読書欄

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150.「文明崩壊(上巻)」を読んで

左の文庫本の表紙に惹かれてジャレド・ダイアモンド著(楡井浩一訳)の「文明崩壊-滅亡と存続の命運を分けるもの-上巻」(草思社文庫発行)を買って、会社勤めの車中の読み物として楽しませてもらった。

モンタナの例は良く分からなかったが、2番目のイースター島の謎については興味があったので、ダイアモンド教授の分析に納得してからは、すっかり面白くなっていった。ピトケアン島やヘンダーソン島の例やアナサジ族の分析を通して、マヤの崩壊やグリーンランドでのバイキングの失敗などが理解できた。自然環境を考え、それへの柔軟な対応と時々の真摯な分析等があるかないか等が、その存在を生かしも殺しもすると思った。同時に湖底の堆積物の分析が全てを解き明かす鍵になるとは予想以上だった。

下巻も購入し、読み始めているが、こちらには日本の分析がされていて、更に興味が沸いている。

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149.「中原の虹(第4巻)」を読んで

ついに浅田次郎さんの「中原の虹(第4巻)」(講談社発行)を読み終えた。清朝の成立から滅亡への一大叙事詩を読んでいるような4冊であった。読んで良かったと思う。第二次大戦のときに日本軍が満洲に進出していく背景に、張作霖や袁世凱や孫文がどのように振る舞ったかがよく分かって勉強になった。

袁世凱が一時期であるが「中華帝国」の皇帝になったことも分かったが、すぐに天空に召されていく。そして、ダイシャン達が山海関を越えて中原へ進出し清国を築いたように、張学良ら100万の軍隊が山海関を越えて行く。そこで、第4巻は閉じられている。

最後に、印象的に記憶されたのは、宋教仁(ソン・ジァオレン)である。Wikipediaでも確認したが、当時の国民党(孫文が党首)の実際の党首であり、392名の議員を当選させ、袁世凱与党を圧勝。次の共和政体の首相として期待されながら、上海駅頭で暗殺されたことが悲劇であった。その後、袁世凱が皇帝の道を歩むことになるのだが………。

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148.「県庁おもてなし課」を読んで

有川 浩(ありかわ ひろ)さんの「県庁おもてなし課」(角川文庫発行)を読んだ。私の田舎の高知県が舞台だったことと、堀北真希主演の映画が明日(5/11)公開と言うこともあって、通勤の電車の中の読書として読み始めた。有川浩は以前読んだ「三匹のおっさん」の作者でもあったのと、作品中の作家の吉門喬介と重ねていたので、最後まで「ありかわ ひろし」と読む男性だと思っていたことだ。何と女性で「ありかわ ひろ」さん言うことに気づいたのは、鼎談の中で、有川さんが「だから私、特使としての………」と話している文章を見て「ずいぶん女性っぽい話し方をする人だなあ?」と違和感を感じて調べ直すと、何と女性であった。完全に脱帽である。思いこみはいけませんね。

それとは別に、文中に出てくる「土佐弁」には、親戚の声で発声が聞こえてくるのには微妙に嬉しかった。特に、喬介の義妹の佐和(さわ)の立ち振る舞いには、思わず「ニヤリ」としてしまいました。本の内容も、公務員の反省材料がてんこ盛りなのも勉強になった。

映画も是非見てみたいものである。

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147.「中原の虹(第3巻)」を読んで

少し時間がかかったが、浅田次郎さんの「中原の虹(第3巻)」(講談社発行)を読み終えた。四男ヘカンが盛京奉天府にて「清」を立国したところから始まる。しかし、この「清」はまだ満洲と蒙古を統一した国である。年配になった次男ダイシャンは、長城を越すことをヘカン・ハーン(ホンタイジ)に勧める。がしかし、………

場面は文中の現在に戻る。この文中とは、清が滅ぶ最後の混迷の時代である。ここ奉天で東三省総督の趙爾巽(チャオ・ルシュン)や日本人の陸軍中尉・吉永将や張作霖(チャン・ヅオリン)や王永江(ワン・ヨンジャン)ら多数が登場してくる。

時代は、袁世凱(ユアン・シイカイ)によって、清朝の幕が下ろされ、孫文率いる中華民国勢力が各地で拡大していく。しかし、満蒙の地はまだ中立派の趙爾巽総督によって、清国政府の一翼を担っていたが、遂に、張作霖により、東北部の独立が宣言され、それへの対応として苦悩するが、総督が敬するホンタイジの声により「己の退路の覚悟」を立派に果たすことが出来た。「自分の退路が、新たな道へつながるために必要である」という覚悟である。

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146.「生活保護200万人時代の処方箋-埼玉県の挑戦」を読んで

埼玉県アスポート編集委員会の編集した「生活保護200万人時代の処方箋-埼玉県の挑戦」(ぎょうせい発行)を読んだ。私事ですが、この春から、この埼玉県アスポートの三本柱(教育・就労・住宅)の1つである教育分野の教育支援員事業の一員として働くことになりました。

リーマンショック以来、生活保護受給者は増え続け、ケースワーカーによって支えていくには、余りにも膨大な数になっているのが現実です。倒産・失業・病気などであっと言う間に生活保護を受けざるを得ない世の中に変わってしまいました。埼玉県では、3年前から予算化して、生活保護受給者をケースワーカーとともに支え支援していくアスポート事業というのが始まりました。詳しくはこの本に書いてありますが、私はこの教育の分野のアスポートになろうとしているのです。貧困家庭で学業がままならない子ども達をサポートし、高校進学や高校中退防止など実現していく中で、将来は就職し、貧困家庭の負の連鎖を断っていくという取り組みです。学習センターとして介護老人ホームを会場にお借りして、県内約22カ所と増えてきています。

今後全国に広がっていく取り組みだと思いますが、今日たまたま録画で見たNHKBS歴史館「天明の飢饉(ききん)災害復興が日本を変えた!」に出てきた白河藩主・松平定信(天明の飢饉で一人の飢餓死を出さなかったことで有名。その後各藩から押されて老中になる)や、岡山県真庭市久世の代官・早川八郎左衛門正紀(久世で善政を行った後、住民に惜しまれながら武州久喜に転勤。そこでも遷善館を起工)のおこなった施策と似ているので、このアスポートの取り組みと同時に歴史に学ぶことも重要であると思った。

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145.「下町ロケット」を読んで

池井戸 潤さんの「下町ロケット」(小学館発行)を読んだ。ロケットエンジンの開発者が打ち上げ失敗の責任を取って辞職し、家業の町工場を継いだところから話しが始まった。家業の小型エンジン製作と並行して、水素エンジンバルブの研究開発に莫大な資金を使い、社員を二分するような赤字経営に陥りそうな佃製作所の佃社長は、大手からの買収計画に脅かされながら、四苦八苦すると言う新聞でよく見る町工場の現状が前半は良く描写されている。

職人を大切にしながら、ロケットのバルブ製作に情熱を燃やす町工場は、いつしか「佃品質、佃プライド」を育み、社員一丸となって、大手ロケット製作会社の上から目線に負けず、特許と製品の精度を楯に、製品納入まで邁進していく姿は、教訓になる物があった。つまり、本業以外に将来を見据えた研究を保ちつつ、金銭に走らずプライドを大切に品質向上を目指すという製造業の会社像は、人生論にも通じる物があると思う。

そう言う意味で、技術者と言うより一般の悩める人々へのテーゼ(thesis)となるだろう。

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144.「中原の虹(第2巻)」を読んで

前回に引き続き、浅田次郎さんの「中原の虹(第2巻)」(講談社発行)を読んだ。こちらは最初に、女真族(ジュルチン)のヌルハチ等が中原へ進出していくために、独走する勇将であった長男チュエンを退け、弟4名(二男ダイシャン、三男マングルタイ、従弟アミン、四男ヘカン)が力を合わせることにより長城を越えて行くことができた。四男ヘカンは知将であったので、皇太極(ホンタイジ)として第二代目となり、その息子が第三代順治帝となり、幼少のまま北京に入城していく。その傍には勇者ダイシャンが付き添っている。どうやら、相続は長男ではなく、時に相応しい者が受け継ぐことを基本にしているようである。ヌルハチは中華の民(9割が漢民族)を支配できる力量を、武力ではなく知力に求めたようである。長男チュエンは勇者であるが故に滅びざるを得なかった。

友人の徐世昌(字名:菊人ジュレン)から、清朝の誕生期の話を聞いた袁世凱(字名:慰庭ウェイティン)は、龍玉が第六代乾隆帝によって隠されたため、清朝が衰退の途をたどっていることを知る。また、第十代同治帝の母である西太后・慈禧(ツーシー)が、同治帝死後第十一代光緒帝をも幽閉してでも守りたかった中華の伝統とは。それ故世界中に悪女として知れ渡った西太后の本音を、李春雲(リィ・チュンユン、李春雷の弟、宦官で大総管太監となり西太后の側用人)や新聞記者のトムなどが見守っていく。その伝統とは、「夏・殷・周・秦に習い、悪政を働いた前王朝は、龍玉を戴いた大丈夫(壮士)によって政変する」ことをさしており、外国の資本主義諸国による植民地化ではなく、中華の国土から再び登場してくる勇者に期待していたようだ。

その人物が、この時点では、袁世凱であると期待していたようである。西太后の死の間際に指名された第十二代宣統帝・溥儀は、まだ3歳であった。正式名を愛新覚羅溥儀(アイシンギョロ・プーイー)と言うラストエンペラーである。第三巻は、龍玉を持った張学良がいよいよ登場し、李春雷と李春雲の対面、そして日本軍の進出が影を落としていくことになるだろうと予想している。

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143.「中原の虹(第1巻)」を読んで

浅田次郎さんの「中原の虹(第1巻)」(講談社発行)を読んだ。当初、中国歴史物で張作霖(チャン・ヅォリン)が主人公の満州事変に関するものぐらいの感じで読み始めたが、冒頭から、馬賊の長・白虎張(パイフーチャン、張作霖の別名)と李春雷(リィ・チュンレイ)の二人が長白山(満洲族の故郷)の麓に眠る龍玉(代々の中国皇帝が所持していた宝物)を奪取しに野山を駆けめぐる躍動感に圧倒された。そして何よりも読み応えがあったのは、17世紀初頭、満洲を統一し、清国の基礎を築いた女真族の勇者・愛新覚羅努爾哈赤(アイシンギヨロ・ヌルハチ)の戦いである。前々から中国東北部の変遷に興味があり、多くの本を読破し、さらに中国東北部の旅まで行った私には、広大な野山の風景と、額に飾られ信仰されている「長白山(チャンパイシャン)」の意味を思い返すものがあった。こうなると、次回の中国旅行の一つに長白山に登ってみたいものである。

袁世凱(ユアン・シイカイ)や徐世昌(シュ・シイチャン)や西太后(シータイホウ)なども登場し、清朝末期の様子も詳しく知ることが出来た。小説とは言え、歴史を学ぶこともできるのが読書の良い点だ。そして、第1巻の後半に、日本人将校・吉永将(ヨシナガ・マサル、中国読み:ジイヨン・ジャン)が登場してくるので、これから満州事変へとつながっていくのだろう。なお、この本は第4巻まであるので、早速、妻に頼んで第2巻をネット注文してもらった。

文中に出てきた満洲は「マンジュ・グルン」と読み、ヌルハチが信仰した文殊菩薩(マンジュシュリ)の国という意味であることがわかり、この漢字の持つ深い意味を理解できた。また、古来支配されていた貧しい中国の人々が諦めに言った「没法子(メイファーヅ、どうしようもない)」と言う言葉が悲しく響いてきた。

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142.「のぼうの城(上下)」を読んで

和田竜(わだ りょお)さんの「のぼうの城(上下)」(小学館文庫発行)を読んだ。この文庫本は、友人の白崎さんや本間さんと先日行田の忍城を訪問しているので、映画を見る前に是非読んでみようと思って、白崎さんから借りたものだ。

まだ映画は見ていないが、瞼を閉じると脳裏に大きな湖に浮かぶ白亜の城が浮かび上がってくる。これは私が本を読んでのイメージではあるが、どこかで映画のスチールを見ていて、それが重なっているのかもしれない。ともにもかくにも、この石田三成による水攻めで水の中に閉じこめられた忍城の場面がクライマックスである。その水面に一艘の舟が浮かび出て、その上で優雅に田楽を舞う主人公「成田長親(野村萬斎)」の様子が美しい。魅惑された百姓の「かぞう」が7里(28km)にわたって築かれた石田堤の一角を破壊するシーンは見事な映像となるであろう。映画を早くみたいものである。

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141.「翔べ麒麟(きりん)」を読んで

辻原登さんの「翔べ麒麟」(読売新聞社発行)を読んだ。8世紀半ばの唐の第6代皇帝・玄宗(げんそう)の時代は、はじめの30年間は天下太平で、政治が良く行われていたが、後半は楊貴妃(ようきひ)を溺愛し、国の采配を楊貴妃の従兄弟の楊国忠(よう・こくちゅう)に任せきりとなり、帝国は衰亡に向かい、安史の乱(755年)へと続く洛陽と長安が舞台である。

ここに716年遣唐使としてやってきた阿倍仲麻呂が、玄宗の片腕となって大唐帝国を支え、名前を「朝衡(ちょうこう)」と名乗り、楊国忠と対立する集団の中心人物として活躍している。中国の有名な詩人たち(李白、杜甫、王維など)とも交流し、その漢詩の中で「朝衡」の名が歌い混まれているのも凄い。また、阿倍仲麻呂の歌「あまのはら ふりさきみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」は、中国の地で大和を偲んでうたった歌である。752年の帰国の際には、船が難破し、阿倍仲麻呂等は安南国(今のベトナム)に漂着し、再度755年に長安に戻っている。そのとき、安史の乱と遭遇するが、玄宗を助けて長安から脱出し、長安を無血開城するという荒技をしている。その後、彼の薦めで皇太子が第7代皇帝粛宗(しゅくそう)となり、安史の乱を乗り切り、長安を取り戻している。その功績により、最後は安南王として安南の地で73歳で没している。

この朝衡が、大唐帝国秘書監・衛尉卿(えいいけい)であった752年に、吉備真備らの遣唐使が鑑真(がんじん)や阿倍仲麻呂を日本に連れ帰るべく派遣された。この中に、九州で反乱を起こした藤原広嗣の庶子と設定された藤原真幸(まさき)が遣唐使の武官として唐に派遣され、朝衡の元で大活躍すると言う実際にあった史実の上に、真幸の活躍を創作でかぶせる手法には参ってしまった。実に読み応えある大歴史小説となっている。

読後、真幸が760年の帰国後、藤原式家(広嗣の家系)が見事に復活していく事実から、この真幸は誰に当たるのだろうかと類推して愉しんでいる。また、正倉院宝物に、真幸の妻となった李春が持ってきた七絃琴と思われる麒麟の図柄の琴があるのも興味深い。

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140.「ヒュウガ・ウイルス(5分後の世界Ⅱ)」を読んで

村上龍の「ヒュウガ・ウイルス(5分後の世界Ⅱ)」(幻冬舎発行)を読んだ。最初の「ヒュウガ・ウイルス」は、1994年3月に刊行されたようだが、これはまだ読んでいない。ウィキペディアによると、この本は、第二次世界大戦から現代に至るまで米軍を中心とする連合軍と戦争を継続している平行世界の日本を描くことで、現代日本に対する強烈なメッセージを秘めた作品であり、村上龍のあとがきにあるように「最高のものになった」としている。

作品中の日本国土の分割統治については、日本の分割統治計画をベースとしていると思われるが、中国とイギリスの支配計画地域が逆(イギリスが四国地方、中国が中国地方、九州地方)に設定されている。1996年には続編である『ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界II』が発表された。私はこの本を読んだわけだ。また、この後、2001年にはゲーム版が発売され、『ヒュウガ・ウイルス』のその後の世界が舞台となっているそうだ。
ともかく、この世界は、地底深く潜った日本軍が人口を26万人に減らしながらも、国連軍と戦っているという前提に度肝を抜かれた。ちょうどアルジェリアのイナメナスで、テログループによる人質事件があり、その解決に政府軍が武力行使をしたため、たくさんの民間人が巻き添えを食って殺された事件が発生していたので、この本に出てくる日本軍の精鋭部隊であるUG軍とダブってしまった。CNNのジャーナリストのコウリー女史が同行して、保養施設の「ビック・バン」で発生したヒュウガ・ウイルスの蔓延でロシアンマンボを踊りながら血を吐いて死んでいくこの奇病の撲滅のために、最後の審判に立ち向かうUG軍の活躍と殺りゃくが続く。最後に免疫をもった少年の登場で、ヒュウガ・ウイルスの対処法が分かるという「免疫学」を学んでいるような生化学的な本であった。

勉強になった言葉がある。「ウイルスはタンパク質を作れるのだ、外部からわれわれのからだに入って害をなす生物・無生物の中で、タンパク質を作り出せるのはウイルスだけだ、しかもウイルスは人間の細胞の中で、人間の細胞の部品とエネルギーを借りて作る、そのタンパク質が脳や脊髄で作用すればどんなことが起こっても不思議ではない」「弱くて脆い部品が精密に作動するから生物は進化した、われわれのからだを構成する分子は脆くて壊れやすいつながり方でつながっている、だから化学反応が可能で、全体として信じられないような生体のシステムが生まれた、強い結合で結ばれれば鉱物になってしまう、鉱物は何億年経てもほとんど変化がない」

上のウイルスの考え方をまとめようと、読み返し始めたとき、新聞に「新しいウイルス入門」(武村政春著、BLUEBACKS)の宣伝があり、「単なる病原体でなく生物進化の立役者?」と副題が付いていたので、こういう考え方があることを確信した。

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139.「史記・武帝紀五」を読んで

北方謙三の「史記・武帝紀五」(角川春樹事務所発行)を読んだ。「史記(一)本紀」を読んだ後なので、この偶然買った「武帝紀五」(北方作品の史記を一から読もうと思ったが、本屋に置いてあったのが五だったので購入した)が、史記の著者である司馬遷がまさに生きている時代を扱っているので、なぜ司馬遷が秦の始皇帝に対して記述した内容が激しいのかが分かった。つまり、今使えている前漢の武帝のありようとダブって映し出されていると解釈できた。

父親と同じ太史令として、歴史を記述することを生業にしていたが、匈奴(きょうど)との戦いに出ていた武将の李陵(りりょう)の真の姿を奏上する中で、武帝の怒りをかい、腐刑をかせられ、武帝の身辺の記述者としての中書令として記録することを命じられながらも、一人でコツコツと「史記」を完成させていくことに、己の生きる力を注いでいることが分かった。それ故、激しくもあり、これだけの大書を完成させることが出来たことが理解できた。「苦しみに打ち勝つことが力を再生させる」と言うことなのだろうが、凄いの一言だ。

文中出てくる蘇武(そぶ)の極寒の中で生き抜くサバイバルの術は、北方の学習の成果であるのだろうが、感心してメモ書きをしてしまった。ここにいくつか書くと、①大鹿の肉は、塩をまぶして肉を干し、数日したらその塩を落として、煙に晒す。それだけで、腐らない肉ができる。②蔓草を叩いていると、芯が糸のようになって何本も出てくる。それを綯って、紐にする。③北の大地は冬の時々に、空に亀裂が入ったような急激な寒さがやってくる、そのときはひたすら食べ続け、ひたすら火を燃やし続けるしか生き延びる手はない。そのための準備は怠ることは出来ない。等々である。

また、李陵の匈奴での活躍の文面は、中華思想の対として北方民族(以前読んだ「疾駆する草原の征服者」の中の匈奴やキタイ帝国や女真族の金など)の中身を思い出させるほど良く書かれている。最後のページで、武帝が匈奴の精悍な騎馬隊が「陵」の旗印を掲げて戦っているのを聞いて、劉徹(武帝)は己の見通しの甘さを省みている。

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138.「ボーダーライン」を読んで

真保裕一の「ボーダーライン」(集英社発行)を読んだ。史記や確率論と同時に読んでいたが、拳銃が出てくるハードボイルドな内容に少々嫌気がして後回しになっていたが、他の本を読み終わったことと、元々真保裕一の本が好きで読書を始めたので、読みを再開した。ここで、真保裕一の読破した本を掲げると、「連鎖」「震源」「取引」「盗聴」「密告」に続く6冊目にあたる。

日本を逃げ出した主人公の探偵・永岡が、グリーンカードを手に入れてアメリカ人として仕事をしていく中で、拳銃社会の持つ問題点が次々と出てくる。ちょうど、この本を読んでいる最中もアメリカで小学生が多数射殺されるという事件が起こった。まさに、拳銃社会の危うさを現している。この本は、殺人鬼の日本人青年を、父親が殺しに来るという異常な事態から話しの核心に迫っていく。特に、何故拳銃を使って青年が殺人を行うのかについて、その心理分析を、父親と探偵の永岡が、夜中の広大な草原の中で焚き火にあたりながら話し合う場面が、メインのシーンであったような気がする。その後の銃撃戦はその延長線上にあり、ラストに繋がっていく。最初の冗長さはなくなり、活劇風の真保裕一の筆致がぐんぐんと突き進んでいく。

銃社会の問題を考えさせられた。

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137.「史記(一)本紀」を読んで

中国の司馬遷が前漢の時代に著した史記12巻のうちの第1巻を、学校の図書館で借りて読んだ。これは、新釈漢文大系38(明治書院発行)として、現代文に編集し直した吉田賢坑著の史記の第1巻である。分厚い本で、「漢文」「読み下し文」「通釈」「語釈」という構成になっていて、すべてを読み尽くすことはできませんので、「通釈」を中心に読み、発音は「読み下し文」をもとに、複雑な漢字(日本では使われていない漢字も多数あり )は「語釈」で理解して、さらに字を覚えるために手書きするという風に読み進めて行きました。

内容は、「三皇本紀(ほんぎ)」「五帝本紀第一」「夏本紀第二」「殷本紀第三」「周本紀第四」「秦本紀第五」「秦始皇本紀第六」の7つからなっている。筆者は、この本紀の一部が欠けたり、後世の人が付け加えたりしていることを認めながらも、筆者自身は十二分に読了し再構成しているので、絶大なる信頼をおいて読むことができた。

人名も多数出てくるので、その都度、系図を書いた。また、国名も多数あるので、河川や山や湖を気にしながらも、地図上に配置していった。この本の巻末の「戦国七雄時代略図」が参考になった。この系図や地図は乱雑だが、PDFファイルとして添付したので、「ここをクリック」すると、見ることができます。自己流のため誤りも多いと思いますが、ご指摘ください。

この本で印象に残るものを挙げると、日本の神話と同じような役目を持つと思える「三皇五帝」の部分と、「夏王朝から、殷王朝、そして周王朝へ続く」部分と、そして最後の「秦の始皇帝」の部分である。「三皇五帝」では、「堯(ぎょう)」と「舜(しゅん)」の記述が興味深かった。中国は黄河と揚子江(長江)の2つの大きな川があるので、この治水事業が重要だったことがわかる。

また、中華思想の原点の華(夏)の「夏王朝」を築いた「禹(う)」や、漢字を利用して共通語(発音はそれぞれ違うが、表意文字としての役目を果たした)として広めていった「殷王朝」の「湯王」や、殷の「紂王(ちゅうおう)」を征伐した「周王朝」の「西伯昌(文王)」らの脈々と続く系図の中での栄枯盛衰に、NHKの中国古代史の映像と共に楽しむことができた。

そして、中華の西の辺境の地にあった「秦」が、中華の真ん中に躍り出て、中国全土を支配し、中華思想をまとめ上げて行く過程も良くわかった。現在の中国の考え方は「主義」からではなく、その多くはこの「中華思想」からきていることが理解できた。それ故か、前回読んだキタイ王朝や女真族や羌族(チベット族)の存在に心惹かれるものがある。

しかし「秦王朝」は、「秦の始皇帝」と、二世皇帝「胡亥(こがい)」(有名な「趙高(ちょうこう)」に誅殺された)と、三世皇帝「子嬰(しえい)」(趙高を殺すが、楚の項羽(こうう)の進出や、六国の自立などにより、秦を見限り、漢の劉邦(りゅうほう)に政権を明け渡した)の三代で滅んで行った。これは、権力が大きくなればなるほど周りが見えなくなり、また周りのものたちも誅殺されるのを恐れて何も言わなくなり、善政が行われなくなるという例として、この歴史書の史記は伝えている。

前漢の時代の司馬遷が書いたこの史記は、後世の王朝の戒めとなり、長期政権の礎となっている。しかし、現在の地球上の国の中にも、この史記に学ばない前途が危ういところも多く見られる。

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136.「確率論と私」を読んで

伊藤 清(いとう きよし)さんの「確率論と私」(岩波書店発行)を、群馬県太田市の「ブックマンズアカデミー」で購入した。先日高校1年生への授業で「確率」の指導を終えたばかりだったので、確率についての知識を再確認しようと思い購入した。内容は「確率微分方程式」の考案者だけあって、理解がしづらいところがあったが、次の3つの点が理解できたことが嬉しかった。

一つ目は、数学Aの教科書に載っている2つの関連性(順列・組合せを利用した確率を学んだ後に、わざわざ集合を利用して公理的に確率を定義し展開すると言うことをするのか?)が、教科書を読んだだけでは読み取れなかった。それが、「ゲームとしての確率」から、「数学として確立するため必要な論証を経た確率」へ進化し、現在の確率微分方程式などが登場する半世紀の歩みを、不十分ながらも数学Aの教科書に掲載していると言うことが分かった。内容は分かったが、教育は手順や材料などにより難解にもなるので、この部分の教科書上での展開は研究途上にあるのだろう。

二つ目は、ロシアの数学者「コルモゴロフ」の紹介の文面にある「高校教育」の位置づけである。小中レベルでは、基礎的教養の取得に励むが、高校レベルでは、内容別システムにするという案である。現在の日本の高校教育は、進学をメインに据えて、入試に出るから全て学ぶと言う体制を維持して作られている。興味を失った生徒はそこから逃げていくことになる。その「進学」をメインに据えるのではなく、「内容」をメインにする高校を作り、一般的教養以外に少しだけ多めにその「内容」を学ぶ形にするというのである。具体的なイメージは、「内容」という所を「数学」「歴史」「文学」「生物」「科学」「英語」などに置き換えて読み直すと分かりやすいと思う。例えば、「数学高校」に入った生徒は、数学の課題を持ち、卒業前に論文を作り発表する。それを支援する先生方は、数学の得意な英語の先生など一般的教養担当者の中にも多数おり、いつでも相談にのれるというものである。「進学」ではないので、好きな「内容」を深めることが出来ると思うからだ。

三つ目は、この半世紀の数学界で活躍し、書籍を出されている先生方の様子がよく分かるので、微笑ましい人間関係を知ることが出来て、研究以外の人間性を見ることができた。現在ノーベル賞をもらった山中教授は、マスコミの情報で人間味ある姿が映し出されているが、半世紀前の人々は白亜の塔に座っている別世界の人の様に感じていたからだ。

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135.「南部は沈まず」を読んで

近衛 龍春(このえ たつはる)さんの「南部は沈まず」(日本経済新聞出版社発行)を、モラージュ菖蒲の中にある本屋「アカデミア」で購入した。この本屋は椅子に座って読むことが出来ると言うので、行ってみた。ゆったりとした雰囲気の本屋である。めぼしい本がないか探していると、「南部藩」「大地震」「奥州戦国絵巻」という文字が飛び込んできた。手に取り少し読んでみると、興味が沸いてきたので、購入することにした。

前半は甲州から移ってきた南部の一族が、八戸氏や九戸氏などを中心に合議制で奥州(現在の岩手県周辺)を支配していたが、その亜流の三戸信直(のぶなお)が南部の主君として、南部信直となるも、各地で一揆や反乱が多発していた。特に南部の久慈氏から別れ、信直の父を討った大浦為信(のちの津軽為信、この際に以前読んだ北畠顕村の浪岡御所は落城している)への怒りと九戸氏の反抗を力で押さえられない葛藤が描かれている。豊臣秀吉の奥州征伐の折に、援助を請いて、何とか九戸氏を打ち破り、豊臣秀吉の天下の元に前田利家への誼(よしみ)を通して南部を安堵されている。その後、九戸城(名を変えて福岡城)を中心に南部をまとめていくが、和賀地方や稗貫(ひえぬき)地方への伊達政宗の侵入に苦労している。

信直の嫡子の南部利直(としなお)の代になり、関ヶ原の戦いの直前に行われた上杉景勝への討伐に、利直はつかず離れず徳川家と連携しながらも迷う時局が目に取るように描かれている。その後の関ヶ原の戦い等を通して、徳川方の一員となっていく。どちらかに付くかで運命が変わるこの時代の厳しさを知ることが出来た。利直は、南部の支配を確実にするために、不来方(こずかた)城を大きくして盛岡城とした。

本の後半には、先日起こった東日本大震災と同じ地震が、徳川幕府ができてそうそうに東北地方で2回も起こっているのである。伊達政宗(*1)などは被害を公にあまりしていないが、利直は詳細に記録し、災害後の取り組みや二度と被害が起きないような取り組みもしていることが分かった。現実に1611年12月2日(グレゴリウス暦、以下同じ)に起こった慶長陸奥大地震では大きな被害と3000人にも及ぶ死者を出し、現在と同じ復興の苦労(塩に浸かった田んぼの塩抜き、港に溜まったゴミ、船が全滅など)をしている。またもやその5年後の1616年9月9日の元和陸奥大地震でも同じ規模の地震が起こって、大津波(当時は海嘯(よだ)と言った)に襲われているが、2回目の時は住民を高台に住まわせ、各寺社に危険を知らせる「大鐘や半鐘」を設置したこともあり、死者は一人も出さなかったという。粘り強く復興していく南部の人々(東北の人々)を指導している南部利直に、徳川家康は大阪城落城の折に豊臣方にも二股膏薬を掛けていたことが暴露されても、移封も言わず、応援しているように思えた。

この本を読むことにより、秀吉や家康以外の各地の大名の様子が分かると同時に、秀吉や家康の日本統一の施策が着々と進行していっているのに驚いた。もう少しアバウトと思っていたが、かなり急速に浸透している。

(*1)TVで、伊達政宗の慶長遣欧使の話しが流れていたのを見ると、慶長大震災の後、経済を立て直すためにスペイン帝国と独自外交をするため遣欧使「支倉常長」らを送っていたことが分かったので、何もしなかったというわけではないことが分かった。

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134.「麒麟の翼」を読んで

東野圭吾の刑事・加賀恭一郎を主人公にしたシリーズ物の最高傑作「麒麟の翼」(講談社発行)をかかりつけの医院「おのクリニック」の本棚から借りて読んだ。

出だしの日本橋の欄干にもたれかかって死んでいた男の謎解きから話しは始まり、田舎から出てきた若い男女の出発点でもある日本橋の飾りの「麒麟」に、読者の意識は惹きつけられていく。

ほぼ解決しそうだったこの事件の問題点をひたすら歩いて調べていく加賀刑事と松宮刑事。解決を急ぐ警察幹部とのやりとりは、今TVニュースで取り上げられている「PCメール偽装事件」の様子と重なってきて興味深い。

本の後半に入り、どこに話しは落ち着くのか分からないまま進んでいく。時々顔を出した加賀刑事の父親の三周忌の話しが解決のヒントに結びつき、一気に謎が解けていく当たりは流石だ。そのヒントとは、金森女史の「死を間近に迎えたとき、人間は本当の心を取り戻します。プライドや意地と言ったものを捨て、自分の最後の願いと向き合うのです。彼らが発するメッセージを受け止めるのは、生きている者の義務です。」という言葉だったと思う。それに気づいた息子の悠人の行動が、解決の流れを産み出していきました。

後日、TVで映画「麒麟の翼」が放映されていたのを見た。あまりの出来に、すっかり本を思い出した。最後の父親(中井喜一)の幻が微笑むのに胸がつかえてしまった。この部分は映像がなし得るポイントであろう。

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133.「渡された場面」を読んで

松本清張の「渡された場面」(新潮社)を、サニックスの図書室(住人で読まなくなった本をロビーにある図書室に寄付して、お互いに再利用する場所)で借りて、読み始めた。このコーナーに本の表紙を載せようといろいろ調べたが、文庫本の表紙しかなかったので、右下に破れ線が入っているが、写真にとって掲載した。

初めは単調な書き出しで、松本清張の育った北九州の地方都市が出てくるので、本を書くのは地縁が大事なのかなあと思いながら読んでいくと、話は四国の芝田市が登場してくる。2つの地域の出来事が、香春(かわら)県警捜査一課長指示の下に捜査を開始した2人の刑事によって、縺れたヒモが次々と解けていく面白さは格別である。

余り気にしなかったが、柴犬がキーワードとなっていた。

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132.「田舎教師」を読んで

田山花袋の「田舎教師」(新潮文庫)の文庫本を、学校の図書館で借りて、読み始めた。裏側を見ると、昭和62年84刷と印刷されているページが黄色がかった本であるが、難しい漢字にはふりがなが書いてあるんで、漢字の勉強も兼ねて読んでいった。少時(しばらく)、莞爾(にこにこ)、埃(ほこり)、囀る(さえずる)、分明(はっきり)、痩削(やせぎす)、頻り(しきり)、矜持(プライド)、鼾(いびき)、蕭々(しとしと)、蠑?(いもり)、泥濘(どろ)、華表(とりい)、饂飩(うどん)、生憎(あいにく)、抽斗(ひきだし)etc、全体の6分の1でこれだけあるのだから、大変勉強になった。全部は書き出せないので、これぐらいにしておこう。

この本を読もうと思った原因は、再任用の2年前の学校が羽生実業高校で、車での通勤路を研究して、最終的に毎日通っていた道に、田舎教師の像があったので、その周辺を少し訪ねたりしていたこともあったからだ。しかしその時は理解が不十分であったが、この本を読んで見てビックリ、正に私の通勤路上を田舎教師の主人公「林清三」が歩いており、大越や発戸(ほっと)や井泉(いずみ)などの地名は、標識として毎日目にしていたものだったからである。特に井泉小学校の交差点の交通整理の先生や母親たちの姿を毎日見ていたのだ。その小学校に勤務する若い女教師が本中に登場している。

勤務していた弥勒高等小学校は、碑だけが残っているだけだが、下宿した羽生駅のそばの成願寺(現実の名前は、建福寺)には、モデルとなった小林秀三の墓がある。

本の中に出てくる日露戦争の大連と旅順に、先日旅行で言ってきたので、またそれも縁であろう。

最後に、気に入った文章を掲載したい。主人公が亡くなる前に日記に書いた友人の荻生君についての文章だ。 「今にして初めて平凡の偉大なるを知る」

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131.「深夜特急1~6」を読んで

次女が大学生の頃読んだらしい本(「深夜特急1~6」新潮文庫、沢木耕太郎著)を、子ども部屋のリフォーム(2つの小さい部屋の敷居を取り払って、1つの大きな部屋に直した)の際、見つけた。次女の20代前半は、盛んにアジア旅行(香港、台湾、韓国、ベトナム、タイ、インドなど)に行っていたので、この本の影響が大だったのだろうと今更ながら気づいた次第である。

私も、最近アジア旅行に目が向いてきたので、この本はとても面白く読むことが出来た。1巻(香港、マカオ)は、「デリーからロンドンまで乗り合いバスでいく旅」を決意した26才の沢木が、途中下車した香港での体験をつぶさに書いている。マカオでの賭博事件も面白い。2巻(マレー半島、シンガポール)は、バンコクから鉄道で南下していく。3巻(インド、ネパール)は、街中で日々遭遇する死のドラマに気持ちが沈み、安宿のベッドから立ち上がれなくなっていく自分を見つめている。4巻(シルクロード)は、中近東のシルクロードを猛スピードで走るバスでの出来事が続く。5巻(トルコ、ギリシャ、地中海)は、魅力あふれるトルコの旅に、私自身も行ってみたくなってしまった。また、地中海の美しさは夢のようである。他の国々と比べても何で地中海だけ美しいのか焼き餅を焼いてしまうほどだ。最終巻の6巻(南ヨーロッパ、ロンドン)は、イタリアからスペイン、ポルトガルへの旅だが、懐かしい風景がたくさん出てくるので、楽しく読ましてもらった。

全体を通して、旅行中に下町の食堂やバル(バール)での体験談がたくさん出てくるのが、とても羨ましかった。今更ながら英語力と度胸が必要なことを痛感する。青春期にしか体験できない夢のバイブルのような本である。

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130.「中国の歴史08『疾駆する草原の征服者』遼 西夏 金 元」を読んで

講談社から発行されたシリーズ物の「中国の歴史」の第8巻にあたる杉山正明さんの「疾駆する草原の征服者」を読んだ。結構分厚い本だったので、時間がかかったが、中国の地図を書きながら読み解いていったので、面白かった。その際書いた地図は歴史コーナーに掲載した。ここをクリックすると見ることが出来ます。

キタイ帝国(大契丹国、遼)の耶律阿保機(ヤリツアボキ)からはじまり、西夏(拓跋、タングト族)の李元昊らとの関係、そのキタイを滅ぼして南北に細長く成立した金(女真族)の完顔阿骨打(ワンヤンアクダ)の登場。 その後登場のモンゴル帝国(ジンギス・カン)と大元ウルス(クビライ)と全モンゴルをまとめたテムルなどの活躍はユーラシア大陸全体に広がり、緩やかな東西交流の土台になっていったことが分かった。

また、平将門の乱や蒙古襲来が違った角度から読み解くことの出来る本である。ちょうど、日本の古墳文化を大英博物館から分析したTV番組のような感じである。

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129.「定年後は夫婦で『田舎暮らし』を愉しみなさい」を読んで

明日香出版社から発行された星野晃一著作の「定年後は夫婦で『田舎暮らし』を愉しみなさい」を読んだ。現在続けている「蕎麦の会」の仲間の上田さんから贈られた本だが、私にとって非常にタイムリーな本なので、メモを取りながら頷きながら読んだ。

自然草木観察、山菜採り、野生の動物や野鳥の観察、釣り、星空、地元の人との交流などを愉しみたいと思っているし、庭には薬草やハーブ園を作りたいし、藁細工、ドライフラワー、草木染め、織物、編み物は夫婦でやれそうだと思っている。また、絵を描いたり、陶芸、家具作り、写真、ビデオ、物書き、それにホームページづくりは楽しみである。

食糧として、そば打ち、漬物、味噌、醤油、納豆、豆腐、コンニャク、うどん、パスタ、パン、ジャム、果実酒 、燻製、ハム、ソーセージ、バター、チーズ、ヨーグルトについては、大変参考になる本である。

また、炭焼き、薪割り、木酢液、燻炭などの作業と、モキストーブ購入も検討中です。自家農園は100坪ぐらいで少しずつ何種類も植えて愉しむと言うのはよいですね。金儲けではなく自給自足できれば良いと考えているからです。

その他いろいろ書いてありましたので、今後の「田舎暮らし」のバイブルとするつもりです。上田さんありがとうございました。また、よろしくね。

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128.「三匹のおっさん」を読んで

文春文庫から発行された有川 浩(ありかわ ひろ)著作の「三匹のおっさん」を読んだ。職場の同僚から面白い本があるよと聞かされていたので、本屋で買うときもタイトルほどは抵抗感はなかった。還暦を迎えて抵抗している「おじさん」が、町内のいろいろな出来事を通して「おじいさん」ではなく「おっさん」になり大活躍する痛快活劇と呼ぶのに相応しい立ち回りである。なんとなく、「寅さん」や「釣り馬鹿」に続くシリーズ物の映画になって欲しい気がしている。亡くなってしまった名読書家・児玉清さんも絶賛しているのがよく分かった。
三匹のおっさんである剣道の達人・キヨと、柔道の達人・シゲと、機械いじりの得意な頭脳派・ノリは、昔の「悪ガキ3人組」のなれの果てではあるが、町内会の正義の味方として、大活躍である。続編が出るそうなので、楽しみである。

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127.「楼蘭ー流砂に埋もれた王都」を読んで

平凡社から1963年に発行された「東洋文庫 1」シリーズの「楼蘭」(30刷版、A.ヘルマン著、松田寿男訳)を学校の図書館で見つけて読んだ。
平山郁夫の絵画でもお馴染みの魅惑に富んだ「楼蘭」のことを知りたくなったからだ。というのは、今年の9月に野本さんたちのツアーで、中国東北部(旧満州)に旅行する予定だし、昨年は、香港・深セン・マカオの旅行に行ったりしている。さらに、TVや歴史小説で、中国の古代物をよく読んでいるので、国名や人物名や事件名などが比較的理解できたのが、読み進めて行くことができた理由だろう。
楼蘭の話になると、さまよえるロブ・ノール湖(蒲昌海)やタクラマカン砂漠の存在を抜きには語れない。特に、ロブ・ノール湖は氷河期の終わり頃に、氷河が溶けて、タクラマカン砂漠全体が巨大な内陸湖となり、それが徐々に気候の変化で縮小して行き、さらに砂漠が作る微妙な高低差ゆえに、湖に流れ込んでいた南北ターリム河が流れを変えたため、結果さまよえる湖と言う呼び名ができたのである。現在は水が少なくなり、広大な塩沢が広がっているらしい。
ターリム河の楼蘭近くの水脈は砂漠の中に吸い込まれて地下水の流れになっているようだ。また、その流れに沿ってオアシスが点在し、その場所が、本の後半出てくる攻防する都市にあたる。いくつか漢字とカタカナで表示して見たい。
敦煌(トンコウ)、ゼン善(ファルフリク)、楼蘭(ローラン)、且末(チェルチェン)、干タン(コータン)、莎車(ヤールカンド)、葱嶺(パミール)、疏勒(カシュガル)、姑墨(アクト)、亀茲(クチァ)、尉犂(クルラ)、焉耆(カラシャフル)、高昌(トゥルファン)などである。
もう一つ印象に残ったのは、かつて東西貿易の中心だった月氏(トカラ人)が度重なる戦で追われてイラン山岳地付近まで移動して行き、その後、運命はどうなったかである。

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126.「くちびるに歌を」を読んで

小学館から発行されている中田永一さんの「くちびるに歌を」は、長崎・五島列島の中学校の合唱部の話だが、私の好きなジャンルではないので、普通ならば読まないのだけれども、司書の先生の推薦もあり、斜(はす)に構えながら読み始めた。私は今、週末にガレージ倉庫のセルフビルドをしているのだが、いろいろなことがあって、うまく進まないときに、何だかスーッとこの本が入ってきた。
中学生の思春期の悩みを抱える部員達が、産休で休む顧問の先生に代わって新しく赴任した先生の指導の下、「NHK学校音楽コンクール」を目指す内容であるが、これが何か癒してくれるのだ。最後は、涙なくしては読めないような感動で心が洗われること間違いないです。

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125.「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を読んで

角川書店から発行されている東野圭吾さんの「ナミヤ雑貨店の奇蹟」は、本当に面白い本であった。慰問演奏に行き火事で子どもを助けたが焼け死んでしまった話しの時には、思わず目頭が熱くなってしまった。不思議な話がシャッターの郵便受けと言うタイムトンネルを通じて、過去と未来が交差する中で展開していく奇妙さが面白いなあと思った。ナミヤのお爺さんのアドバイスや3人組のアドバイスもなかなか良い。
最後の空白の投書へのナミヤお爺さんの回答が素晴らしい。未来像を描けず悩んで悶々としている高校生に、是非読んでもらいたい一文である。

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124.「ジェノサイド」を読んで

角川書店から発行されている高野和明さんの「ジェノサイド」は、映画「コンタクト」を見たときに感じた感動を久しぶりに味わうことができた。夢中で読み終わったが、随所にアメリカのホワイトハウスの強権政治の批判が出て来た。バーンズ米国大統領はフィクション作品の登場人物ではあるが、現存しそうな感じで、特に「特別移送」により邪魔者は消されそうで「怖いなあ」と思った。
現人類がアフリカから出発して、旧人類を滅ぼしながら、ここまで増加して来たので、この本に出てくるアフリカのムブティ人(ピグミー)の子供である「アキリ」や「エマ」の新人類の登場は、衝撃的であり、現人類にとって不安の種(タネ)そのものであることは理解できたが、この子供達を救おうとするピアース、イエーガー、ルーベンス、日本人の研人(けんと)などの活躍に、自分を置き換えてヒヤヒヤワクワクした。しかし、次から次に出てくる残酷なジェノサイド場面には目を背けずにはいられなかった。

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123.「蜩(ひぐらし)ノ記」を読んで

祥伝社発行の葉室 麟(はむろ りん)「蜩ノ記」を読んだ。第146回直木賞受賞作でもあり、読んでみたいなと思いつつ、受賞作品に手を出すのは嫌だという変な癖があり、本屋さんでも見つめながらも遠回りするのが日々の習いである。しかし、図書館の司書の方のアドバイスには扱く素直でもある。この作品は面白いから読んでみてはと言う言葉に飛びつきました。学校の図書館の本なので、タダという点も良い。あまりにも本を買うので、妻から怒られてもいるからだ。

九州豊後の藩で、刃傷沙汰を起こした庄三郎が切腹の代わりに、10年後に切腹を命じられながら家譜編纂をしている幽閉中の秋谷(しゅうこく)の元へ監視役として派遣されるところから話しは始まる。本の帯(おび)の言葉の通り、「命を区切られたとき、人は何を思い、いかに生きるのか?」が問われる名作であった。直木賞を取ったと言うことはこういうことを指すのかと分かった次第です。

文末の描写である秋谷の息子の郁太郎と、義兄となった庄三郎の立ち位置と頭上からの蜩の鳴く声が絶妙である。

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122.「草原の風(下)」を読んで

中央公論新社発行の宮城谷昌光「草原の風(下)」を読んだ。下巻は、各地で起こった劉一族の勢力(例えば洛陽の更始帝勢力など)とのバトルである。同じ劉家でも、国家統一して人々が平和に暮らしていける体制をどう作るか、またはそれを担う官僚が付くかで淘汰され、最後に劉秀の後漢が成立する。紀元23年に「新」が滅んだ後の2年間がそのバトルの月日であった。後漢が紀元25年に成立するまでの戦いの日々が下巻に記されている。

国家を統一する過程はいろいろな戦いがあるので、若干下巻はそれら全てを詰め込みすぎて、目まぐるしさを感じざるを得なかった。最後の後漢成立までの過程なので仕方がないところがあるのだろう。「親鸞」の時も感じたのだが、「青春編」が一番興味深い。大望を抱き、人との縁で人生が転換していくからだろう。一歩踏み間違えると違う人生となるからだ。

下巻で感じたのは、戦った相手でも戦後罰するのではなく、人物を見ては活用していく度量の大きさが劉秀にはあり、その結果他の勢力を凌駕していくのにつながっていったところだ。ダメな人物については殺傷しているところに戦国時代の雰囲気が残っているが………。それにしても、紀元57年に光武帝(劉秀)が、漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)を日本の奴国からの使者に贈っている事実をみると歴史の違いを感じざるを得ない。

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121.「草原の風(中)」を読んで

中央公論新社発行の宮城谷昌光「草原の風(中)」を読んだ。中巻は劉秀が兄の劉「糸寅」(りゅうえん)と一緒に王莽の「新」打倒に立ち上がるところから始まる。なお、兄の名前の「えん」の漢字がUnicodeのCJK統合漢字の07E2Fにしかないため、SHIFT_JIS表示ができないので、分解漢字にしました。

この中巻の圧巻は、王莽が派遣した100万の大軍に対して、劉秀は3000の兵で勝利するその行(くだり)である。王莽(おうもう)やその大軍の長である王邑(おうゆう)は厳尤(げんゆう)将軍のアドバイスを聞かず、大軍であることに傲りがあり、その隙を突いた劉秀の機敏な攻撃の下、一瞬にして負けると敗走し、そのことが更なる敗走を生み、一気に大軍が崩壊していった。上に立つ者は優秀なアドバイスを真摯に聞かなければ危ういと言うことと、その滅び方は「千丈の堤も蟻の穴より崩るる」の喩えのようである。

文中に意味深きフレーズがあったので、ここに書き出すと、「たとえば皇帝の位に昇った者がみる光景は、みわたすかぎり草しかない原、というようなものではあるまいか。草が人民であれば、木は臣下である。木が喬く(たかく)なり、生い茂れば、皇帝の視界はせばまり、天からの光もとどかなくなる。それゆえ皇帝はかならず草原をみる高さにいなければならない。いま、草原に風が吹いている。」である。現代の木は官僚であり、皇帝は首相だとすると、この木が生い茂り、災害の復旧処理の何たるかが見えなくなっている様を指しているのであろう。また、この本のタイトルの意味をも理解できた。

もう一つ、「『ほう、あれが劉文叔(劉秀のあざな)将軍か。正しい服装は、祥祉(しょうし)を招くであろうよ。』服装だけでも、劉秀は人々の心を惹きつけた。」である。話しが飛躍するが、学校での服装検査に疑問を持っていた私は、厳しく指導することができないまま図らずも定年を迎えた。検査の意義を「学校の質は頭髪や服装で見られるので、キチンとしていると、優秀な生徒が集まり、生徒指導が楽になるから」とか「就職するときの面接で、キチンとしていると損をしないから」とか「外面がキチンとしていると内面もしっかりするから」と言って指導してきた。しかし、この劉秀の行(くだり)を読むと、「服装の美化」が本当の意味で大事であることがわかった。それは、「内側の人々の安泰のために同一化して凌ぐ」ではなく、「外側の人々の信望を招くことのできるオーラを発生するため」のものであることがわかる。チームワークの取れた服装での応援が選手に力を与えているようなことをさすのであろう。その信望がまた当事者の力量を高めることにつながっていく。

この中巻の終わりは、兄の劉「糸寅」が殺害され、2大勢力(洛陽の更始帝一派と邯鄲の劉子輿一派)に追い詰められた劉秀が巻き返しに立ち上がるところで終わっている。下巻が楽しみである。

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120.「草原の風(上)」を読んで

中央公論新社から発行された宮城谷昌光(みやぎたに まさみつ)著作の中国歴史小説「草原の風(上)」を読んだ。スペイン旅行の片道14時間にも及ぶ飛行機の友に、成田空港の本屋「改造社書店」で購入した本だ。本当は「三国志」の文庫本を探したのだが、生憎なかったので、目に飛び込んできた後漢の初代光武帝となる劉秀(りゅうしゅう)の話しである。前回読んだ図解「三国志」によって蜀の皇帝・劉備(りゅうび)の人物像を知り、またTVビデオ「MYTH神話」で前漢の皇帝・劉邦(りゅうほう)の人物像を知った私としては、後漢の皇帝が誰で、何故漢が途切れるのかも知りたかったこともあり、この劉秀の「草原の風」を読もうと思ったわけである。劉一族の歴史上の位置も理解できたと思う。

紀元前202年に秦を滅ぼし、項羽との戦いに勝った劉邦は前漢を建国し、その初代皇帝・高祖となったが、第13代皇帝・平帝のときに外戚の王莽(おうもう)によって政権が奪取され、紀元8年「新(しん)」の国ができたが、赤眉の乱で紀元23年に「新」が滅ぶと、紀元25年に劉秀によって後漢が建国された。その後、紀元220年まで続くので、漢の国は合わせて約400年の歴史がある。その後は「三国志」の時代に入り、劉備が紀元221年に3分割された中国西部の蜀の国の皇帝になるが、紀元280年中国北部の魏の国を引き継いだ司馬炎(司馬懿の孫)によって中国が「晋」として統一され三国志時代は終わる。

この上巻は、王莽によって排斥された劉一族の苦悩の中、劉秀が成長し、人望を高めていく様子を描いている。この後、中巻・下巻と続くのであるが、今後が楽しみである。

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119.「図解『三国志』」を読んで

成美堂出版から発行された渡辺精一監修の図解「三国志」を読んだ。と言うか見た。三国志の内容がイラストで地図や図版・解説が要領よく順番に記載されているので、読みやすく理解しやすかった。と思えるのは、私には次のような下地があったからだ。昔は、いろいろな人が次々に出てきて訳が分からなくなり、せいぜい覚えているのは諸葛孔明と劉備くらいであった。昔は吉川英治、今は宮城谷昌光の三国志、横山光輝の漫画や「人形劇三国志」で、折に触れ垣間見てきたが、分厚すぎる歴史小説という感じがして、本格的には読み始められなかったというのが正直なところだろう。

先日、映画鑑賞のコーナーでも紹介したジャッキー・チェン総合プロデュースの「MYTH神話」を50話も録画して見たことにより、秦の始皇帝や宦官の趙高(ちょうこう)や劉邦や項羽の存在感が私の頭の中に増し、その時に出演していた放浪の仙人で医師役の方が、何気なく見た三国志のTVビデオ「スリー・キングダム」の中の司馬懿(しばい)を演じていたので、思わず見入ってしまった。諸葛孔明(蜀の丞相)と対峙する魏の将軍で、永遠のライバルである。司馬懿は、後に魏を滅ぼし三国を統一する晋(しん)の皇帝の司馬炎(しばえん)の祖父にあたる。

この本を読んで、三国志が劉備(蜀)・曹操(魏)・孫権(呉)の天下取りの話しで、軍師として諸葛孔明が大活躍し、最後に司馬懿が登場してくることが分かった。分かってくると、劉邦(漢の創始者)と劉備(蜀の皇帝)の繋がりも明白になり、漢の血筋(劉一族)が名前から類推できる。そして、卑弥呼の送った使者が魏の曹叡(そうえい、曹操の孫で魏の2代皇帝)の元へ行っていることも分かった。この調子だと、本格的に三国志を読み始めるかもしれない。

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118.「カラマーゾフの兄弟(上)」を読んで

「東大教師が新入生にすすめる本」第1位と言う本の帯(おび)を見て、五木寛之さんと梅原猛さんの対談「仏の発見」の中で感じた「神・仏を考える上でドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は読んだ方がよい」と言う感想は、あながち的外れではないと感じたが、流石(さすが)に内容は難解であった。小さい字の文庫本がいけなかったのか、ロシア文学のカタカナの羅列が登場人物の混乱に繋がり理解不能だったのか、よく分からないまま上巻を読み終えることが出来た。と言うか、上巻の最後のページに来たと言うべきかもしれない。ハングルの羅列(朝鮮語)や漢字の羅列(中国語)のように外国語の本は、字が表す意味や人間関係が理解できないと読みにくいことが分かる。そう言う点で、マンガや映画は理解を助けると思う。

この本を読んで唯一印象に残ったのは「カラマーゾフ的な低俗な力だ」というフレーズだ。これが随所で出てくる。「地を這う人間本来の欲望から湧き出る生き抜く力」とでも言うのだろうか?カラマーゾフ的とは何なのだろうか?また、これが神や仏とどう対峙していくのだろうか?中巻や下巻を読まなければ分からないのかもしれないが、現状ではギブアップである。夏目漱石の「虞美人草」の時のように、映画を見てから中巻にうつるしかないかもしれない。

今思いついたのだが、夏目漱石の「虞美人草」の主人公・藤尾と、秦の始皇帝に出てくる項羽の妻「虞姫(虞美人)」は、美人であったという以外共通点があったのだろうか?夏目漱石は虞姫を意識していたのだろうか?

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117.「『愛と死をみつめて』その後」を読んで

展望社から発行された河野実(まこと)さんの「『愛と死をみつめて』その後」を読んだ。妻が手に入れてきた本だが、直前にYouTubeの検索実験をしていたときに吉永小百合の映画「愛と死をみつめて」のYouTube版がヒットしていたので、何かの縁だと思って読んでみることにした。

前編は、簡単な「愛と死をみつめて」のストーリーの裏側の話しが中心だったが、昔見た吉永小百合と浜田光夫の映画「愛と死をみつめて」とは違う印象を持った。よく考えると、その当時は吉永小百合ファンとして憧れたスターが演じる眼帯を付けたミコ(吉永役)と学生のマコ(浜田役)の切ないラブストーリーとしてしか見ていなかったようである。

後半は、ミコが死んだ後のマコである河野実(文中では川田誠としてある)の人生が綴られている。ミコがなることを希望していた国際ジャーナリストとしての道を代わりに歩んだようである。その中で感じたことがニュージーランドとベトナムの旅の中を通して記載されている。伊那谷での子どもの頃の記憶がベースになり、自然派としての活動を現在でも続けているようだ。

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116.「舟を編む」を読んで

光文社発行の三浦しをん著作「舟を編む」を面白く読んだ。これは、国語辞書づくりに生涯をかけた松本先生と、退職して以降も編集に関わった荒木さんと、主人公の馬締(まじめ)さんを中心とした辞書編集部の15年間に及ぶ奮闘記である。
一つのことを持続的に継続し完成させる情熱と熱意に頭が下がる思いがした。この事実が各雑誌社で今も繰り返され、辞書が完成していると思うと、辞書を雑に扱ってはいけないし、その活用方法を考えなくてはもったいないと思った。
文中気に入った語句がいくつかでて来たので、あげて見たい。

  1. 「あがる」と「のぼる」の違い
  2. 不死身の「西行」
  3. 五十音順では、「あ行」から「さ行」の単語が全体の半分を占める。
  4. 方向を示す「へ」と、差し迫ったニュアンスの「へ」
  5. 辞書用紙のもつ「ぬめり感」
  6. 俺たちは舟を編んだ。豊穣なる言葉の大海をゆく舟を。
この本は図書館の司書の方と知人に薦められたので読んだのだが、読んで良かったと思う。

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115.「自動起床装置」を読んで

文春文庫発行の辺見 庸(へんみ よう)さんの文庫本を読んだ。平成3年に芥川賞を受賞した「自動起床装置」とカンボジアの戦場への旅を描く「迷い旅」が併録されている。「自動起床装置」は、大手放送会社の宿泊センターで仮眠を取る社員をそれぞれの起床時間にあわせて起こす「起こし屋」のバイトをしている主人公の満と同僚の聡の日々を描写している。聡の起こすときの囁くようなテクニックや、遠い睡眠の世界に入った人を優しく呼び戻すイタコのような仕事ぶりと、寝ている各人が出すイビキの音がまるで機械のような軋む音を出している様子などが描写されている。ほとんど見たことのない世界ではあるけれども、団体で旅行したときの寝る時間で感じた嫌な感じが思い出される。それ故、最近の勉強会では昔と違って個人でビジネスホテルに泊まっているのだが、そう言う事って一般的なことなんだと言うことが分かった。
話しは、その宿泊センターに「自動起床装置」(空気で膨らんで起こす装置)の導入が決まって導入されていくまでの攻防が描かれている。しかし、所詮は心のないマシーンのすることなので、不備な点がたくさん出てくる。そのことは、ちょうど仕事場にコンピュータが入ってきて、職場が混乱する雰囲気に似ているから笑ってしまう。この装置も最後には人の手でセットしなければダメなのと同様に、職場のパソコンも人の手でケーブルをつながないとただの箱になってしまう。
文明は、機械と人との協力なしでは進まないことか。「協力は笑顔から」と言うNHKスペシャルの「ヒューマン なぜ人間になれたのか」の笑顔を、機械が認識できることがあるのだろうか。

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114.「継体天皇の謎」を読んで

PHP文庫から発行されている関 裕二さんの著作である。以前から、8世紀に書かれた日本書紀や古事記は、時の政権を担っていた藤原不比等が都合の良いように書き換えたものであるらしいことは知っていたが、それ以上のことは知らなかった。
作者は、これらの本の中の「継体天皇の謎」に目をつけ、さらに、王朝交替説をも凌駕するような分析をすすめているから驚きである。真実はともかく、目に鱗の場面がいくつかあったことは否めない。
なお、王朝交替説とは、第1期が神武天皇に始まる神話王朝(1~9)、第2期は祟神天皇に始まる古王朝(10~14)、第3期は応神天皇から始まる中王朝(15~25)、第4期は継体天皇から始まる新王朝(26~現在)で、それぞれが大和地域以外から侵略征服して王朝交替があったと言われる説である。なお、神武と祟神は同一人物と言われているので、九州から攻め上ったものであり、応神も同様に九州から、継体は北陸から攻め上ったと言われている。
作者が目をつけた継体天皇の謎とは、日本書紀に記載されている「25代の武烈天皇に子どもがいなかったため、やむを得ず、15代応神天皇の5世の孫である越前国高向(坂井市丸岡町)に住む57才の継体天皇に白羽の矢が立った」と言うような内容である。なぜ、藤原不比等が「5世の孫」と言う言葉を使って、万世一系の天皇家を演出しようとしたのか?その直前の武烈天皇の悪行をなぜ書き立てたのか?その後の継体天皇の治世で、九州磐井の反乱があって不安定なことや、大伴・物部対蘇我の対立から天皇家が一時南北に分かれて争ったことなど、本来ならば、記載しないような内容まで書かれているのは何故か?等々の分析をしている。
実に面白い内容である。以下は私の読後感のまとめを書いていくので悪しからず。そもそもの原因は15代の応神天皇の母親である神功皇后まで遡る。西暦400年頃の話である。この時代は、九州の勢力が大きく、中心に240年頃卑弥呼が登場した邪馬台国がある。大和はまだそれに比べると劣るが、出雲と越(北陸地方)の連合軍に支えられて大きくなり始めていた。下関海峡を封鎖されて中国や朝鮮と貿易が出来なく劣勢の大和は、14代の仲哀天皇とその后の神功皇后が九州攻めに向かう。仲哀天皇は邪馬台国に敗れ死去。越出身の神功皇后は出雲軍を引き連れて、九州に進出。奴国と連合して、遂に邪馬台国を滅亡に落とし入れる。その後九州に政権を打ち立てるが、九州をまとめ、中国への繋がりを求めて「トヨ」となり、邪馬台国の後継者の位置に納まる。その後生まれた応神と尾張兄弟の本当の父親は、武内宿禰(出雲軍)と言われており、この一族がその後蘇我氏になっていく。
その後、大和残留の纒向(まきむく)政権は、神功皇后を破り九州政権を滅ぼすが、この頃に大災害が起こり、これは「神功皇后の祟り」だと、その子応神を捜し出し、大和政権の15代応神天皇に据え、16代仁徳天皇に続く大和王朝時代が始まる。巨大な天皇陵が今に残る。もう一人の子・尾張は東国平定に向かい、尾張中心の大豪族として力を蓄えていった。残念なことに、この400年から450年頃の中国は、五胡十六国が乱立し、その後も宋と北魏の南北朝時代と争乱が絶えず、その所為で日本の情報が書かれた文献がないようだ。少し残るのは5王(讃・珍・済・興・武)の記事で、武は21代の雄略天皇のことらしい。この雄略は武内宿禰の一族の葛城氏を滅亡させ、25代の武烈天皇は同系統の平群氏を滅亡させている。この時期の天皇家は力が集中し、ワンマン化していたようである。その後の500年頃に起こった大災害を受けて、東国に移った尾張氏の継体天皇が、有力豪族の大伴氏によって担ぎ出されたわけである。
この後、大伴・物部・中臣(神道系)の担ぐ27代安閑天皇・28代宣化天皇と、蘇我(仏教系)が担ぐ29代欽明天皇が南北朝のように両立したが、欽明天皇の下に収まり、蘇我氏の天下が続くことになる。律令制を整え、盤石な体制ができていく。33代推古天皇や聖徳太子とも連携し、蘇我氏の力が続いていくように見えた西暦645年大化の改新が起こるのである。これにより、武闘派の天皇・38代天智天皇が登場し、その横に神道系の中臣鎌足が付き従い、藤原と名前を改めた後も天皇家を支える一大権力者になっていく。この8世紀に書かれたのが藤原不比等による日本書紀と古事記なのである。因みに、その後尾張氏も滅ぼされていく。そういう風に見ると、藤原不比等は「武内宿禰と蘇我氏の系統」を現実にも歴史上からも抹殺しようと考えたのではないかと思われる。その後の黒塗りされた歴史を、福井市の足羽山(あすわやま、標高116m)に立つ継体天皇像は苦い思いで見下ろしていることだろう。先日の福井の旅で撮った写真を眺めながらそう思った。

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113.「まんがハングル入門」を読んで

いつも買いに行く太田市の本屋のBookman's Academyで、光文社知恵の森文庫から出版された「笑っておぼえる韓国語」と言うサブタイトルが付いた「まんがハングル入門」(高 信太郎さん作)が、目に飛び込んできた。
先日からWinパソコンで多国籍の言語の表示に取り組んでいるが、肝心の言語を理解していないので、表示しても何を言っているのか分からずじまいだった。特に、ハングルとタイ語はその言語の芸術性には惹かれるものがあり、少しは使えるようになりたいと思っている。そこで、まずハングル語から勉強しようと購入したのだ。
この漫画で書かれた高さんのハングル入門は要領よくまとめられており、また、ハングル文字がモジャ君としてマンガチックに登場してくるので、導入編でスムーズに入っていけるところがとても良い。お蔭で、ハングル文字の発音が少し出来るようになってきた。今後楽しみである。韓国に旅行に行きたくなった。

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112.「親鸞 激動篇(下)」を読んで

下巻もあっと言う間に読んでしまった。平家が興隆している時代から鎌倉幕府へ、そして北条執権政権へと続く時代を、地方の越後から常陸へ移り住み、布教活動をした親鸞たちの生活の様子が手に取るように描きあげた作品である。現実的には資料がない中、この時代の様子を描きあげる想像力は大したものだと思う。
はじめに住んだ「小島(おじま)」は、現在の下妻市小島あたりで、水路が張り巡らされた湿地帯と考えられる。そこから、あちこちに船で布教に出向いたようだ。その後、宇都宮頼綱の招きで、笠間市にある稲田に居を構え、関東一円に念仏を広げていく。稲田神社に納められていた古くからの文献や中国伝来の経典を熱心に学んだようだ。
法然から「選択(せんちゃく)本願念仏集」の書写を許されたほどの賢者の親鸞が、何故いろいろな本を読むのかと問われて、答えた言葉に納得した。それは次の言葉だ。「学問としてではなく、自分の得心のいく道を歩くための地図を求めているのだ。」
そして、その本の中の心に残るフレーズを紙に写し、最後は「教行信証」を編纂していく。
手前味噌だが、本の乱読気味の私であるが、あちこちにある心に残るフレーズが、自分を後押ししているような気がするので、親鸞の境地の一端を味わった気がして嬉しくなった。
この親鸞の生きた時代は、地震や津波や飢饉や干ばつなどの大災害が立て続けに起こった末世であったので、末世の苦しみからのがれるためにいろいろな宗教が興ったようだ。大災害の観点から言うと、現在もその周期に入っている。そう言う時代の宗教観については過去に学ぶ必要があるだろう。
また、「見えないものを見る」と言うフレーズで思い浮かべるのは、いま授業研究でやっている「内包量の研究としての微分」である。数学は昔から「見えないものを見る」と言う思いで取り組まれているからだ。そうであるとすると、この「内包量」は私にとっての「阿弥陀仏」なのだろうか?

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111.「親鸞 激動篇(上)」を読んで

講談社から出版された五木寛之さんの「親鸞-激動篇(上)(下)」が新聞広告に載ったので、どうしても購入したくなり、2冊とも買ってしまった。まだ、「重力ピエロ」を読んでいる最中に買ってしまったのだ。そして、読み始めたら、上巻の3分の2になってしまったので、順番として一時停止して、「重力ピエロ」を読むことにした。その所為か、自然界の不思議と人力の限界がダブルで理解することが出来たのはラッキーだった。
安心して、読み始めると、あっと言う間に上巻を読破した。そして、頭に印象的に残ったのは、「外道院金剛」と「白山の巫女サト」の振る舞いと言葉だった。特に2005年に踏破した「白山スーパー林道」の白山が古来神の山であり、1995年にその白山中宮に家族で詣で、昨年の2011年には九頭竜湖に行ったので、白山の回りをグルッと回ったことになる。本とは関係はないだろうが、印象に残る地帯である。
外道院は穢れを恐れず、多くの民の支持を得ている生き仏を自称している法力の持ち主。サトは守護代の戸倉兵衛に拐かされて親鸞の危機を救った娘だが、その後神懸かりした。この2人の行動が、念仏者になりきれず悩み続ける親鸞に影響を与えた。その後の親鸞は、京の都で学んだ仏教とは異なる越後の山や海や民の自然の心に揺り動かされて雨乞い祈祷を引き受け、「念仏行脚(あんぎゃ)」と言う形で行い、雨が降らないので離れていった人々が、その姿に打たれたのか最終日の7日目には山のあちこちから沸き起こってくるあたりが、映画のように脳裏にザーと広がってくるのに感動した。
下巻が楽しみである。

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110.「重力ピエロ」を読んで

新潮文庫から出版された伊坂幸太郎さんの作品であるが、インターネット検索をしたら、2009年に映画化されていることが分かった。後日チャンスがあればDVDを見てみたいと思った。
「春が二階から落ちてきた」と言うフレーズが、最初と最後に出てくるがこれは一体何を現しているのだろうか?
この弟の「春(はる)」は、いたずら書きを消す仕事をしているが、連続して起こる放火事件と、いたずら書きのPOPな文字との関係に気づいて、兄の泉水(いずみ)とガンで入院中の父親に問いかけ、謎解きが始まる。兄の泉水は、遺伝子の配列を解明する会社に勤めているので、A、T、G、Cの連結でいろいろなアミノ酸を連想して犯人に迫っていくが………。最終的に「春の誕生の秘密」に行き着いていく。この内容とタイトルの「重力ピエロ」の関係性が私にはイマイチ分からない。家族愛が重力(自然界の掟)をも無にして行くと言うことなのか?
二階から兄の元に落ちてくる重力とこのストーリーの無重力(重力ピエロ)を対比させるために、最初と最後にあえてフレーズを置いたのか。作者の頭の中の構成に不思議さを感じつつ読み終えた。

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109.「真夏の方程式」を読んで

文藝春秋から出版された東野圭吾(ひがしのけいご)さんのガリレオシリーズの本である。TV映画では福山雅治が主人公の湯川准教授(物理学)を演じて評判だが、小説の中の湯川もなかなかカッコ良い。恭平少年と実験をしながら勉強していくところなど、タイトルの「真夏の方程式」を意味づけているが、数学嫌いな高校生にも読ませたい雰囲気を持って展開していく。
事件の舞台となる玻璃ヶ浦(はりがうら)は、海の綺麗な漁村であるが、現在日本のあちこちに見られる廃墟化してきた観光地の一つである。そこに降って湧いた「海底資源の開発事業」と綺麗な海を守ろうとする「環境保護」を柱に、話が展開していく。
そこで起こった殺人事件に、地元警察と県警本部と警視庁の捜査が絡み合いながら進展していく。湯川の友人の警視庁の草薙(映画では北村一輝)と内海薫(映画では柴咲コウ)が、湯川のアドバイスを元に地道に捜査をしていくと、思いもかけぬ展開が待っている。
と言うわけで、最後まで一気に読んでしまった。探偵ものは嵌ると止められなくなる。

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108.「天皇の暗号」を読んで

学研から出版された大野芳(かおる)さんの作品である。
はじめに熊沢天皇の存在とその周辺の人々の関わり方や新聞記事、アメリカ軍との関係などが記述されているが、一番気づいたことは、私自身がほとんどこのことを知らないと言うことである。知らない世界がまだたくさんあることを実感した。
次に、原発事故で立ち退きになった浪江町が、この本の中に登場して来たことだ。柴田哲孝の本「GEQ」(角川書店)の要因となっているのではないかと深読みしてしまった。
中盤では、明治維新の話になり、以前読んだ加治将一の「幕末維新の暗号」(祥伝社)で登場してくる群像写真の真ん中の少年(大室寅之祐)の登場とそれを取り巻く明治維新の元勲のやり取りが興味深い。さらに、美濃部達吉の天皇機関説と西郷隆盛の征韓論の真実が教科書で教えられたものとは異なり、より深く解釈できた。
以前読んだ柴田哲孝の「下山事件 最後の証言」(祥伝社)と同じくらいの衝撃である。
しかし、最終段階の論調はさすがに書けないのかわからないが、もう一つ物足りない感じがする。もしかすると、話が広がりすぎて絞れないまま終わってしまったのか、それともこの後は読者に任そうとして途中で終了したのか、西郷隆盛の死とともに幕が下りていった。

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107.「メメント・モリ」を読んで

情報センター出版局から発行された藤原新也さんの2冊目の本である。1冊目は、「東京漂流」と言うニッポンの現状を、写真と言葉で表現したものらしい。と言うのは、まだ読んでいないからだ。
それに対して、この2冊目の本「メメント・モリ(死を想え)」は、インド大陸に取材先を求めて、インダス川辺りやチベットなどの現実を写真で描写している。タイトルを感じさせる写真が続く。その中に言葉が散りばめられている。特に感じた言葉が「花は、散る仏」である。花を愛する人々に悪い人はいない。
写真と言葉を水を吸い込む如く見終えたが、分からないフレーズが2つあった。一つは、「蝶翳(ちょうのかげ)」の最初に出てくる「地面には穴がある。」である。そのあとに、「歩みつづけると、女の人は子供を孕むことがあります。歩みつづけると、男の人は自分の名前を忘れることがあります。」とつづく。この地面の穴とは何なのか?落とし穴なのか。偶然の出会いや欲望の入り口なのか。ともかく、分からないが不思議なフレーズだ。
二つ目は、「妙音鳥(カラビンカ)」と言う名前です。その後、インターネットで調べてみて理解しました。漢字では「迦陵頻伽」、梵語でkalavinkaと書くそうですが、「仏教で、雪山または極楽にいるという想像上の鳥。その像は人頭・鳥身の姿で表され、また顔は美女のようであるという。妙音を発し、聞けどもあきることがないという。」と解説されていました。作者は、チベットの渓谷に分け入り、聞いたのだろうと想います。

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106.マンガだからわかりやすい
「あなたの家族を守るための『放射能の教科書』」を読んで

時々テレビで原発や放射能のことで発言をしている武田邦彦さん(中部大学教授)の本を購入して読んでみた。マンガ仕立てになっているので、イメージが出来やすい。合間合間に放射能などの解説が分かりやすく書いてある。さらに、Q&Aでみんなが不安に思っていることについて答えてくれているので、よく分かる本だと思った。
武田邦彦さんについては陰口を言う人もいるが、現在の状況を詳しく解説してくれる本やニュースがない中では、参考になる解説が多いと思うので、是非一読した方がよいと思う。真剣に「避難」のことも考えた方がよい時代が来た気がする。
「宇宙戦艦ヤマトでイスカンダルに放射能除去装置コスモクリーナーDを取りに行く」と言う漫画が現実化する時代が来ようとは。イヤハヤである。

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105.「2012年中国崩壊2014年日本沈没」を読んで

長女夫婦が中国の深セン市に仕事の関係で住んでいることもあり、先日は「香港・深セン・マカオ5日間の旅」に行ってきました。どこへ行っても高層ビルが摩天楼のように聳え立つ中国海岸部は、今まさに高度経済成長のまっただ中にある感じがしました。ところが、深センでは労働者の賃上げのストライキが起こったり、新幹線の事故の処理が不十分だったり、内陸部との貧富の差もかなりあることや、工場から出る重金属汚染などの対応がイマイチ取られていないことなどから、現在の中国はどうなっているのか知りたくなって、この本を購入しました。
「第二海援隊」と言う初めて聞いた出版社から発行されている本で、著者は浅井隆さんと言う経済ジャーナリストです。読んでみると、次々に隠された実態が分かってきました。一方的な観点もあるので全部が真実とは言えなくても、かなりの問題点を含んでいることが明らかにされています。「成長10%のウソ」とか、「砂漠に呑み込まれる北京」とか、「全土に広がる『ガン村』」とか、「インフレ・スパイラルの恐怖」など、放ってはおけない現実が次から次に出ているようです。
この本によると、経済が崩壊するのが2012年から2~3年の間の予想で、その後、日本に波及しダメージを受けるのが2014年頃からだというのです。長女夫婦のこともあり、この予想が中らないことを願っています。

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104.「戦国時代の足利将軍」を読んで

歴史の本を読んでも室町幕府の足利将軍の活躍は、初代の足利尊氏ぐらいであとの将軍についてはほとんど知られていない。それなのに100年も幕府が続き、その間の後半「戦国時代」と言われたのは何だったのかを知りたくなって、この本を読んでみることにした。
作者の山田康弘さんは「戦国時代の研究」を中心に活動されている方のようだ。出版元の吉川弘文館は「歴史文化ライブラリー」として数多くの歴史物の出版を手がけている。
この本を読む前は、室町時代は、足利義満など贅沢を極めた将軍がいたため、権力が将軍から斯波・細川・山名・京極各家に、そうして山口の大内家に、最終的には織田信長に移っていった下克上の時代であったと言う認識しかなかったのだが、この本で違った認識の仕方があったことが分かった。それが、現代の国連の話にまでつながるとは驚きである。
本の最後に出てくる三和音(トライアド)を紹介した方が話が早いと思うので、まとめてみると、①リアリズム的視点②リベラリズム的視点③コスモポリタニズム的視点の3つである。
①を要約すると、上に権力者がいないのでアナーキーな権力闘争が起こる状態をさす。
②は、共同体としてのまとまりのある状態をさす。
③は、個々の人々(百姓など)の「リヴァイアサン」願望への動きをさす。
これら3つが絡み合いながら時代が動いていくという分析である。私は完全に、この時代は①により乱世になっていたと思っていた。と言うか、高校の教科書がこのような論調で書かれていたので、それを信じていたといった方がよいかも知れない。
そのときに感じた不思議さは、何故「木下藤吉郎」が「豊臣秀吉」になれたのかと言う点である。たぶん③の視点も歴史に大きく関与していたのだろう。
さて話は戻るが、この時代を視点の②にでてくる「共同体」的認識が「足利将軍」を100年も担ぎ上げていたという分析には驚きである。この役目は今の国連の役割と同じものである。
その一つ一つを歴史上の事実から立証していっている。その一例が「出雲の尼子晴久が赤松晴政を攻め、兵庫の播磨から赤松氏を追ったときに、背後の山口の大内義隆を恐れて、足利将軍に接近した」と言う事実である。大内氏が背後を襲わないように、将軍に調停を依頼したのである。ほとんど権力を有していない足利将軍にそんなことが出来るはずがないと思っていたが、西日本の大名を中心に、足利将軍を国連の事務総長のごとき認識でいたことがわかる。
大変興味ある本であった。因みに徳川幕府の徳川氏も同じ路線をいったようだ。違うのは親衛隊の旗本がいたことぐらいだ。これが大幅に変わったのが明治維新であり、日本国内のたくさんあった国(藩)が1つの国となり、国際世界が再びその上に広がってきた。①と③は無理なので、②の国連が中心となって今後も行くのであろう。

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103.「親鸞(下)」を読んで

五木寛之の「親鸞」(下)も夢中になって読破した。上巻の僧・範宴が比叡山での修行で見つけることの出来なかった仏の姿を聖徳太子の六角堂での百日参籠で紫野(しの)の姿の中に見いだし、その声にひかれて法然の吉水を訪ね、その弟子にしてもらって、名前を「綽空(しゃくくう)」と改め、念仏の世界に入っていく。そして、遵西(じゅんさい)や紫野の妹・鹿野(かの)、犬麻呂などの登場人物が個性豊かに登場し、その中で、綽空が悩み抜き、紫野(恵信)との再会から結婚。法然上人の「選択本願念仏集」の書写後、名前を「善信(ぜんしん)」と変え、法然から独立して自分の道を切り開いていく。しかし、法勝寺の八角九重塔の焼失事件を理由に権力側は法然ら念仏者に圧力をかけ、その結果法然は土佐へ、善信は越後へ流罪となる。このとき、善信は名前を「親鸞」と変え、恵信の故郷・越後へ流されていくが、恵信との間に善鸞ら7人の子供をもうけ、その後関東方面に念仏を広げていく。
平氏から源氏へ移り変わる時代に、京の都には飢え死にする人々があふれ「末世(まっせ)」と呼ばれていたという。一部の公家などの金持ち層ではなく、地獄に堕ちると言われ悩み抜く一般の人々への救いを中心に広めていく念仏行は、それまでの日本仏教の修行のあり方や目的を大きく変えるものでもあった。法然や親鸞は、そう言う意味で日本における宗教の変遷のターニングポイントにあたる人物であると実感した。

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102.「親鸞(上)」を読んで

「カラマーゾフの兄弟」(上巻)が相変わらず読めない。隣の同僚に話してみると、文庫本は安くて良いが、字が小さいので、老眼の方々には目が疲れて読むのが難しいのではないか。単行本の方が読みやすいと思う。全くその通りだ。
その所為か、読みたかった五木寛之の「親鸞」(上)を単行本で購入して読破してしまった。確かに読みやすい。それ以上に五木寛之の手にかかると実に読み応えのあるものになる。上巻は親鸞の幼少期・青年期が忠範(ただのり)として、また僧・範宴(はんねん)として描かれている。人間的な苦悩の中で仏を求めて突き詰めていく姿に、思わず本中にのめり込んでいく。早く下巻を読もう。

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101.「超簡単エバーノートを1時間で使いこなす本」を読んで

現在、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」(上巻)を読んでいるが、関心が続かず、遅々としている。ちょうど、夏目漱石の「虞美人草」を読んでいる時のようだ。映画でも見てから読むと勢いがつくかもしれない。それと並行して読み始めた中村有里(ゆり)著「超簡単エバーノートを1時間で使いこなす本」(秀和システム発行)は、読み終わった。興味があると早いのかもしれない。

最近購入したipad2の操作をする中で、手に入れたエバーノート(Evernote)というソフトは、ipad2に止まらず、WindowsやMacやiphoneなどにも対応しており、インターネットを介して、データの編集や管理も行えるクラウドなソフトである。クラウドサービスが始まって、最初に登場した操作用のソフトなんだろうと思う。基本的には無料でダウンロードでき、容量を増やしたい人だけ有料となる仕組みだ。USBで行っていたデータの持ち出しをしなくても、クラウド上に載せておき、家でも会社でも郊外でも、どこでも取り出し作業ができ、また、載せることができると言う便利なソフトである。

パソコンだけで使いたいときや、他の人にも公開したいときなど、その操作に習熟しなければ、うっかり他人に見られていたなどの心配もつきない。知人に話したら、個人情報の管理に心配があるので、安心して使うにはまだ抵抗があると言っていた。しかし、クラウドサービスの時代なので、実験的にやってみようと思っている。

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