄屋は官僚化してしまい、さらに稲次因幡のような心ある重臣もいなくなっていたので、百姓の心が庄屋から離れおり、百姓一揆ではまず庄屋への打ち壊しから始まった。続き百姓3万人が筑後川の河原に集結し、久留米城下へ押し寄せる状況になっていた。前回の百姓一揆では、要求を掲げて闘っていたが、今回は城下を火の海にする如く怒りが爆発している。そしてそれを押さえる人もいなくなっている。
公儀は、百姓一揆が城下へなだれ込み火の海になることを恐れ、さらに騒ぎが江戸に知れ藩取り潰しに合うのを恐れて、「人別銀の賦課」は取り下げられるが、公儀による腹いせと今後への見せしめは、藩内で続いていく。いつの時代も権力者のやることは同じである。
公儀は自分の責任は反故にして、「喧嘩両成敗」という名目で、大庄屋(5名のうち1名を籤で選ばせる。兄・八郎兵衛が該当してしまう。兄は覚悟の上で、他の大庄屋に今後を託する)や庄屋3名、そして百姓14名を「打ち首」にする。村払い30名、過料30余名 総計百十余名に処分が下る。二回目の打ち首は19名である。
大石大庄屋(妹・千代の嫁ぎ先)の大石久敬は、千代と相談の上、家族を庄十郎に預けて遁走する道を選ぶ。大庄屋としての生き方は出来にくい時代になってしまったからだ。その後、千代の家族(長男・久作と長女・とせ)と同居し、小さな幸せがようやく来たこの家で正月をすごす。1755年(宝暦五年)の正月は、前年が辛い年だっただけに、新年を祝う気持ちが平素以上に大きく、北野天満宮には参詣に訪れる人々であふれていた。
兄の元で働いていた荒使子の利平が、死罪になった兄・八郎兵衛からの遺言状を持って訪ねてくる。そこには、大庄屋の仕事の苦しみが吐露されており、父・孫市の時代との違いを改めて感じさせられる。それ故、この百姓一揆の顛末を、子ども達への講義で説明した。5年間の村払いをさせられた父親を持つみよに向かって「お前のおとっつぁんは、正しかこつばした。恥じるこつはなかとぞ。人間は、お上が気に入らんでも、正しかこつなら、せにゃならんこつがある」と言い聞かせ、村人達は入れ替わり立ち替わり、みよの家の農作業を手伝っている。

 1783年(天明三年)千代の息子の久作が、長崎に医学を学びに行き、その後、高松凌山と名のって跡継ぎとして治療と講義をする。稲次様の月命日に霊鷲寺に来ていた凌水の前に、遁走していた義弟の大石久敬(千代の夫)が現れ、辛酸を舐めて潜行していたが、高井久敬として高崎の松平家に奉公が決まった旨伝えに来た。しかし、千代達の姿を陰から見て去って行く。その後、1788年(天明八年)名前を戻した大石久敬は、高崎藩の郡奉行に昇進し、1791年(寛政三年)大石久敬は農政書の執筆を開始し、1793年 (寛政五年)農政書は「地方凡例録」として十一巻を完成させ、未完ながらも江戸時代の農政手引き書として著明である。大庄屋としての苦労した過去が役立っている。

1836年(天保七年)高松家の血をひく医師・高松凌雲が生まれ、緒方洪庵の適塾で学び、1867年(慶応三年)パリ万博の遣欧使節団の一員として西洋医学を学び、1868年(慶応四年)榎本武揚とともに北上し、五稜郭で病院責任者として活躍する。1871年(明治三年)高松凌雲は、謹慎を解かれ、一市民一医師となり、1880年(明治十二年)貧民病院・同愛社を設立し、1916年(大正五年)公立貧民施療病院の建設の夢をもつが、東京府庁によって阻止され、失意のもとに81才で死去。現在、谷中墓地に葬られている。

 1728年から1916年までの長い期間の歴史書のような感じであるが、権力によって一時期敗れても、その教え「人に慈愛」は、血となり肉となり、子々孫々まで続いていくことを知らされ、思わず涙してしまった。

 久留米市に訪ねていき、五穀神社や津古村や北野天満宮を見てみたいものである。


【久留米藩と文中に出てくる場所】

BOOK REVIEW----はじめ--------------------------

帚木 蓬生著  「天に星 地に花」-集英社

 精神科医師でもある帚木蓬生は、「賞の柩」「閉鎖病棟」など医学界を題材にした作品を多く世に出している。江戸時代の九州・久留米藩で、圧政に苦しむ百姓や民に寄り添い、地道に医師を務めた主人公・高松凌水の物語である。

久留米藩主である有馬家21万石は大藩であり、他藩と違い250年間藩主であり続け、明治以後も名門として名を残し、特に競馬の有馬記念は有名だ。支配する側として無難に過ごしてはいるが、内実、悪政も度々あり、その都度百姓一揆が起こり、それを巧妙な弾圧でやり過ごしている。絶対君主的な藩主に対して、民のために身を挺して抗い、苦難の中で生きる家老の稲次因幡や凌水の師小林鎮水、高松凌水などの無名の医師の存在は、暗黒の天に輝く星であり、荒れ野に可憐に咲く花であると言う想いがあるのだろう。それが題名となった。

 1754年(宝暦四年)の医師・高松凌水と霊鷲寺(りょうりゅうじ)住職・円信との会話から話が始まる。旱魃による水不足、大雨や大風による大洪水、虫害による餓死者の増加など、江戸時代の農業は天候に左右されるため、領主の施策により大きな影響を受けた。久留米藩は、江戸屋敷で贅沢をしたため、地元の百姓達は苦しんでいた。

 1728年(享保十三年)の頃、災害がやっと一息ついたときに、公儀(久留米藩)から「夏の作物(野菜など)の上納を、十分の一から三分の一に増やす」という命令が出た。「秋の作物(米など)の上納は、既に三分の一」であり、夏の作物の十分の九で生活を遣り繰りしていた百姓にとって死活問題である。その百姓をまとめる庄屋たちも、問題解決のために奔走する。十九か条の嘆願書をまとめ、大庄屋(井上村、凌水の父・高松孫市)や庄屋達が先頭になり城下近くに押し寄せ、家老・稲次因幡の仲介で、百姓の犠牲者も無く解決した。命令がもとに戻されたのだ。父親の孫市のそばで、この百姓一揆を見ていた次男・庄十郎(凌水の幼名)はこのとき11才である。

物語はこの年から1916年までおよそ200年間の長いスパンで、縦糸に凌水の医師としての活動とその家族の歴史として、横糸に飢饉、一揆、疫病、藩政、民百姓の日々の暮らしが織り込まれて語られる。

 1749年(寛延二年)北野天満宮の敷地内に開業し、高松凌水と名のる。恩師・鎮水の教え-「病を克服する最後の決め手は、患者に宿っている治る力だ。医者はつまるところ、治る力を引き出す黒子だ」を治療の基本に据える。同年、稲次因幡の遺言で、掛軸「天に星 地に花 人に慈愛」をもらい、一生の宝として、時にふれ思いを新たにする。現在も、久留米には稲次因幡を偲ぶ五穀神社がある。

 大河ドラマであり、歴史書のような小説あるが、権力によって一時期敗れても、その教え「人に慈愛」は、血となり肉となり、子々孫々まで続いていくことを知らされ、思わず涙してしまった。

BOOK REVIEW----おわり---------------------------

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188.「花のあと」を読んで

藤沢周平著の「花のあと」(文春文庫)を読んだ。

藤沢周平原作の映画は結構好きで、「たそがれ清兵衛」「蝉しぐれ」「武士の一分」などを見たことがある。東北の「海坂藩(うなさかはん)」と言う架空の藩も鶴岡市周辺に存在する錯覚さえしている。

この短編集は、前に一度手にしたが、その時は途中で中座していた。今回は比較的落ち着いてじっくり読むことができた。8つの短編がいろいろなシチェエーション(設定)で展開している。8冊読んでいるような気がするが、短編なので、結末が早く来るところが良い。
すべて江戸時代の話だが、武家物の「雪間草」「悪癖」「花のあと」、町人物の「鬼ごっこ」「寒い灯」「疑惑」「冬の日」、そして安藤広重を描いた芸術物の「旅の誘い」の8編である。

やはり、本のタイトルになった「花のあと」は心に残る。日常の一瞬を描きあげた「寒い灯」も好きだ。そして、安藤広重と葛飾北斎の違いも知ることができた「旅の誘い」も良い。

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187.「ゴールデンスランバー」を読んで

伊坂幸太郎著の「ゴールデンスランバー」(新潮社)を読んだ。

伊坂幸太郎の本は110番で読んだ「重力ピエロ」以来である。確か舞台は仙台であった気がするが、このゴールデンスランバーも仙台が舞台だ。つまり、伊坂幸太郎は仙台出身なのかと、本の裏扉の作者紹介を見てみると、千葉県出身で東北大学卒業となっていた。つまり、青春時代を過ごした街並みが彼に影響を与えていることが分かった。青春はともかく思い出が深いものである。

昔起こって謎だらけのケネディ大統領暗殺事件と、街中に張り巡らされた情報端末と、大学時代の訳も無く楽しい思い出と、警察上層部の権力の暴走と、ありそうでなさそうな政界の悪質な裏面(暗殺など)と、力も何も無い1人の青年の逃走などを、かき混ぜてグルグル回して作り上げた作品であった。しかし、ビートルズの「golden slumbers」の曲に乗せて、切れた糸がつなぎ合いながら話が展開していくスタイルに、何故だか新鮮に感じ、夢中になって読破した。 最後のあたりでは、「逃げろ!青柳」と思わず声(心の声)を出していた。

これからビデオを見て再度興奮したいと思っている。

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186.「オリンピア -ナチスの森で-」を読んで

沢木耕太郎著の「オリンピア -ナチスの森で-」(集英社文庫)を読んだ。

沢木耕太郎の本は131番で読んだ「深夜特急1~6」以来である。アジアを旅して、ポルトガルへ至る旅に心躍らせた記憶がある。ナチスという言葉にはひっかかったが、2020年に東京で開催される予定のオリンピックを前に、奥田英朗の「オリンピックの身代金」とは違う眼で見た沢木耕太郎の書いたオリンピック物を読んでみようと考えた。

1932年のロサンゼルス大会以降、オリンピックは量・質ともに大きく変わろうとした。その4年後、ナチスのヒットラー支配するドイツを舞台にベルリンオリンピックが開催された。そのヒットラーの要請で、レニ・リーフェンシュタール(女性)はベルリンオリンピックの記録映画を担当することになる。それ故、ナチスのプロパガンダとの声も高い。しかし、彼女の手腕で撮影され、まとめ上げられた名画「オリンピア」(「民族の祭典」と「美の祭典」の二部構成)は、いろいろな意味で画期的な映画であった。そのことを調べるために、著者の沢木はドイツのバイエルン地方のミュンヘンに住む90歳を越すレニ監督に会いに行く。話を聴きながら、その映画を再評価し詳細に調べて書き直しているのがこの本である。特に新鮮に思えるのは、1936年当時のオリンピックに参加した日本の選手団の顔ぶれとその活躍である。「前畑ガンバレ!」で有名な前畑秀子、マラソンで優勝した孫基禎(ソンギジョン)、棒高跳びの西田修平と大江季雄の「友情のメダル」(銀と銅のメダルを半分づつにしたと言う)、三段跳びで金メダルの田島直人と銀メダルの原田正夫、「暁の超特急」とニックネームのついた100mの吉岡隆徳、200m平泳ぎで優勝した葉室鉄夫など何と多くのスポーツ選手がいたことか。

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185.「閉鎖病棟」を読んで

帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)著の「閉鎖病棟」(新潮文庫)を読んだ。

巻末にある逢坂 剛(おうさか ごう)の「解説」を納得しながら読んだ。さすが私の好きな作家・逢坂 剛だけあって分析が簡潔である。逢坂 剛の本は、読書欄を始めた初期の頃に16番「カディスの赤い星」、17番「あでやかな落日」、18番「遠ざかる祖国」、21番「幻の翼」と立て続けに読んだことを思いだした。そういう意味では、帚木蓬生の本も169番「聖灰の暗号」、170番「空山」、174番「賞の柩」そして、185番「閉鎖病棟」と読み込んでいる。「解説」によると、1979年にはじめて「白い夏の墓標」というタイトルで「国際冒険小説」を世に出した。その路線は逢坂剛の本に引き継がれ、上記のスペイン物の本として結実している。

その後、精神科医師となった帚木蓬生は、1990年「賞の柩」で再デビューし、それ以降「閉鎖病棟」「ヒトラーの防具」「空山」「聖灰の暗号」など多数の海外を舞台にした作品や、医学界を題材にした作品を出し続けている。

最後に、この本のタイトル「閉鎖病棟」は、外界と行き来ができない閉ざされた精神病院をさすのではなく、精神的に外部の世界から切り離された世界をさしていると思う。それは、私たちの住んでいるこの社会も、管理化された場所で、行動の自由と引き替えに、精神の自由が拘束されていることを比喩している。

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184.「将門と忠常 坂東兵乱の展開」を読んで

千野原 靖方(せんのはら やすかた)著の「将門と忠常 坂東兵乱の展開」(崙書房出版)を読んだ。

休みの日に散歩がてら関宿城へ行った。そこの売店にあったこの本を購入したのは、少し昔将門に凝っていたときに坂東市の国王神社など探索に行ったことがあるからだ。今では遺跡などあまりなく、寂しげに佇む石碑などを見て、たぶん天皇家に反発したためそうなったのかと思っていたが、もう少し詳しく知りたいと思って買った。

天智天皇(38代)の曾孫の桓武天皇(かんむてんのう、50代、在位737年-806年、長岡京784年遷都、平安京794年遷都)の時代、その曾孫に高望王(たかもちおう)がいる。889年平朝臣を賜与され、平 高望(たいら の たかもち)を名乗り、898年上総介として、長男国香、次男良兼、三男良将を伴い任地に赴く。在地勢力の娘を息子達の妻として迎え、常陸国・下総国・上総国の未墾地を開発、自らが開発者となり生産者となることによって勢力を拡大、その権利を守るべく武士団を形成してその後の「高望王流桓武平氏」の基盤を固めた。 その三男良将の子どもが平 将門である。また、五男良文の孫が平 忠常である。

平将門は、下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国衙を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。しかし即位後わずか2ヶ月たらずで藤原秀郷、平貞盛(国香の長男)らにより討伐された(承平天慶の乱931年-940年)。死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。武士の発生を示すとの評価もある。合戦においては所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使し、反りを持った最初の日本刀を作らせたとも言われる。

この時活躍した藤原秀郷は、藤原北家房前(ふささき)の五男魚名の流れを組む下野の押領使にすぎなかったが、この時の功績により、下野守・武蔵守として勢力を拡大していく。その6代後に、藤原清衡(きよひら、奥州藤原氏として平泉文化を築く)が出る。

また、平貞盛の子・維衡(これひら、この子孫に清盛が出て平氏政権を樹立する。)や維将(これまさ、この子孫に北条氏が出て鎌倉幕府の執権となる。)など歴史の担い手となっていく。平貞盛は、平将門に再々殺されかけて逃げ通しているが、もしかすると歴史が変わっていたかもしれない。

平貞盛の弟の平繁盛の子孫は、常陸国や陸奥出羽国の各地に進出し、勢力を拡大していく。

承平天慶の乱後の坂東各地を引き継いだのが、将門の叔父の平良文である。「良文流」という血脈から言うと、坂東八平氏につながっている。千葉氏、上総氏、三浦氏、大庭氏、長尾氏、梶原氏、秩父氏、葛西氏、畠山氏、土肥氏などである。特に、三浦氏は鎌倉幕府で北条氏とともに重責を担っていた。

この良文の孫・平忠常は、東大友(千葉県香取市、香取神社近辺)に居を構え下総国を支配下に押さえていたが、上総国の上野郷に進出し、さらに安房国も落として、1030年「平忠常の乱」を引き起こした。京から任命されてくる貴族と地元の武士集団の抗争と考えて良いと思う。しかし、最後は常陸介であった旧知の源頼信の仲立ちで降伏し、京に上る途中で死去している。源頼信の配慮で、その子ども達は罪に問われなかった。その後、その子ども達は、源頼義(源頼信の子)に協力して、奥州征伐の前九年の役(1062年)に従軍し活躍している。

平将門がなぜ平氏なのか、北条氏も平氏だということ。さらに、平将門が、中国東北部のキタイ帝国(907年、大契丹国、遼)の耶律阿保機(ヤリツアボキ)の影響を受けていることもわかった。中国東北史や武蔵武士団など本を読んでいたのも理解に役立ったと思う。

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183.「神社が語る 古代12氏族の正体」を読んで

関 裕二著の「神社が語る 古代12氏族の正体」(祥伝社新書)を読んだ。

本を読みながら、古代に活躍した12氏族と現在も祀られている神社を地図に抜き出してみた。少し位置が変だが参考にして欲しい。

今まで読んできた古代史の本で、自分なりの解釈だが、中国や朝鮮(新羅や百済など)との関係や、九州北部とヤマトとの戦いや、日本書紀・古事記の歴史(藤原不比等らによって作り替えられた)などを知ることができた。

物部氏や蘇我氏の正体も分かってきたが、他のヤマト建国に登場した12氏族たちの消息が良く分からなかった。そこに焦点を当てたこの本は、祀っている神社から見直している点が新鮮だと思う。ちょうど、150番と151番で読んだジャレド・ダイアモンド著の「文明崩壊」に出てくる「湖底の堆積物の分析」に似て素敵だ。真相追究は、今までにないテクニックで明らかにされていく気がする。

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182.「高知県・謎解き散歩」を読んで

谷 是(たに ただし)編著の「高知県・謎解き散歩」(新人物文庫)を読んだ。

全国の謎解き散歩の本があるようだが、故郷の高知県の情報をもう少し仕入れようと、この本を読んでみた。いろいろなことを、たくさんの人が良く調べてあって、それをまとめた本である。

興味深いことがいくつかあるので列挙してみよう。
①有名人が想像以上にいる。②まんが王国と言われ理由。③大政奉還の時に活躍した土佐藩主・山内容堂がなぜ討幕派にならなかったのか?④人斬り以蔵が仲間に毒殺されそうになった訳。⑤ジョン万次郎がペリーの通訳にならなかった不思議。⑥龍馬の写真で、右手を入れている懐に何が入っていたのか?⑦西南戦争時に土佐士族は?⑧植木枝盛の憲法草案が日本国憲法に生かされているのは本当か?⑨中江兆民が「東洋のルソー」と呼ばれたわけ。⑩土佐中村の一条氏は、山口の大内氏と共に中国貿易をしていたのか?⑪長宗我部家はどこから来たのか?⑫寺田寅彦のすごさ⑬沈下橋の謎

まだまだあるが、高知県についてより詳しくなった。他県の本も出版されているので、故郷の本を読んでみてはどうか。

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181.「湖底の城(1・2・3)」を読んで











宮城谷昌光(みやぎたに まさみつ)著の「湖底の城」(講談社文庫)を1巻から3巻まで読んだ。単行本では続編が4・5巻と出版されているが、文庫本はまだなので、これまでのまとめとして書く。

この本の主人公は、楚人で名を伍子胥(ごししょ)と言う。身長が2.25mもある巨躯(きょく)で、同時代の孔子(こうし)の2.16mより高い大男である。

楚の荘王の時代は、楚が一番栄えたときであるが、その傍らには重臣として伍挙(ごきょ)がいた。その子・伍奢(ごしゃ)は、荘王の子・共王に仕えたが、荘王の孫・霊王のときに連尹(れんいん、首相のような仕事)として活躍する。

しかし、暴君であった霊王が死ぬとその末弟・平王が全権を握り、費無極(ひむきょく)たちの策略で、伍奢とその長男・伍尚(ごしょう)が無実の罪で殺される。

辛うじて宋の国に逃げた伍子胥(伍奢の次男)は、その後、鄭や呉を流離い、楚への復讐を固く誓う。そのもとに有為の者たち集いはじめ時代は動こうとしている。

今後の4巻・5巻が楽しみである。

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180.「夏姫春秋(上・下)」を読んで

宮城谷昌光(みやぎたに まさみつ)著の「夏姫春秋(かきしゅんじゅう)上下」(講談社文庫)を読んだ。
夏王朝⇒殷王朝⇒周王朝と変遷し、周王朝の力が衰え出したが、まだ東周として中原の中心にいた頃(紀元前643年から570年ごろを舞台にしている。春秋戦国時代は、秦の始皇帝が紀元前274年に統一するまで騒乱が続いた。)の話である。その周のそばにあった鄭の国(てい、周王朝と同じ姫姓)の穆公(ぼくこう、蘭)の娘「夏姫(かき)」が主人公である。

夏姫は、中国四大美女と言われた春秋時代の「西施(せいし)」に並ぶほどの美人であったらしいが、彼女に近づいた男は全て死んでしまったため、夏姫はとんでもない悪女のように言われ、中島敦の「妖氛録」には妖女・悪女のイメージで書かれているそうだが、作者・宮城谷昌光は、そこからの脱却を目指したらしい。第105回直木賞を受賞している。

父親の穆公は、実兄の子夷(しい、後の霊公)の偏愛を防ぐために、陳の国の公族の夏氏へ嫁がせ、一子「子南」をもうけるが、夫・御叔(ぎょしゅく)はやせ衰えて「風が…」と言って死んでいく。大国・楚と晋の争いの中に翻弄されながら、夏姫は次々と男を換えていく。(正しくは、時代の波に流されて、美人が故に権力のある男が近づいてくると言った方が良い。)子どもの子南も陳の国の王になるが、すぐに楚の荘王によって殺され、夏姫は荘王のもとへ連れて行かれる。

「風が吹く」と言う夏姫に興味を持った荘王だが、数多くの男が死んでいく事実に危惧し、神官であり荘王の重臣の巫臣(ふしん、申公)にチェックを依頼する。巫臣は、実際は風を感じたが、荘王にとっては大凶と思い、嘘をつく。荘王は夏姫を陳の国に返し、その後、楚の国は晋の国との戦いにも勝ち、荘王のこの時期には巨大な国となった。残念ながら、周王朝と同じ姫姓ではないので、王朝を作るまでには近隣の国の支持はなかったようだ。因みに羊姓(びせい)である。ライバルの晋は姫姓なので、一定の支持があり、この時代はまだ血筋がものを言っていた。

最後に、荘王の重臣である巫臣は、荘王の死後、夏姫と共に、楚を脱出し、晋を頼り、晋の北方の邑(むら)で幸せに暮らしたということである。なぜ、巫臣は死なないのかというと、神官が故に夏姫の問題点を見つけたからである。それは、生まれたときに宿る陰の気「魄(はく)」を親によって「魂(こん)」にかえる手続きが省かれたため、魄の状態のまま現在に至ったことによる。そこで、祭儀をすることによって、「魂」にしたからだ。しかし、この理屈はよく分からない。

この本によって、良く分からなかった春秋戦国時代が少し見えてきた。その所為か、宮城谷昌光著の「湖底の城」を読み始めている。

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179.「おれのおばさん」を読んで

佐川光晴(さがわ みつはる)著の「おれのおばさん」(集英社)を読んだ。
『全国の中高生と親御さんたちに』と言う帯の付いたこの本は、名門私立中学に合格したばかりの主人公・陽介が、突然の不幸から、父親は刑務所に、母親は借金を返すために住み込みの仕事に、そして陽介は、東京から遠く離れた札幌の児童養護施設「魴[魚弗]舎(ほぼしゃ)」に入寮するところから話が始まる。

魴[魚弗]舎を運営する恵子おばさんの情熱的な性格や協力者の高校教師・石井先生などに囲まれた入寮している中学生の子ども達の織りなす日常は、身近にいる中学生そのものである。本の帯にあるように、全国の中学生の親御さんたちに、子育てのポイントを教えてくれていると思う。面白く読ませてもらった。

この読書欄を書くにあたって、インターネットで調べてみると、この本をスタートに「おれのおばさん」シリーズが発行されていて、児玉清さんや尾木直樹さんや中江有里さんのコメントが掲載されていた。シリーズは、「おれたちの青空」そして、「おれたちの約束」と続いていく。登場人物の成長を追った続編なので、読みやすいかもしれない。

(注:[魚弗]はシフトJISでは表示されないので、漢字の構造の偏(へん)と旁(つくり)を別々に表示して1字扱いにしている。)

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178.「蘇我氏の正体」を読んで

関裕二著の「蘇我氏の正体」(新潮文庫)を読んだ。
職場の1FがBookOffなので、昼休みに覗きに行った。柴田哲孝や帚木蓬生などの展示場所を見た後、関裕二のコーナーも覗いてみると、興味をそそられるこの本が展示してあった。違う作者の本も読まなくてはと探すが、全然頭に入ってこない。結局、この本を手にとって購入してしまった。

それからの毎日の通勤電車が楽しみなったからには我ながら驚く。日本の歴史は、紀元前1世紀から西暦645年までの約750年間が空白で、古事記と日本書紀による神話の世界がそこに入り込んでいる。西暦645年は「大化の改新」と言う事件が起きた年だが、正式には「乙巳の変(いつしのへん)」と言った方が良いのではと、読後に感じた。藤原不比等(中臣鎌足の息子)の創作により、日本の初期の歴史が約750年も空白である事実は罪深い物がある。

その長い月日を空白にしてしまうほど隠さなければならない真実が横たわっていることを、この本は推理していく。蘇我氏の蘇我とは、「我蘇る」を暗示している。神話上、大活躍したスサノオ(実は新羅で活躍した倭人の脱解王、西暦60年頃)の息子・天日槍(あめのひほこ、丹波在住)またの名を武内宿禰(西暦84年生誕~西暦367年死没、年齢不詳)が、神功皇后(西暦200年、トヨ)と共に登場する。2人は、瀬戸内海貿易の要所・関門海峡を閉鎖した九州北部の邪馬台国の卑弥呼をなき者にすることを、ヤマト建国から要請され、出雲国と越国の軍をつれ攻撃し、卑弥呼を殺害(西暦248年頃)。その後、男王(天日槍)が邪馬台国を治めたが、ヤマト建国の猜疑「天日槍が、三韓(朝鮮半島南部の国々)と手を組み、日本を乗っ取るらしい」にかかり、神功皇后がトヨとしてその後を継ぎ、一時事なきを得たが、天日槍の命をかばっていることが明るみに出たため、動乱が再発し、2人は「国を譲る」って、南九州へと落ち延びていく。一緒に2人の息子・応神天皇と尾張氏をつれ、日向へと向かう。

その後、4世紀頃天変地異と疫病が流行し、人口が半減し、トヨの祟りと恐れたヤマト朝廷は、トヨを伊勢神宮に豊受大神として祭り、また、その息子応神天皇(15代)を「神武天皇(神話上初代)」としてヤマトに迎える。その一方で共にヤマトにきた尾張氏は琵琶湖以東に住み着き、東国を束ね、蘇我氏(西暦500年頃)として復活する。この後、尾張蘇我氏系の継体天皇(26代)が大和朝廷に57歳で登場する。

スサノオ・武内宿禰・応神天皇・継体天皇とつづく蘇我氏の大王家としての血筋を完全なまでに消し去ることで、亜流の天智天皇と中臣鎌足(百済王子と言われている豊璋王子が物部氏に養子に入る)が表舞台に登場し、蘇我氏が進めてきた改革を横取りすることになる。天智天皇の弟・大海人皇子(天武天皇)は壬申の乱(西暦672年)で東国に散らばる蘇我氏や出雲国の末裔に支持されて、再び政界に登場するが、その後は藤原一族によって天智天皇の血筋が優先されて現代まで至るという。

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177.「ダンサー」を読んで

柴田哲孝著の「ダンサー」(文春文庫)を読んだ。
「村上海賊の娘(上)(下)」を読む間停止していた「ダンサー」をさっそく開いて読み始めた。エレナ・ローウェン博士が、嵐の夜何者かに殺害される場面から始まる。ここは筑波にある遺伝子工学の大学の研究室である。主人公・有賀雄二郎と犬のジャックが事件の渦の中に巻き込まれていく。敵は「ダンサー」と呼ばれるキメラ(キマイラ)だ。敏捷で圧倒的な腕力の前に、人はだた倒されるしかないように思えるが、有賀の息子・三浦雄輝は武装し、闘いに臨んでいく。

父子の絆が共通の敵の前に固く結ばれていく。愛犬ジャックの活躍と、その闘いの後のジャックの子どもとの再会が、今後の小説の中に有賀とジャックの活躍を予感させてくれる。

遺伝子工学の行く末を暗示させる作品でもある。

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176.「村上海賊の娘(上)(下)」を読んで

和田 竜(わだ りょう)著の「村上海賊の娘」(新潮社)を読んだ。
書店に行くと、帯に本屋大賞受賞作と書かれたこの本は人目を引く。読書はどちらかと言えば、乱読気味の私だが、さすがにこの帯の誘惑には負けずにいた。と言うのは、このところ柴田哲孝と帚木蓬生の作品に凝っていて、他の本は一時停止状態にあったからだ。

昔もこんなことがあった。ずっーと塩野七生の書くイタリアの歴史物を読み続けていたが、これらの本は新書が多く値段が結構するのを見兼ねた妻が、古本屋「BookOff」で安価で私の気を引きそうな本を探してきて、机の上に置いていったことがある。塩野七生の本が一段落したとき、何気なくそれらの本を手にとって見ていくと、もうその本の虜になってしまった。 このことからもわかるように、実は乱読者の私が、研究所の雑誌の書評コーナーを頼まれたのを切っ掛けに、この本に手を伸ばしたわけである。

柴田哲孝の「カッパ」を急いで読み終え、勤務先のビルの1階にあるBookOffで購入済みの「ダンサー」の扉を封印して、この「村上海賊の娘」の上巻の扉を撫でた。扉はデザインも紙質もなかなか良い。中をめくると紙質もほどほどだし、字も大きめだし、難しい漢字もときどきフリガナがついていて読みやすい。

上巻は、天正四年(1576年)の織田信長が甲斐信濃の武田軍を破って勢いに乗る西日本が舞台である。(私事としては、武田軍が敗れるのは残念だが…)西日本の歴史物が詳細に書かれるのは久しぶりである。ほとんど奈良・京都の古の歴史と大阪の繁栄した町並みが舞台になることが多いが、その他は江戸幕府の置かれた関東が中心で、如何にも歴史は当時の権力者の意のままに不都合な物は消すという情報操作がされていることがわかる。そのためか、この本を書くために作者・和田竜は約85冊にも及ぶ地方(西日本)の文献を読破している。権力者の情報操作を掻い潜るには、地方に散見している日記や雑誌を読み込みつなぎ合わせていかなければならない。ミスでもあると、その1点をもとに権力者とその同調者たちは潰しにかかるからだ。

上の事に気づいたのは、梅原 猛著「葬られた王朝」や柴田哲孝著「下山事件 最後の証言」や帚木蓬生著「聖灰の暗号」や明智憲三郎著「本能寺の変 431年目の真実」などを乱読した結果である。乱読とは「いろいろな意見を聞くことができる」につきる。

話を元に戻して、海賊の娘の話である。海賊は2つに場合分けができる。1つ目は、悪い海賊である。通航する船から金銀財宝を奪い、さらには乗組員を殺害し、女子供を奴隷として連れ去る自己中心の海賊である。塩野七生のイタリア史でも、北アフリカのサラセンの海賊たちが度々イタリア海岸を襲い、財宝を略奪し、男は水夫に、女は奴隷にしたことが書かれている。イタリアの海岸線に砦が多いのは見張り台だったそうだ。十字軍も同様のことを北アフリカにしていると言う。

話を元に戻して、2つ目の良い海賊は、悪い海賊がリーダーの下に統一され、ルールが確立されると、それが一種の法律になり、その元で地域の海上運航が安定化して落ち着いた時がやってくる。何だか、今の憲法を指しているようだ。この「村上海賊の娘」に登場する村上海賊や眞鍋海賊は、淡路島以西と難波海の2つに瀬戸内海を分けて支配し、海上運航の安定化をもたらしていた。そのルールを作ったのが、村上武吉という村上海賊のリーダーをはじめ村上三島(因島・能島・来島)の村上海賊の合議である。毛利に追従している因島村上(村上吉充)とリーダーで独立独歩の能島村上(村上武吉)と幼少の当主(織田信長に靡こうとしている)を支え村上三島の結束を重んじている来島村上(村上吉継)の合議でルールができたのだが、今では毛利家警固衆(海賊の呼び名を改めた水軍)や難波海の眞鍋海賊もそのルールに従っていた。瀬戸内海を運航する民間の船に、海賊が1名同伴していれば運航自由で攻撃しないと言うルールだ。

話は、その平和な瀬戸内海に波風が立つことになる。それがお騒がせの織田信長である。昔は、「天下布武」と言うことで英雄視していた織田信長だが、のちに天下を奪取した豊臣秀吉の自分を美化するためにした情報操作だと分かると、単なる自己中心的なカリスマ性のある武将に思える。この織田信長が、一向宗弾圧に乗り出して7年目の大阪が舞台だ。現在ある大阪城は、もとの大坂本願寺が炎上して消滅した跡に、豊臣秀吉が築城した城である。浄土真宗に本願寺派と大谷派があるが、このとき紀州に移った顕如と残った教如により2派に別れたそうだ。本願寺派を西本願寺、大谷派を東本願寺と呼んでいる。

上巻は、時代背景紹介と当時の大坂の地理と本願寺内部の様子、織田信長方の天王寺砦の様子、そして場所が飛んで、毛利家の小早川隆景らの様子、能島村上の本拠地・能島の様子 、そして主人公の武吉の娘・景(キョウ、景姫)の登場である。

下巻は、村上・毛利合同水軍と眞鍋・泉州合同水軍の木津川合戦(1576年7月)の悲惨な殺し合いの描写の連続であった。正直ここまで書かなくても良いのではと思う。景にしても眞鍋七五三兵衛(まなべ しめのひょうえ)にしても個人的な武力は卓越しているが、小兵や水兵が意図も簡単に殺害されるのを面白いとは言えない。二人は憎み合い、愛し合い、殺し合うのだが、海底に沈んで殺されたと思っても、これでもかこれでもか生き返ってきて大奮闘する。少々ウルトラマンに見えてくる。

この合戦では、毛利・村上合同水軍が勝利し、大坂本願寺へ兵糧米を運び込むことができて、暫しは瀬戸内海一面を村上海賊が支配し平和なときが続くが、またしても織田信長が鉄張船(てつばりぶね)を、三重の九鬼水軍に建造させて、難波海を再支配し、天正八年(1580年)に、完璧に大坂本願寺を取り囲むことによって炎上させている。

感想としては、次の5点を挙げる。一つ目は、タイトルにあるように村上武吉の娘・景がトゥームレイダーのアンジェリーナ・ジョリーのように鮮やかな大活躍するところだ。和風の丸顔が美人とされた時代に、野人の如く八頭身で彫りの深い顔の景姫が、泉州海賊や村上海賊の将兵すべてを魅了している。昔、大内家と戦ったときの鶴姫と同じ「鬼手(きしゅ)」を身に付けている。何をやらかすか分からないところが読者を惹きつけてやまない。私も景が登場するとワクワクした。

二つ目は、ほとんど殺し合いなので、残虐すぎて見てられなかったが、その中で、武器として登場してくる七五三兵衛の使う「銛(もり、鯨などを仕留める道具)」と村上海賊が使う秘法の「焙烙玉(ほうろくだま、打ち上げ花火玉の形をした爆弾)」が目新しかった。刀と弓から鉄砲へ移った時代の中で、海賊の武器として登場している。なお、鉄砲を扱う雑賀党(さいかとう)の鈴木孫一も景と行動を共にする形で登場している。

三つ目は、毛利家や村上海賊の合議による戦略決定に対して、織田信長や眞鍋七五三兵衛の突出した戦略決定の比較を見ることができる。景は村上海賊に属しながらも突出型で、「鬼手」としての役割を果たしている。なお、戦においては突出型の方が優位だが、平和時には合議型が向いている。突出型の安倍晋三首相が情報操作しながら戦争へと向かっているのを感じる。

四つ目は、リーダーとその重臣の関係である。大坂本願寺に立てこもる一向宗の1万以上の門徒のリーダー顕如(けんにょ、第11世門主)とその側近・下間頼龍(しもつまらいりゅう)の関係、村上海賊のリーダー能島・武吉と因島・吉充や来島・吉継の関係、泉州海賊の長・沼間義清(ぬまよしはる)と新興海賊の眞鍋七五三兵衛の関係などが、その時々の場面で重要な意味を持ってくる。

最後に、一番関心を持ったのは地理である。この時代の瀬戸内海の地理(と言っても城や砦や川や島など)を知ることは、この時代の歴史を読む上で大きなヒントを与えてくれる。さらに、尾道から「しまなみ海道(西瀬戸自動車道)」を通り訪ねた三島神社(大山祇神社)の国宝館(源義経の鎧が展示されているので有名)にあった巨大な大太刀が、村上海賊たちが使っていたと実感した。さらに、そばの公園にあった姫銅像が「鬼手」をうんだ鶴姫だと実感した。それは景姫にも通じる。

読書好きな私は、杉戸高野台の古本屋兼集会所「ぼんとん」で月1回行われるビブリオバトルに参加している。読書好きの人が本を5分間で紹介するこの集いは、興味深い取り組みである。読書嫌いが増えている昨今、プレゼンテーションの練習場所としても活用できる。

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175.「KAPPA」を読んで

柴田哲孝著の「KAPPA」(徳間文庫)を読んだ。彼の作品はこれで6作目となる。もう一度思い出してみよう。55番の「下山事件 最後の証言」、96番の「GEQ」、154番の「漂流者たち」、156番の「銀座ブルース」、157番の「TENGU」、そしてこの「KAPPA」である。これだけ読めばかなりのファンである。自分もそう思う。その次に読む予定の本は「ダンサー」である。社会派の作品と科学的な作品を次から次へと繰りだしてくる彼の才能に惹きつけられている。

「TENGU」にしても「KAPPA」にしても未知の生物を題材に、主人公が調べていくわけだが、最後の結末になって何故だかホッとするところが良い。更に、主人公が他の本にも別な形で登場するので、何だか親しみが湧く。

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174.「賞の柩」を読んで

帚木蓬生著の「賞の柩」(集英社文庫)を読んだ。1996年に発行されたこの本は、ノーベル医学・生理学賞を受賞した架空の人物を題材に、ノーベル賞争いの問題点を書き出した本である。最近、巷では理研の小保方(おぼかた)博士のSTAP細胞の問題が取り上げられているが、それらのことが起こりゆる可能性を予想していたような本である。作者自身が医者でもあるので、この実験結果を学会に発表する論文の危うさを感じていたのかもしれない。

スペインの北方のピレネー山脈のカタルーニア地方の風景も一部に出てきた。作者の好きな場所だなあと今回も思った。この小説は3名のライバルを死に追い込みながらノーベル賞を手にした人物の過去を暴いていくというストーリーである。

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173.「手紙」を読んで

東野圭吾著の「手紙」(文春文庫)を読んだ。読み終わる頃、妻から「これ映画になっているよ」と聞かされた。読み終わってから映画(ネットで昔の映画も見えるようになったので便利なことだ)を見ようと思っている。

突然のいろいろな不幸から、進学を断念せざるを得ない高校生達が身近にいることもあり、他人事とは思えず読み進めていった。何とかハッピーエンドになってくれないかなと思いながらだが、その都度、裏切られてどんでん返しである。「神も仏も無いのか」と絶望的になりながらも、『結局他人に求めるのでは無く、己自身の覚悟で道を切り開いていく』ことの大切さに気づかされる。

そして、その周りの疎外感に満ちあふれた中にも、仲間が寄り添ってくれることに気づいていくことで、新たな道が開かれていく。映画ではどのように展開していくのか見るのが楽しみである。

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172.「本能寺の変 431年目の真実」を読んで

明智憲三郎著の「本能寺の変 431年目の真実」(文芸社文庫)を読んだ。本能寺の変というと、いくつか疑問が昔からあったが、定説に流されていたのが実際だった。ここで、疑問を列挙してみよう。

①明智光秀は、織田信長の手荒い虐めに耐えかねて恨みを果たしたのか?
②秀吉は本能寺の変の知らせを受けると、わずか十一日でなぜ戻って来られたのか?
③秀吉はなぜ朝鮮へ出兵したのか?
④徳川家康は、伊賀の忍者に守られて、命からがら逃げ延びたのは本当か?
⑤天下の名城・安土城がなぜ炎上したのか?
⑥織田信長は、なぜ警護が手薄な本能寺にいたのか?
⑦光秀の娘「ガラシャ夫人」がなぜ殺されなかったのか?
⑧光秀の家老・斎藤利三の娘・福が、土佐の長宗我部元親の下に保護され、後日「春日局」になるのか?
⑨千利休と秀次が、なぜ秀吉によって惨殺されたのか?
⑩秀吉が清洲会議で天下を取ったのを、なぜ家康が黙認したのか?

この光秀の子孫が書いた本を読むにつれ、歴史に葬られた人の子孫だからこそ、定説に流されることなく調べていくことができたと思う。それは丁度、55番で読んだ「下山事件 最後の証言」の著者である柴田哲孝さんと、その立ち位置が似ていることから「真実に迫っている」と言う実感がある。

上に書いた10個の疑問に正解を与えているだけでなく、徳川政権の鎖国政策や明治政府の中国出兵の理由にまで、話が及んでいるのは凄いの一言が言える。是非御一読ください。何と織田信長の施策の3つの転換がその要因とは、驚くことだ。「天下布武」だけではなかったのか!

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171.「丹樹(にじゅ)」を読んで

先輩が参加しているの同人誌「丹樹」(第57号、日本民主主義文学会・滔々の会発行)を読んだ。滔々の会(とうとうのかい)に参加している方々が、自作の小説を持ち寄って発行している同人誌である。興味ある内容のものもあり、全部速読してしまった。ここに、作者(ペンネーム)とタイトルを紹介し、興味ある内容を若干ふれてみることにした。

創作が9編。①「レンガ屋敷」(能村 三千代)②「怪談オレオレ詐欺」(大塚 夕治)③「1958年の春」(藤原 一太)④「負け菊-民生委員・上総伸一郎9」(夢前川 広)⑤「希望の短編小説」(三上 容平)⑥「退職の季節」(保阪 和夫)⑦「芽依の選択」(喬木 美衣)⑧「明日に向かって微笑め」(八鍬 泰弘)⑨「洗髪(二)」(佐藤 眞澄)

エッセイが1編。①「何が決め手になったのか-私が見た自治体の設計プロポーザル」(夢前川 広)………なお、プロポーザルとは発注するときに業者から「企画・提案」をしてもらい、それを検討して決定するシステム

が1編。①「ひるぜん」(津田 明)

以上の11編からなるバラエティーに富んだ同人誌である。気さくに創作し掲載できるこの同人誌は魅力あるものだと思う。各地で発行される同人誌も見てみたいものである。

いくつか取り上げてみると、「レンガ屋敷」はレンガで囲まれた古びた屋敷をいつも見ている作者の想像から生まれたものなのか、事実なのか分からないが、「レンガ」が醸す不思議さが心を惹きつける。2つ目は「希望の短編小説」である。突然視力を失った娘とその母親による短編小説づくりの葛藤などを描いている。3つ目は、「明日に向かって微笑め」である。選挙運動の様子がリアルに描かれている。

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170.「空山(くうざん)」を読んで

帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)著の「空山」(講談社文庫)を読んだ。前回に続いて2回目の帚木の作品だ。ダン・ブラウン張りの作品を「聖灰の暗号」で読んだので、彼の日本国内版の作品を読んでみたくなったのだ。たくさんある中で、「空夜」ではなく、「空山」を読んだ。あとで、「空夜」が「空山」の前編であることが分かったが、登場人物は同じだが、ストーリーはだいぶ違うみたいだ。この「空山」は環境問題を扱った素晴らしい作品であることが言える。読んで目が開かれるような提起がなされている。

169番と170番に共通して言えることは、背景に広がる連山がその物語を生み出す要因となっていることだ。背景の連山をいろいろ変えて作品を生み出すことができれば、「連山ジャンル」として展開できるような感じがした。山は、霊山でもあるので、そこには数知れぬ物語が眠っている。

もう一つ、孤高の気高い山ではなく、「連山」という多数の周囲の山(人々)に囲まれ、それでいて光り輝く山々を題材にする妙も感じる。

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169.「聖灰の暗号(上)(下)」を読んで

帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)著の「聖灰の暗号(上)(下)」(新潮社)を読んだ。163番の中里清志著の「65歳のチャレンジ!ヨーロッパ大陸自転車単独横断日記」を読んでいたとき、フランスからスペインに入る場面で四苦八苦している様子が書かれていたのだが、そのピレーネ山脈のフランス側を舞台に「聖灰の暗号」が書かれているので、その山奥の様子を眼に浮かべる参考になった。

13,4世紀に、キリスト教のローマ教会はピレーネ山脈付近で広がった「カタリ派」の弾圧・火刑に血眼になっていた。魔女狩りの様相を示している。弾圧抹消されたカタリ派の足跡を、オキシタン語で書かれた地図と詩を偶然発見した主人公の日本人・須貝アキラが、その詩に導かれて聖灰や文書を発見していく話である。162番のダン・ブラウン著の「インフェルノ」と同様なキャスティングで、ハラハラドキドキのスリルある内容であった。

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168.「安禄山」を読んで

塚本靑史(つかもと せいし)著の「安 禄山(あん ろくざん)」(角川書店)を読んだ。唐の時代の楊 貴妃(よう きひ)を有名にした「安史の乱(あんしのらん)」に至る安禄山の人生が書かれている。141番で読んだ辻原登著の「翔べ麒麟」では、朝衡(晁衡、ちょうこう、阿倍仲麻呂の唐での名前)から見た安禄山が描かれていたし、130番で読んだ杉山正明著の「中国の歴史08-疾駆する草原の征服者」では契丹(きったん、キタイ、遼)などの北方騎馬民族がたくさん出ていた。この「安禄山」の本はちょうど8世紀の唐の時代を描いているので、北方騎馬民族名などが親しみを込めて見ることができた。下に8世紀のアジアの地図を掲載するので参照してください。

安禄山は、康国(サマルカンド)のソグド商人と突厥(とつけつ)王族の混血として誕生したので、北方騎馬民族の言葉をほぼ理解でき、更に、その姿は楊貴妃と同じイラン系で容姿端麗であった。ただ、異常に太っていたのは唐の玄宗皇帝に気に入られていたことが要因にあるようだ。太った身体で上手に激しい胡舞を舞うところが好評だったらしい。これらのことから安禄山は楊貴妃の養子になって、楊貴妃と玄宗皇帝に可愛がられる。

平盧(へいろ)で義父の安一族と暮らしていたので、康ロクシャン(ソグド名)は安禄山と名乗ることになる。新羅に破れた高句麗王族が建国した渤海(ぼつかい)の高 仙芝(こう せんし)と日本から遣唐使として派遣された井 真成(せい しんせい)との出会い。渤海に破れた黒水靺鞨(こくすいまつかつ)の密偵や渤海と敵対する新羅との抗争。奚(けい)や契丹(きつたん)との抗争などがあるが、突厥を味方につけて勢力を拡大していく。

唐の政治は、阿倍仲麻呂達の科挙系と李 林甫(り りんぽ)等の門閥系の抗争が頻繁にあったことは、前出の「翔べ麒麟」で明らかにされていたが、阿倍仲麻呂が遣唐使船の難破で不在中(流されて海南島で救出された)に、頭角を現した楊 国忠(よう こくちゅう、楊貴妃の親戚)等の恩顧系が、楊氏五家の贅沢三昧と、楊国忠の南詔(なんしょう)攻めの失敗や悪銭の発行などにより唐を蝕んでいった。

それを正すべく立ち上がったのが安禄山達(旧友の史 思明(し しめい、ソグドと突厥の混血)等)だったのだが、洛陽・長安を攻略した安禄山は大燕帝国を建国するが、彼の持病悪化と北方から連れてきた兵隊達の都での乱暴狼藉が原因で、その燕国(えんこく)は1年で滅亡していく。その後は、長安に帰国した阿倍仲麻呂等によって、楊貴妃を愛した玄宗皇帝は退位し、その皇太子が即位し、粛宗(しゅくそう)皇帝となり、唐を再建した。安禄山や史思明にとって建国は一夜の夢であった。




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167.「65歳のチャレンジ!
     ヨーロッパ大陸自転車単独横断日記」を読んで

中里清志著の「65歳のチャレンジ!ヨーロッパ大陸自転車単独横断日記」(文芸社)を読んだ。2012年4月3日から7月8日までの97日間、イスタンブールからポルトガルのロカ岬までの約6000kmを自転車で横断した記録である。ちょうどその年の3月16日から23日までスペイン旅行をしたので、見学地が若干重なるので、風景が目に浮かんで懐かしい。

トルコのイスタンブールからスタートするとは、洒落ているなあと思った。なんせ、イスタンブールはアジアからヨーロッパに入る玄関口で異国情緒あふれる街だからだ。一度は行ってみたい街である。

自転車で通過した先々の街の様子が淡々と書かれているが、私も「利根川自転車の旅」をしたときに感じた通りすがりの町の雰囲気とダブって感じることができた。しかし、中里さんの自転車の旅は、トルコ・ギリシャ・イタリア・フランス・スペイン・ポルトガルと続く外国の旅行なので、英語以外の国々の言葉が使われていることを考えると、「言葉が通じない」中での旅をすることは並大抵にできることではない。さらにアップダウンの続く山道の連続であったり、自動車中心の道路行政に悩まされながらのコース取りは容易ではない。私の自転車は1日50kmがやっとだったのに比べ、1日平均80kmぐらいは走っているし、凄いときは100kmを越す旅を約100日間実行したことは仰天する。

写真で拝見する中里さんは大柄で外国人に引けを取らない感じなので、それがこの旅を成功させたポイントでもあるだろう。堂々とした風格でスポーツ焼けしている姿には65歳を感じさせない精悍さを感じる。さらに、文中で何度も口にする「車社会からの転換(change the car!)」は地球温暖化を考える上で大事な観点だと思う。

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166.「約束」を読んで

石田衣良(いしだ いら)著の短編小説集「約束」(角川文庫)を読んだ。妻が時々思い出したように、BookOffで購入してくる本が無造作に置いてある。「ぼんとんビブリオバトル」が終わって一息ついたので、何気なく手に取った。今までの本とは違って短編集だ。私は短編集は物足りない気がして、これまであまり読んでこなかった。今回もそうかなと思いながら最初の短編「約束」を読み始めた。すると、その内容に惹きつけられて、すべての短編を読んでしまった。そう言う意味で、最初に配置する短編は重要だと思う。

と言うのは、短編だからいろいろ違う内容のものが出てくると思っていたのだが、一本テーマが共通して通っていると、あるテーマに向かっていろいろな内容で各方面からアクセスでき、最終的に大きなテーマが浮かび上がってくると言う短編集であった。それゆえ、短編集と言えども大変深く思うことができた。

内容を書くと、①「約束」は、池田小殺傷事件を題材にPTSD問題を扱い、物事を瞬間でなく過去からの連続として見直すことで「生きる力」を復活させている。②「青いエグジット」は、障害を負った青年とその親の葛藤を、ダイビングというスポーツを通して出口の道を示唆している。③「天国のベル」は、親のケンカや離婚問題から来る子どもの心因性難聴をテーマにしながらも、亡くなった父親からの電話が聞こえると言う形の解決で締め括られているのでホッとした。④「冬のライダー」は、モトクロスをする青年が、恋人をモトクロス事故でなくし失意にくれる女性から技術を教わることで、出口を見つけていく⑤「夕日へ続く道」は、登校拒否をした中学生が、廃品回収業の老人の手伝いをする中で成長していく話。最後の老人のリハビリでの頑張りが中学生に希望を与える。⑥「ひとり桜」は、桜を撮影するプロのカメラマンが、一人の女性と恋に落ちる話。その彼女の亡くなった夫が、カメラマンの撮影した写真のファンで、その夫に導かれるように山間の一本桜を見に行くところから話は始まる。⑦「ハートストーン」は、小児癌に倒れた小学生を見つめる両親と、その母親の実家の父親が急病になり、小学生と楽しんだ昔に拾った小石を握りしめ、身代わりになることを望み亡くなる。その後、小学生の手術は成功し、ハート型の小石がその願いを果たした結果となる。

以上に書いたように、現代が抱える諸問題をテーマに、いろいろな事例から紹介している。この本の良いところは全てハッピーエンドで終わっていることだ。辛い現実を考えると、せめて本の世界だけは幸せでいたい。

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165.「漂巽紀略-大津本」を読んで

ジョン万次郎・河田小龍著の「漂巽紀略-大津本」(高知県立坂本龍馬記念館発行)を見て読んだ。「見て読んだ」というのは、ジョン万次郎の体験談を土佐藩絵師兼蘭学者の河田小龍がまとめたものなので、文章以外に随所に挿絵が入っているからだ。ジョン万次郎自身が描いた挿し絵も入っている。

昨年夏のの高知への旅(2013年7月7~12日)の最後に、桂浜にある龍馬記念館を見学した際、製本されたばかりの「大津本」を何気なく購入したものだ。この「大津本」は、高知市大津の松岡家に長く秘蔵されていたものを、平成24年7月に記念館に寄贈されたもので、初めて製本化され今後の研究の資料とすると言う意外と大事な物であった。

翻刻文の文章は少々読みづらいが、何とか漢字とひらがなとカタカナを頼りに意味を取ることができる。亀尾美香学芸員の書き写しに感謝したい。しかし、島の名前や都市の名前などジョン万次郎が聞いたままの音をカタカナ表示しているので、現代の地名と一致させることは難しかった。「オアホー島」や「メリケ国」はたぶん「オアフ島」や「アメリカ」を指しているのだろう。

この「漂巽紀略」の「巽(たつみ)」は東南の方角を指している。また、中身は4巻から構成されている。1巻目は世界地図と漂流した経緯や、万次郎だけホイットフィールド船長の希望でアメリカ本土に行ったことが書かれている。2巻目はハワイで降ろしてもらった伝蔵等4人(一緒に遭難した土佐の漁師)の様子が書かれている。3巻目は万次郎のアメリカでの生活の様子や、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで砂金を掘り、帰国の船代を稼ぐ様子も書かれている。蒸気汽船や蒸気汽車の様子も記載されていて興味深い。4巻目は伝蔵と五右ェ門と万次郎の三人が帰国するまでの様子が書かれている。一緒に遭難した寅右ェ門はオアフに残り、重助は遭難中無人島で痛めた傷が元で死亡している。

この本を読んで感じたことの一つに、江戸時代多くの船乗り達が遭難し、外国船に助けられており、他国でお互いに顔を合わせているのが分かった。海の上では鎖国状態ではなかったようだ。

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164.「百済観音と物部氏の秘密」を読んで

関 裕二著の「百済観音と物部氏の秘密」(角川学芸出版)を読んだ。関 裕二さんの著書では、114番の「継体天皇の謎」に次いで2冊目である。私が高校時代住んでいた柏市の出身と言うこともあって、親近感を持って読むことができた。「日本書紀」や「古事記」など藤原不比等などによって捏造歪曲化された古代史を、大胆な仮説を元に検証しながら論述していく作風は、いつ読んでも心惹かれるものがある。

今回は法隆寺のお堂に大切に安置されている「百済観音」にスポットを当てて、その出自とそれが祭られる背景を探っている。八頭身という欧州の人々に愛されている「百済観音」は、本当に百済(朝鮮の古代国家)から由来した観音なのかどうか探求している。結論から言うと、日本の木材で製作されているのだが、何故「百済」の名前が付いたのか持論を展開している。実に面白い。それによると、吉備出身の古代部族「物部」が、出雲出身の古代部族「蘇我」とともに、日向出身の古代部族「天皇家」を大和で擁立し、仏教伝来や外交問題などで、朝鮮半島の各国(高句麗、新羅、百済、任那)といざこざを起こしている。その向こうには大国(隋や唐)が見え隠れする。「百済」外交で瀬戸内海コースの「物部」と、「新羅」外交で日本海コースの「蘇我」との権力闘争。百済王子を養子に迎えた物部派の「中臣」による「蘇我」征伐は、朝鮮半島が「新羅」によって統一されたことへの反逆か?その息子「藤原不比等」により歴史書は「百済」寄りで記述されることになる。その後、藤原政権は千年にわたり新羅との外交が遮断されている。

背の高かった物部守屋(?)を祀った観音ではないか?その物部守屋を討った祟りを恐れて蘇我馬子や聖徳太子等が作った法隆寺。そして、それを討った藤原一族が祟りを恐れて法隆寺の夢殿に聖徳太子を祀るという二重三重にも及ぶ祟り封鎖の寺院だったようだ。「百済観音」は別の場所から流れ流れて法隆寺に行き着き、金堂の片隅に北を向いてポツリと佇んでいたと言う。

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163.「榛名山麓 はくぶつ日記」を読んで

栗原直樹著の「榛名山麓 はくぶつ日記」(榛名まほろば出版)を読んだ。私と25年ほど前に同じ職場にいた若手の彼が、当時のマドンナ(文中、「連れ合い」と表現しているが、随時に出てくる行動や言葉に、思わず懐かしさを感じるのは私だけだろうか?)と結婚して、榛名山の方で「田舎暮らし」を始めた。まだまだ私が「田舎暮らし」に関心がない頃から既にその境地に達していたのだ。地質や天文が専門だったから、自然の中の暮らしがあっているのかもしれない。日々の自然界の様子を、ホームページに書きためて置いた文章を、ついに1冊の本としてまとめた物だ。

1年間の12月を区切って章立てしている。思いつくまま書いているような感じだったが、最後の方に来ると「ジワァ~」と榛名山の魅力が、そして彼・彼女の魅力が立ち上ってくる。知人と言うこともあるのか、いつにもなく面白く読ませてもらったし、榛名山と同様「赤谷の森」にも更に近しさを覚えてきた。この本を持って「赤谷の森」を探索してみようと考えている。

興味をそそられたサブタイトルを紹介すると、4月「スプリング・エフェメラル」「バッコヤナギ開花」、5月「謎のピヨチチ」「金環食」「イタドリ」、6月「巨大アリ出現!」「オニノヤガラ」「ミヤマクワガタ」、7月「孫太郎虫」「ゼフィルスの森」、8月「マタタビ」「目玉の幼虫ミスジビロードスズメ」、9月「タマゴタケ」「新種!?コムラサキシメジモドキ」、10月「ジャコビニ流星群」「チヂミザサ」、11月「雪虫」「カマドウマ騒動」、12月「オリオン座の謎の光跡」「小さなけもの道」、1月「夕闇の音」「フクロウがやってきた!!」、2月「カノープスを見た!」「榛名山麓のスノーフレーク」、3月「雑木林のドラマー アカゲラ」、そして「あとがきにかえて」以上です。毎月2~3個ずつしか紹介しませんでしたが、全部で約100項目ぐらい書いてあり、一つ一つが未知の内容なので、面白い項目ばかりです。後半にはいると、文章力も増し、読み応えが出てきます。文中で冗談で言った短編小説もかけるかもしれませんね。

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162.「インフェルノ」を読んで

ダン・ブラウン著(越前 敏弥訳)の「インフェルノ上・下」(角川書店)を読んだ。「ダ・ヴィンチ・コ-ド」と「天使と悪魔」に引き続き、大学教授のラングドンを主人公に、謎解きのイタリアの旅をさせるのだが、今回はフィレンツェとヴェネツィアを舞台に、美女シエナとともに大活躍をする。そして、話しは深刻な事態へと繋がっていく。まさかという逆転的展開もあるが、最後はトルコのイスタンブール(コンスタンティノープルとして、ローマ帝国 (330-395)、ビザンティン (395-1204, 1261-1453)、ラテン帝国 (1204-1261)、オスマン帝国 (1453-1922) と4つの帝国の首都であった)で結末を迎える。どの街をとっても歴史のある街で、ダンテの神曲を背景に不気味に進行していく。しかし、書かれている内容は「人口暴発」についてであるので、現実味がある。

5年前にイタリア旅行をしたので、どの本を読んでも風景が脳裏に浮き出てくるのが懐かしい。旅行に行くならば、イタリアだと思う。知人が今年の5月にフィレンツェに3日間自由行動の計画をしているのが羨ましい。今見ているTV映画の「ダヴィンチ・デビル」もフィレンツェが舞台で、メディチ家とともにローマ教皇国軍と戦う話しで、フィレンツェは話題が絶えない。しかし、もう一度行くとは言えないので、もし今度行くならば、このインフェルノの最後の舞台であるイスタンブール(東西文明の交流地で、上の写真のアヤソフィア博物館がある)にせめていきたいなあと思っている。

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161.「雷桜(らいおう)」を読んで

宇江佐 真理(うえざ まり)著の「雷桜」(角川文庫)を読んだ。前回の「オリンピックの身代金」と、前々回の「日本の女帝の物語」によって、国家と言うものとその国家を支配し保全しようとする権力者の分析に、私の軟弱な脳味噌が掻き乱され、また「秘密保護法」反対の国会デモに参加した私の軟弱な身体は何故だか力強く緊張していた。そのとき、手に取ったのがこの「歴史小説」である。

「さんげさんげ、六こんざいしょう、おしめにはつだい、こんごうどうじ、大山大聖不動明王、石尊大権現、大天狗小天狗………」と言う大山石尊参りの意味のよく分からない祈りの声で始まるこの本「雷桜」に惹かれ始めていた。江戸の庶民が加護を求めて大山参詣(神奈川県伊勢原市)や冨士講やお伊勢参りにくり出した時代の小説である。

庄屋の次男の助次郎が、江戸で武士に取り立てられていく様と、小さい頃拐かされて瀬田山のオオカミ少女として育った妹の遊(ゆう)が、助次郎が仕える徳川御三家の清水家当主「斉道」と出会い恋に落ちていく恋愛小説もどきの内容に心洗われた。斉道が紀州藩の当主になるため別れていくときの遊の潔さ。さらにその際生まれた助三郎が、江戸ではなく瀬田村で百姓をすることを選ぶ行は、なぜだか清々しい気持ちにしてくれた。今回の読書は、今までとは違って私の心の琴線に触れるものになった。たぶん、他の人が読んだらそう言う感想は持たないかもしれない。

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160.「オリンピックの身代金」を読んで

奥田英朗(ひでお)著の「オリンピックの身代金」(角川書店発行)を読んだ。結構分厚くて2段組の本だが、TV番組で「オリンピックの身代金」が放映されたこともあり、興味深く読んだ。そのTVを見るとそれに左右されるので、今回は我慢して読書をしたのちに、TVを見るつもりだ。

現実に起こったかどうか分からないが、オリンピックを前面に押立って恐喝事件を計画するストーリーと、当時有名だった「草加次郎」の名前を利用する点は、作者の創作にしても奇抜であると思った。そして、その文中、その動機づくりも手が込んでいるので納得してしまった。主人公の島崎国男の人間像もとても興味深い。秋田の熊沢村出身もあり得るし、犠牲となる兄への思いから飯場労働者として肉体を酷使していく東大生と言うシチュエーション。エリートと労働階級の狭間で揺れ動く彼の思考が、オリンピック現場の過酷労働を通して、社会の美化粉飾(汚い物に蓋をする)という瘡蓋(かさぶた)を剥ぎ取られながら純化していく過程が描かれている。また、公安警察と対立する刑事警察の描き方もあり得る描写である。

読みながら、2020年の東京オリンピックへ向けて行われていくであろう施策に、この1964年の東京オリンピックに向けた騒動が、現在のブラジルの様子と相まって、どうなっていくのだろうかと不安にもなった。例えば、核のゴミ処理先が見えない原子力発電所問題も、このオリンピック熱を利用されて、忘れさせられていくようなものになるかもしれない。

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159.「日本の女帝の物語」を読んで

橋本 治(おさむ)著の「日本の女帝の物語」(集英社新書)を読んだ。日本の古代史に興味があり、関連する本を良く読んでいたが、その多くは「古事記にしろ日本書紀にしろ今ひとつ闇の向こう」といった感じがあり、突如「大化の改新」から歴史が始まっていると言う風に読んでいたのです。そこには、日本あちこちの人々の様子は分からず終いで、それゆえ各地の「風土記」に関心が及ぶのだが、記載されている文字が読めず終いと言った歯がゆい思いをしていた。旅行で日本各地の資料館を数多く訪ねて、少しだけ大和以外の歴史があることが見えていた。

その後、歴史探索の旅は、塩野七生著作の「地中海の歴史」を通してヨーロッパの骨肉の争いを知り、歴史小説「三国志」をスタートに、中国史のあらゆる著作(日本人による作品が主)から、国の争奪戦や皇帝に着くための条件などを知り、その世界史の旅のあとに、再び日本史への考え直しをこの本でしてみました。そこには、不思議な感じで登場してくる女帝たち「33推古天皇、35皇極天皇(2回目には37斉明天皇)、41持統天皇、43元明天皇、44元正天皇、46孝謙天皇(482回登板)」の6名がどうやらキーワードのようです。因みに、38天智天皇、40天武天皇、42文武天皇、45聖武天皇が間に入ります。また、聖徳太子は推古天皇の甥です。孝謙天皇の母親の光明皇后も有名ですね。この不思議な時代(この本では正確に分析してありました)のあとに、日本独自の支配システムが完成するようです。

陸続きの中国や欧州の古代史は、民族が軍事力で他民族を征服し、殺害・奴隷化して領土が拡大していく道を辿っていきます。皇帝あり、国王あり、宗教ありと変遷していくわけですが、その都度、征服した王朝が、前の王朝の滅亡していく歴史をいろいろな形で残しているので、そこに住み生活している人々の暮らしぶりも見えてきていたのです。

しかし、島国の日本の歴史は、元寇以外に侵略されそうになった経験がないため、「大化の改新」前から、天皇家を中心とした歴史が連綿と続き、名目上天皇を頭として担ぐが、実際の権力はその直下のブレーン(藤原摂関家、平清盛、源頼朝、鎌倉幕府、室町幕府、豊臣太閤、徳川幕府、薩長軍閥、日本軍閥、高級官僚等々)が担う体制が続くので、その前のクニの歴史を残す必要もないだけでなく、連綿と続く王朝を美化する歴史に書き換えられてしまったことにより、古代日本に対して、私はボンヤリ感を感じざるを得なくなったのでしょう。時代の転換期が起こるたびに、その直下のブレーン層が書き換わりシステムを変え、日本の国を維持してきたのでしょう。それでは、そこに暮らす人々の暮らしはどうなったかというと、「不満も言わず騙され続け」た結果、いつも虐げられる存在だったことでしょう。それは貧富の差が拡大している現在も言えることですね。

もしも、この日本独自のシステムがなかったらと想像してしまいました。はじめに瑪瑙の採れた越国王朝→出雲大社でお馴染みの出雲王朝→奈良を中心とした大和王朝→仏教を取り入れた蘇我王朝→ひらがなが登場する藤原王朝→広島厳島神社の平氏王朝→鎌倉市の源氏王朝→元寇と対峙した北条王朝→栃木県から出た足利王朝→ワンマン社長でやり手の織田王朝→百姓から這い上がった豊臣王朝→大奥を作り次世代への継承を大事にした徳川王朝→海外と対抗する国を作る目的の薩長王朝→海外資源獲得に侵略を始めた軍部王朝→敗戦により連合軍占領による支配→米ソ冷戦のあおりで2つに分かれた南北日本→ようやく南北の壁が壊れて統一した民主日本という歴史を辿っているかもしれませんね。

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158.「秘密」を読んで

東野圭吾著の「秘密」(文春文庫)を読んだ。東野圭吾の本は134番の「麒麟の翼」以来なので、楽しみながら読むことが出来た。スキーバスにたまたま乗り合わせた母娘が、バス事故に遭い、小学校5年生の娘の身体をかばって亡くなった母親・直子の魂が、娘の身体に入り、夫・平介と再開するという奇想天外な話しから始まった。

そして、高校生になった頃、娘・藻奈美が目を覚まし、一つの身体に直子と藻奈美が入れ替わって登場してくる。二重人格とは違い、その関係はノートを通して理解し合っている。夫・平介の父子2人家族なのに、3人家族のような平和な日々が続いていく。

特に面白く惹きつけられたのは、娘のボーイフレンドに焼き餅を焼く父親の姿だが、実際は妻・直子が若い青年に惹かれていくのではないかという嫉妬が入り交じり笑ってしまった。最後は、妻・直子は心を閉ざし、娘・藻奈美が結婚していくところで終わっている。ちょっと読んで面白かったとほくそ笑んでいる。

広末涼子で映画が撮られているようなので、見てみることにしよう。

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157.「TENGU(てんぐ)」を読んで

柴田哲孝著の「TENGU」(祥伝社発行)を、「銀座ブルース」に続けて読んだ。私が田舎暮らしに選んだみなかみ町の直ぐそばの沼田市周辺を舞台に物語が展開していく。先日行った玉原高原や天狗のお面を見に行った迦葉山(かしょうざん)の弥勒寺、沼田市街の飲み屋街などがじゃんじゃん登場してくる。この本の読み始めには、我が山荘の裏山から正体不明の怪物(天狗とも呼ばれている)が襲ってくる恐怖を意味もなく感じてしまった。読み進めていくと、全然違うので安心できるのだが、その途中のスリル感は格別であった。

最後は、アメリカ大陸の真ん中に真相を尋ねていくのだが、その途中のハイウェイにピックアップトラックが走っている場面が出てきたので、思わず爆笑してしまった。この本は何だか身近な感じの場所や物が登場してきて、とても面白かった。当然、最後の真相も柴田哲孝らしい回答で納得してしまった。

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156.「銀座ブルース」を読んで

柴田哲孝著の「銀座ブルース」(双葉社発行)を読んだ。154番の「漂流者たち」を読んで、久しぶりに「柴田哲孝」の歴史ミステリーに火が付いた。昔熱中した「逢坂 剛」や「真保裕一」のときと同じモードに入った感じである。特に、職場のビルの1階にブックオフがあるので、ついつい立ち寄って探してしまう。

戦後の昭和21年から昭和24年頃までの銀座周辺の風俗や風景が目に浮かぶ感じがする。そして、次々に起こった事件「小平事件」「日銀ダイヤ事件」「帝銀事件」「昭電疑獄事件」「下山事件」の原因を、警視庁刑事の武田幸史郎(主人公)の目を通して分析していくという、歴史を独自解釈で解明していく「歴史ミステリー」の形態を取っている。しかしながら、その構成力には感心してしまう。第2の松本清張のような感じで、本を読んでいる。しばらく、柴田哲孝の感想文が続くかもしれない。

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155.「ばさらの群れ」を読んで

童門冬二(どうもん ふゆじ)著の「ばさらの群れ」(日本経済新聞社発行)を読んだ。テレビの「歴史発見」で、童門さんが「室町時代については詳しくは調べていない」と言っていたのを、妻と聞いていたので、この足利幕府の成立期の「ばさら大名」の本がどの程度かと思いながら読んだ。
これを読む中で、ばさら大名の京都打ち壊しの無茶苦茶が、「公家の時代から武士の時代へ」確実に変化していった要因となったことが分かる。また、足利尊氏と弟・直義との関係や、「ばさら」と言うより武士の力を示そうとする高 師直(こうの もろなお)と弟・師泰の悪行、南朝北朝の関係や、北畠親房の深謀術策(しんぼうじゅっさく)が良く理解できたし、真のばさら大名である佐々木道誉の振る舞いや、兼好法師の登場など、この時代が明治維新と並ぶ転換期であったことが分かった。
因みに、この前行った高知の旅の四万十市は、この時代に京から土佐へ逃れてきた公家の一条氏が、土佐中村の地に京を模して文化を伝えたものである。武士に追われた公家達は日本各地に散在し、京文化を広げることになる。

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154.「漂流者たち」を読んで

柴田哲孝(しばた てつたか)著の「漂流者たち」(祥伝社発行)を読んだ。柴田哲孝の本は、これで3冊目となる。1冊目は通し番号55番の「下山事件 最後の証言」で、松本清張の「日本の黒い霧」に匹敵すると私が思うのだが、謎の解決に光をあてた気がした。2冊目は通し番号96番の「GEQ」で、巨大地震を起こした陰謀を書いたフィクションだが、2011年3月11日以前に書かれている本だったので、その真実みを感じさせられた。
と言うことで、柴田哲孝のファンになってしまったようだ。久しぶりの購入だが、裏書きを見ると、私立探偵・神山健介を主人公にしたシリーズ物を出しているようだ。今回私が購入しいた「漂流者たち」は、東北大震災と原発事故の現場をつぶさに踏査した臨場感を持って書かれているので、新聞やテレビで見てきたマスコミ操作の裏側などが見えてきた。彼の作品は、その裏側の暴露(フィクション性はあるが)に味がある。神山探偵が坂井逃亡者を追い続けながら、東北各地を転々とする話しには確かに臨場感がある。被災した人々の避難所での生活の一端が見えてきた。

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153.「辺境・近境」を読んで

村上春樹著の「辺境・近境」(新潮社発行)を読んだ。毎年SAALA主催で行う「平和の旅」の企画を自分なりに勝手に考えてみた。その時偶然手にしたのが、村上春樹の若いときの旅行記だ。「イースト・ハンプトン」から始まり、「瀬戸内海の無人島」、「メキシコ大旅行」、「徳島のうどん紀行」、「ノモンハンの鉄の墓場」、「アメリカ大陸横断」、「神戸」といろいろな場所をめぐる旅の紀行文の本だが、大いに印象に残ったのが、「メキシコ大旅行」と「ノモンハンの鉄の墓場」である。
特に、「ノモンハンの鉄の墓場」は、モンゴルと中国(内モンゴル自治区)の国境で、旧日本軍と旧ソビエト・モンゴル軍との戦いで、ほとんど忘れ去られている「ハルハ河沿いのノモンハン戦争跡」をめぐったものだ。あまりにも広大な原野にうち捨てられた鉄製の戦車などが、そのまま現在でも置かれているという。

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152.「教場」を読んで

長岡弘樹著の「教場」(小学館発行)を読み終わった。サハリン旅行の途中で読む本として購入しようとしたが、売り切れで買えないまま、サハリン旅行へ出かけた。その旅も終わり、北海道の千歳空港で空弁を購入しようと彷徨いていると、本屋さんの棚に置いてあるのを発見し、さっそく購入。仕事の行き帰りの電車の中で楽しく読書をすることが出来た。

警察官として一人前になる前の警察学校で、その動機や能力や体力が試され、落ちこぼれていく生徒や立ち直って向上していく生徒など、普通の学校のようなドラマが詳細に書かれており、風間教官の鋭い眼が、生徒達の能力を見極めていく。無事卒業していく中で、人間としても成長していくことが求められている。

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151.「文明崩壊(下巻)」を読んで

ジャレド・ダイアモンド著(楡井浩一訳)の「文明崩壊-滅亡と存続の命運を分けるもの-下巻」(草思社文庫発行)を読み終わった。仕事の行き帰りの電車の中での読書だが、思ったほどは進まなかった。人の目が気になることもあり読めないものである。

自然環境の破壊(特に森林破壊)が長い年月の間に、豪雨により土壌を破壊し、栄養分のある地力を低下させ、農作物の不作につながり、そこに住む人々を減少もしくは滅亡(逃げる場所のない時など)させていくという「崩壊のサイクル」が明らかになった。ところで日本は、戦国時代に野山は荒廃され続け、豊臣秀吉ならびに徳川家康によって天下が統一され、平和な世の中になったが、復興や権威の象徴のために木材が大量に使われ、また大都会が出来るに従って、建築材や煮炊きの木材が大量消費され、1657年の明暦の大火で、森林の木材は危機的状況まで至った(当然、北海道の森林も多くは切り倒されていった)のであるが、そのことに危機感を持った徳川幕府は「上からの森林保護」のため各地に「森奉行」を置き、厳しく管理することにしたのである。それゆえ、森は守られ、降雨量の多い土地のうえ、富士山や浅間山などの噴火による降灰や中国から渡ってくる黄砂などにより、栄養分のある地力が回復し、森林が復活していくのである。まさかの森奉行であり、まさかの噴火であり、さらにまさかの黄砂である。

その他に、「ルワンダ」や「ドミニカとハイチ」や「中国」や「オーストラリア」など、そして最後にアンコールにあったと言う「クメール帝国」の謎(衛星写真により広大な区画された都市跡が浮かび上がり、8世紀から12世紀にかけて存在した東南アジア最大の帝国)にもふれている。全世界的に自然環境の観点から文明崩壊を論じているので、一読して得をした感じがある。

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