中国人 | 日本人 | 概要 |
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司馬遷 | | 前漢の武帝の頃、「史記」 |
許慎 | | 後漢、説文解字 |
王懿栄 劉鶚 范維卿 | | 清朝末期、漢方薬(龍骨)を買い求める 「鉄雲蔵亀(1903年出版)」 商人 |
范維卿 端方 王襄 孟定生 | | 清朝末期、骨董品として売買 |
孫詒譲 | | 清末の大学者、「契文挙例(1904年出版)」 「墨子間詁」「周礼正義」 「古籀拾遺(金文の注釈書)」 |
| 林泰輔 | 「清国河南省湯陰県発見の亀甲牛骨に就て (1909年論文発表)」 「亀甲獣骨文字(図録出版)」 |
羅振玉 羅振常 | | 1911年湯陰県の小屯村に殷墟を発見 振玉の弟 |
羅振玉 王国維 董作賓 郭沫若 | | 甲骨四堂 |
| 濱田耕作 | 日本考古学の父、「歴史学と考古学は両輪」 を主張 |
羅振玉 | 林泰輔 | 羅振玉の「殷商貞卜文字攷」は林泰輔の上記 の論文に刺激を受けたと自序に記載 |
王国維 | 内藤湖南 | 王国維の「殷卜辞中所見先公先王考」 (史記の殷王やその先公の系譜の確認) と内藤湖南の「王亥」は互いに刺激し合う |
王国維 | | 1925年、中国古代史の研究手法として 「二重証拠法」を提起 |
董作賓 李済 梁思永 郭宝鈞 石璋如 夏鼐 胡厚宣 | | 1928年、国立アカデミー中央研究院歴史 語言研究所考古組により殷墟の発掘開始 (以降15次にわたる) |
| 白鳥庫吉 | 東京帝国大学の学者、「尭舜禹抹殺論」を 展開し、批判的だった |
| 小川茂樹 | のちの貝塚茂樹、湯川秀樹の弟 1943年東京帝大で行なった講演で殷代の歴史 を肯定(以降流れが変わる) |
徐旭生 | | 1959年二里頭遺跡を夏王朝の都と比定 |
| 宮崎市定 | 1977年出版の「中国史」で懐疑論を展開 |
| 白川静 | 「甲骨文の世界」 |
| 落合淳思 | 殷王の系譜は政治的要請により改変されて いることを指摘 |
| 宮城谷昌光 | 「重耳」「晏子」 |
| 藤崎竜 原泰久 | 殷と周の戦い、コミック「封神演義」 戦国末期の秦、コミック「キングダム」 |